あの大物冷笑系ウヨは実は壮絶な人生を歩んでいたのだという。
今回はその「ネトウヨの伝道師」「安倍政権の預言者」の波乱万丈の足跡を追ってみたい。
・・・と、朝のテレビでは天才ドローン少年のことをやっている。
「天才」とは24時間それをやっていても「苦痛」と思わない程の「好き」がら生まれるのではないだろうか。
「好きにまさる努力なし」とよく言うではないか。イチローだって、すぐに素振りできるようバットがいつも近くにあったのだという。そういう意味で、自分に「天才」と言えるものはあるだろうか。
9時になったら郵便局が開くのでお金をおろそうと思ったら、祝日でATMも含め開かないのだという。こんな山間部じゃそうなるかね・・・
ところで、橋を渡ると川から湯気が立っている。なるほど「川湯」とはよく言ったものである。
(決死モデル:チームWBナギサヤ)
それにしても廃業したホテルが散見されることよ。永久の「空室」は何だか侘しくなってしまう。
土産物屋には「熊の胆」。昨日技能実習生さんに聞いたところでは、熊については「ベトナムでは悪い人が熊の手を切って売るんです」という。
多分それは中国の「熊の掌」だろう。右手で蜂蜜を食べるので、右手に甘みが残っていておいしいと言われる・・・とかそんなやつだろう。
さてまだ10時のバスには30分ぐらいあるので、大鵬記念館でも見ることにしたい。
年中無休で入場料は420円。大鵬本人から譲り受けたという化粧回しや表彰状、優勝カップなどが並べられている。
大鵬は樺太からの引揚者で、小学生時代は夕張などを転校して歩いていたらしい。
(決死モデル:チームWB小津麗)
結局2013年に亡くなり、安倍首相から国民栄誉賞を受けることになるのだが、表彰状は本名の「納谷幸喜」名義で「大鵬」とはどこにも書いていない。これは意外だった。
そう思ってWikipediaで「国民栄誉賞」を調べると、どの受賞者本名で受賞している。美空ひばりなら「加藤和枝」、千代の富士なら「秋元貢」、渥美清なら「田所康雄」。
さて、時間も来たのでバス停に行きましょう。
程なくして技能実習生さんも来て、バスに乗ることに。
ある意味シャトルバスのようなもので、10分程度ですぐに到着した。
自治体としての「町」(●●町●丁目、とかではなく)の中心部でもない所だけを往復する路線バス(コミュニティバス)なんて、これ以外に日本でどれだけあるだろう。
これは貴重な路線なのだ。
それは兎も角、川湯温泉の駅舎は昭和5年建築だというので、かれこれ築90年となる。山小屋風の良い駅舎である。
(決死モデル:チームTヤギー)
さて、今日は朝がゆっくりだった分、日中はタイトであり網走到着が11時57分、砕氷船が12時30分というかなりギリギリのものである。
それでタクシーを電話で予約することにした。
それも網走駅ではなく、網走の1つ手前の桂台に来てもらうことにした。こちらの方が砕氷船乗り場には近い。
知床斜里を過ぎるとオホーツク海に面して走ることになる。
海岸には流氷が見える。昨日は海が荒れて砕氷船が全便欠航だった程だというので、流氷が北から流れ着いてきたのだろう。
あの有名な北浜駅でも、流氷がビッシリと見えた。
そして桂台に到着すると、道路わきにタクシーは停まっていた。桂台の駅前には駐車スペースが全くないのだ。
砕氷船乗り場にはすぐに到着し、砕氷船には余裕で乗ることができた。
技能実習生さんにとっては初の流氷となる。
寒い中でも超感動している。「ペンギンがいればいいですね」という。
「でもペンギンは南極にしかいないよ。この流氷は北極の方から流れてくるよ」
(決死モデル:チームTアンヌ)
流氷を見てしばらく、席で休んでいたが、もう1隻の砕氷船とすれ違うので行こうと思って、「𠫾推」(đi thôi)というと、それを「ディートイ。ハハハ」と言って真似してくる。
そんなに特徴的か? だったら「行こう」はなんと言えばいいのか。
聞いてみると「cũng đi」(拱𠫾)だという。
と、「Anh ơi!」(偀𠲖)みたいに誰かが言っている。ベトナム語?
