特急ツバメが通った時

北朝鮮KCTV「録画報道:農作物被害管理を熱心にやっていく」より🇰🇵
平安南道の黄海に近い平原郡の南洞共同農場にも実りの秋がやってきた。
背後の住宅群も、完成した時はさぞ歌ったり踊ったりして祝い、偉大な領導者同志に感謝を述べただろうか。

風で倒れた稲を丹念に調査する。

目が覚めたら7時台。
さて、今日はどこに行こうか。

本当は、昨日指を落としたデスクトップパソコンを回収に出したかったのだが、今日は営業していないと言うので、来週の土曜日に持ち越すことにする。

緊急事態宣言も解除され、晴れていると言うのに、どこに行こうと言う気力もわかない。
むしろ、明日の夏休み明けに備えて、体を休めたいくらいだ。

しかし、今日はどこにも行かなかったら後悔するかもしれない。
どっちでもいいから軽くお出かけすることにしたい。

じゃあ今日は、ダークツーリズムでもすることにしようか…
今回の事件は、昭和32年の横浜市戸塚区における老婆殺害事件である。

事件の第一報は昭和32年5月17日の神奈川新聞から。

前日の16日の昼、横浜市戸塚区の農家で老婆が殺されたというのである。
第一発見者は、法務局に土地の登記に行って帰ってきた息子であった。
発見当時、室内に物色された跡は無いという。

この家では、被害者の老婆の他には息子夫婦、そしてその子供5名、そして手伝いの少年が住んでいるという構成で、富農の方に分類されるということであった。

犯行の時間帯としては16日の朝9時〜11時ごろではないかという事だった。

ただし、このニュースは社会面のトップではない。

この3年前の昭和29年に起こった第五福竜丸の「死の灰」をアメリカに広く伝えたいと来日していた核物理学者の方が大きく扱われていた。

そのような状況でもなお、イギリスはクリスマス島で水爆実験を行おうとしていたようである。
ややもすれば「第二の福竜丸」だ。
しかし、遠洋漁業関係者にとってみれば、「予想されたこと」と冷静なようだった。

翌日5月18日の神奈川新聞は、捜査を大々的に報道しているのかと思ったらさにあらず、横浜の南太田で母子が殺されたというのである。

それは、京浜急行の井土ヶ谷駅から丘を登った所にあるサラリーマン住宅で発生したと言うのであった。

この事件また、別の機会でダークツーリズムすることになるとして、他のニュースにも目を移すと、常磐線の長塚〜大野の陸橋で急行「北上」が転覆したのだという。
長塚駅とは現在の双葉駅のこと。
いずれも、現在では福島の原発事故から10年が経過してもなお復旧途上にある地域である。

この頃の急行「北上」といえば、まだ特急「はつかり」が運行開始していなかった頃、常磐線経由で上野と青森を結ぶ最速の列車であった。
後に583型の特急「みちのく」になったのもこの系統である。

しかし、この後しばらくこのニュースが新聞上に出る事はなかった。

このニュースが再び新聞上に出るようになったのは、実に1週間後の5月26日のニュースである。
犯人が逮捕されたのだ。

犯人は、作男の17歳の少年であった。
5月17日の新聞では実名であったが、逮捕されてしまったので仮名になってしまっている。

この少年、捜査当初から不審の言動があったようで、問い詰めてみると「泥棒呼ばわりされたから殺した」のだという。

それは事件の4日前の5月12日のこと。
家で干してあった2枚のワイシャツが泥棒に盗まれたのだと言う。
4日後、殺人の被害者となるその老婆は作男の少年に疑いをかけた。

少年は否認したが息子夫婦に宥められ、不快ながらもその場は収まったのだという。

その4日後、つまり事件当日のこと。
少年は畑を耕していたところ、鎌を取りに行ったらお婆さんしかいない。
あの時の文句を言おうと思ったが、気弱な少年は言葉が出てこない。

