重い寝冷え

梅雨前線は、津軽海峡の辺りに横たわっている。小笠原諸島Bonin islandsはといえば相変わらず高気圧に覆われている。
今日1日は曇りか晴れで推移するようだ。
最高気温は、32℃になると言う。

なぜか、いとこの家にレコードプレイヤーがあり、オフコースの「僕の贈り物」をかけているが、回転数が間違っているようで声が変になっている。
…という夢。

目が覚めたのは5時台であるが、ラウンジソファーの上だった。
つまり、布団もかぶらず、冷房の風を直接浴びていたことになる。
だから完全に体が冷え切っている。
悪寒が激しい。

それで、クーラーを切って改めて寝ることにする。
痰が濃いわけでもなく、下痢をしているわけでもない。
…と思ったらかなり濃い痰が出た。

やはり、何らかのウィルスに侵されている可能性がある。
体温を計ることにしよう。ともかくも現実に向き合うことだ。

そう思って、体温を測ってみたら、なんと35.5℃。
そういうものなのか!?
やはり単なる寝冷えなのだろうか。

YouTubeのライブニュースでは、秋田市や能代市の災害救助法を適用されるということを報じている。
そして、日本は死刑存置国であるのは、そのために犯罪者引き渡し条約で引き渡しがなされないのではないかと言う実際的な話。

イスラム教徒の多いトルコも、EUに入るために死刑を廃止したとも聞く。
個人的には、日本の死生観なども考えて、死刑を廃止して欲しくはないが…

それはともかく、朝食のヨーグルトを食べたらしばらく布団をかぶって寝ていることにしよう。
とにかく体を温めるのだ。

ところで、今日は、いつも倉庫に使ってる畳、部屋を片付けて、よりミニマリストに近づけることにしたい。

その前に、今日はぽわんちゃんの店で琴音ちゃんのバースデーイベントだ。
それで、シャンパンを1本入れることにする。

いつもの16,000円のオリシャンだと芸がないので、1つ高い。25,000円のゴールドビーナスを入れることにする。

少し暑くなってきたので、クーラーを入れたらやっぱり具合が悪くなってきた。
今日1日は、クーラーは使わない覚悟をしたほうがよさそうだ。

それと、倉庫部屋を片付けることにしよう。
今捨てれるものはと言えば、古いコード類だろうか。

後は、弊喜び組の新しい顔や衣装などなので、捨てるに捨てられない。

孫の間にも、弟夫婦から家族向けに子供たちのLINEが送られてくる。
父上は「ウオタースベリ台ですか」なんて言っている。

父上は、割と昔から書く言葉がなんだか変だ。
ウォーターが「ウオター」になったり、コンピューターが「コンピター」になったり、伊奈かっぺいが「いなかペー」になったりしていた。
これでも、田舎の支社や営業所とはいえ、上場企業を定年まで勤めあげたのだから、不思議なものだ。

その父上は、乃公おれが子供の頃、風邪をひいて寝込んでいると「汗をかいて悪い汗を出せ」と言っていた。
その医学的効果のほどはよくわからないが、とりあえずそれまでそのようにして風邪を克服してきたような気がする。

ところで、寝冷えをした原因を作ったラウンジソファーの上にうとうと寝ていたら、ローソンの店員がギャリソン帽をかぶって接客している夢を見た。
ギャリソン帽とは、まさにナオミがかぶっているような帽子である。

ともかくも、12時を過ぎてしまっているので、昼食とすることにしたい。
昼食は例によって非常食のわかめ、ご飯・キャベツ・ツナ缶・カレースープ。

どうもやはり動く気になれない。
引き続き、ラウンジソファーでぐったりしていることにする。

どんどん「悪い汗」が出ていく。
トイレに行くと、ひんやり感じた。
いつもであれば、クーラーの効いていないトイレは居間より暑く感じるものだ。
それが、クーラーを切った今日に限っては、トイレの方が涼しく感じるのだ。

さて、14時40分もすぎたので、出る準備をしよう。

艮瘋ごんぷうで二見港に行くと、見送りで賑わっている。

デッキに登ると少し風が強い。それはいつものことだ。
そうすると、他社の出張所長が誰かを見送りに来ていた。
その出張所長さんも写り込んでしまったが、お互いのために消しゴムモードで消すことにしよう。

アングル的には、階段の根元あたりで撮るのが一番いいだろう。
もう夏休みシーズンが始まっており、民宿やマリンショップの人もお見送りに来ている。

そして15時ちょうど、汽笛が鳴って出港となる。
今日は光線状態が強く、影も強いので送り船はなかなか思うに任せない。

さて、おがさわら丸を見送ったら、福祉センターで本でも読もうか。

そして福祉センターへ。

また「小笠原ことばしゃべる辞典」を自動販売機の前に持っていって読む。
この本は、実際に復帰直後の小笠原で最終した会話例が入っているので面白い。
もっとも、このような言い方を今でもする人がどのくらいご健在かどうかは定かではないが。

それとともに、回顧録をつける。今日は、2012年12月に入った。あと少しで2013年に入る。

福祉センターの本も、小笠原コーナーだけで結構な本があるので、1冊1冊読んでいくことにしたい。

クーラーは効いているが、それほど強いわけではないので、今日のような体調の時はありがたい。
歳をとると、強力な冷房というのは、体が受け付けないのかもしれない。だから、福祉センターのクーラーも弱めに設定してあるのではないだろうか。
結局、かなりギリギリの16時50分あたりまで読んでいた。

そして、福祉センターを出ることにする。

船が出た後の表通りは、心なしか寂しいような気もするが、まだ船がいた時の名残で営業している店もあり、人通りもある程度はある。
歩いている人たちは、2航海ブッコ抜いてる人か、それもそのここの住人か。

そして帰宅したら、まだ18時までは時間があるので、ぐったりしている。
一応、クーラーはつける。

そして18時を回り、夕食とする。
いつもの非常食のわかめご飯・キャベツ・ツナ缶・カレースープ。
YouTubeのピトケアン島やトリスタンダクーニャ島の動画を見る。
定年退職したら、このような島島に行ってみたいものだ。
ピトケアン島のほうは、タヒチからどこだかの島に飛行機で行き、そこから船で行くようだが、意外と行きにくいと言うこともないのではないか。

ちなみに「しげ旅」でもまだピトケアン島には行っていないようだ。

それはともかく風呂に入ろう。

風呂から上がったら23時ごろ。
またソファーでグダグダしてる。

今日の決死出演は6名(累計11名)。

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