思い余って手拭いを首に掛け…
ということだったらしい。

しかし「神奈川県警察史」によれば、この辺りの記述は少し違うようだ。

「あの日、私が野良から帰ったところお婆ちゃんがいなかったので、いそいで一〇畳間にあがり、衣紋掛けにかけてあったコートを盗みました。それで土間へ降りたら、そこへお婆ちゃんが立っていました。心臓がとまるほどびっくりしました。それで夢中で裏口へ飛び出したんです。お婆ちゃんも変だと思ったのでしょう、裏に出て来て私の顔を見て、〃荘さんか、びっくりしたよ〃と言いました。それで私は盗んだのがバレた、もうだめだと思って、われを忘れて風呂場の羽目板にぶらさがっていたタオルをとって、それでお婆ちゃんの首を絞めて殺してしまったんです。」

また、犯人特定の端緒となったのは、畑における目撃証言でもあった。

柏尾川の土手で草刈りをしていた、笠間町在住の老婆が以下のように証言をしている。

「あの日さいかち畑で草を刈っていたんですが、そしたら九時ごろ、知らない二〇歳ぐらいの若衆が近くのじゃが芋畑で働いているのに気づきました。すると問もなくその若衆は仕事をやめてどこかへ行ってしまいました。特急ツバメがとおった時でした(午前九時四一分ごろ)。それから三〇分ぐらいして、その若衆がまた右手に鎌をぶらさげて戻ってきました。ただそれだけです。」

当時であれば「つばめ」はEF58青大将だっただろうか。
ともあれ、その「若衆」こそが本件犯行の容疑者となる少年だったのだ。

ちなみにこの少年、「岩手県閉伊郡岩井町」の出身であるというが、当時でも岩手県にそんな自治体は無いはず。
だいたいにして閉伊は「上閉伊郡」「下閉伊郡」に分かれている。

あえて言うなら「下閉伊郡岩泉町」であろうか。
確かに、下閉伊郡北部は岩手県内でもかなり貧しい地域で、どこだかの村では「50年ぶりに高校進学者が出た」というニュースがあったほどである。

ところで、当時の列車の時刻表はどのようであったかと言うことを、昭和31年11月19日の東海道本線全線電化のダイヤ改正のときの時刻表で見てみることとしたい。

新幹線は着工すらしていなかったこの当時、東京と大阪を最も速い速度で結ぶ特急列車であった「つばめ」は、東京を9時ちょうどに出発し、横浜は9時27分に出発していた。
その次の停車駅は沼津となり、10時49分の到着であった。

それが事件の日に大船を通ったのは、9時41分ごろであったと言うことらしい。

この前後だと、大船9時28分の熱海行き、大船10時10分発の沼津・伊東行というのがあったようだ。
いずれも、80系の湘南電車だったのであろう。

ついでに言うと、大船を9時13分に発車する沼津駅は、始発駅はなんと前橋で5時15分発だったのだと言う。
そして、休日は熱海まで足を伸ばすと言う、今で言う上野東京ラインの走りだったような列車も走っているのだ。

さて、11時を回ったので出かけることにしましょう。

果たして新京成線の中の人となる。

ところで、ここまでお出かけする気力が減退してしまったと言うのは、Twitterを鍵垢にしたということもあるような気がする。
どこかにお出かけして写真をアップしても、それを見てくれる人がいない。

見てくれる人がいないから写真をアップしない?
では、お出かけや決死撮影は、自己顕示欲のためにやっていたということ?
旅をするのが好きなのではなく、旅をする自分が好きだったということ?

まあ自己顕示欲を持つこと自体が悪いことではないはず。
それに、ストレスは法に触れず適切に発散されなければいけないはずだ。

さて、横浜に行く前に、現在ラーメン評論家によるマンスプレイニングが話題になっている元AKBの人のラーメン屋に行ってみようか。

店舗は、京成線の堀切菖蒲園にあるらしい。
堀切菖蒲園とは言っても、常磐線からどのように行けば良いだろうか。
北千住から東武に乗ってます牛田へ行き、そこから関屋から京成線で行く?
そこまで何回も乗り換えすると言うのも…

バスを調べてみると、どうやら綾瀬から新小51系統というバスが出ている模様。
これが一番良い選択肢のようだ。

果たして、堀切菖蒲園の駅に到着し、件のラーメン屋に行ってみると、めっちゃ並んでますやん…

通りがかりの中年夫婦も、「AKBのなんとかっていう人が…」、一連の事件について充分知っている模様。

都合、30分近く並んだだろうか。
いよいよテーブルに座ることができた。

まるで料亭や割烹のような雰囲気である。
醤油味噌塩と一通りある中で、自分はスタミナラーメンを頼むことにした。
青森県産のニンニクを1玉使っているのだと言う。

実際に食べてみると、昔中華料理屋で食べたような昔ながらの味噌ラーメンの味がする。
特段奇を衒っているわけでもない。
逆にいえば、基本を抑えたラーメン作りをしていると言っても良いのかもしれない。

さて、食べるだけ食べたら、次の目的地に行きましょう。

堀切菖蒲園から京成で日暮里まで行き、日暮里から上野までは山手線、上野からは上野東京ラインとなる。

まず、当時の時刻表がないので神奈川県立図書館に行ってコピーしなければいけない。

本来は、横浜駅で根岸線に乗り換えて桜木町で降りなければいけなかった。
しかし何を血迷ったのか京急に乗りかえてしまった。

京急なら日ノ出町から歩けない事も無さそう。
そして、野毛坂方面を歩いていると、「横浜市立中央図書館」と言う表示がある。
神奈川県立とは別に、横浜市立中央図書館もあるらしい。

復刻版の時刻表あるかどうか調べてみると、どうやらあるようである。
ならば、そちらに行ってみたほうがよかろう。

果たして、図書館に行ってみると、すぐに時刻表出してもらうことができた。
これをコピーして、この図書館への来意を果たすことができた。

ことのついでに、この野毛山公園には、いつか収鋲しようと思っていた「ラジオ塔」があるようだ。
この機会に収鋲してしまうことにしよう。

このラジオ後の由緒由来としては、昭和7年、当時のNHKが聴取契約者が100万人を超えた記念に全国の著名な公園や広場にラジオ塔を建てる計画をしたのだと言う。

その中に野毛山公園も選ばれたのだと言う。

さて、収鋲もしたら、次の目的地へと行きましょう。
次の目的地は、いよいよ事件現場である。

大船なので、まずは桜木町駅まで行って、横浜駅で東海道線に乗り換えるのが1番良いルートであろう。
ところが、図書館の前から出るバスが、横浜駅行きなのだ。

しかし、実際に乗ってみると、横浜駅まではかなり時間がかかりそうだったので、桜木町駅で降りて電車で行くことにした。

そして、横浜駅で上野東京ラインに乗り換えて、大船駅で降りる。

大船駅からは、西口沿いに流れている柏尾川沿いに歩いて行くことにする。

しばらく歩くと、電車の留置線が広がっており、上り下りの東海道本線の電車が見える。
新幹線の開業前であれば、いろいろな特急を見ることもできたであろう。

事件当時、ここは一面の農地だったのだ。

事件の発生した家に行こうと思えば行くこともできるのだが、いかんせん個人宅である。
さすがに写真に撮ってアップすることはできない。

それでも、行くだけでも行こうと思ったら急に雨が降ってきた。
通り過ぎる人たちは、この時ならぬ雨に走って家路に就こうとしていた。

これは、天からの警告だったのだろうか。

大船駅へ戻ろうとしたら、雨がやんだ。
やっぱりこれは警告だったのだろうか…

後は、湘南新宿ラインで新宿へ向かうことにしよう。

ぽわんちゃんの店に行く前に、沖縄料理店で沖縄そば。
ところが、具合が悪く半分しか食べれなかった…
なんだか下痢気味だし…

それでもぽわんちゃんの店には行く。
体温を測ってみると36.0℃。
そんなもんなん?

ところで、ぽわんちゃんに「最近マカ垢鍵にしたみたいだけど、新しい垢も変わりなくて分けた意味無いじゃん」と…
うん。確かにそうなんだけど、決死撮影はあまりオープンなところで見られたいもんじゃない。

そんなこんなで21時まで。

あとはまた千代田線経由で帰途に就く。

 

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