技能実習生さんに聞いてみると「やっぱりベトナム人の実習生が色んな所にいるんでしょう。それが休みで流氷を見に来たんです」という。
本当は技能実習生さんと網走監獄もみたかったが、川湯温泉を往復するバスの終車を考えると、15:10で帰るしかない。
それで、網走駅の近くで蟹ラーメンを食べたくらいにして解散することにした。
しかたがないので1人で網走監獄を見ることにしよう。
砕氷船乗り場~網走駅~網走監獄~天都山の観光地を結ぶバスはこの時期30分毎に運行している。いつもであれば中国人がたくさん乗っている。それだけの観光都市である。
天都山行きはすぐに来て、網走監獄へ。
そして明治時代に建造の正門を入り、刑務所へ。
これぞ正にあのRAIE君(現:黒瀬深)が入れられていたという網走刑務所であり、冬は死を覚悟するような寒さだったのだという。
(決死モデル:チームPウメコ)
懲罰房は独立した小屋になっており、電気も暖房もない真っ暗な、本当に死を覚悟するレベルで、いまなら人権団体が抗議に来るであろうレベルの物だった。
そしてまた、前回ダークツーリズムした網走駅裏のバレエ教師殺し事件で、犯人が自殺した場所でもある
当時の新聞によれば、12号独房西側の窓にロープを掛けて死んだというが・・・
この当時の網走刑務所というのは、放射状になっており1棟~5棟それぞれに「12号室」があるのだ。
まず1棟は雑居房なのでここではないだろう。2棟も3頭も雑居房。
4棟は独居房であるが、東側に面している。・・・というか、この網走監獄自体移築しているので、昔から位置関係が今と同じだったかは分からない。
ところで、4棟だけやたら男臭い匂いがするのはなぜか? 刑務所としての利用を停止してから早30年以上、それでも男臭さが消えないというのは何かの呪いだろうか?
5棟の12号室もまた独居房だった。おそらくは4棟か5棟の12号室だったのだろうが・・・
そんなこんなで日が暮れてしまった。最後のバスが出る前に正門に戻りたい。
そして網走駅前に戻る。
網走駅前に到着すると、ちょうど東藻琴行きの網走交通のバスが出ようとしていた。観光バス車体に「自由乗降区間」の表示のミスマッチ。これこそが東藻琴村営軌道の後裔である。
(決死モデル:チームP芳香ちゃん)
東藻琴は、芝桜で有名なのだという。
あとは女満別空港連絡の18:55のバスが来るまで、1日目と同じビクトリアステーキのバイキングでバスを待つことにしたい。ここであればWiMAXも入る。
バイキングなもんで結構たらふく食ってしまった。
そしてバスで女満別空港へ。
(決死モデル:トルソーさんのアハメス)
羽田行きは20時の予定が、折り返し機の遅れで20時40分に。
別にそれはいいんだけど、羽田に着いて電車があるかどうかだけが心配だ。
何となれば上野駅から出る深夜バスに乗るしかない。そうすると夏戸への到着は深夜の2時ごろ。これで翌日というかその日朝から仕事に行けるだろうか。
とりあえずブログの原稿でもつけながら過ごすことにしたいが、すっかり疲れ切ってしまい何もできなかった。
到着してYahoo路線で終電があるかどうか調べたら一応それはあるようだった。
なんと、羽田空港発松戸行きにバスがあるらしい。22時45分発だというが、間に合うだろうか。
22時27分に到着、一番後ろの席からダッシュで13番のりばへ行く。
(決死モデル:トルソーさんの霧島)
松戸へは、湾岸道と外環道で割とすぐだった。結構高速道路網も発達してんだね。
ところで外環道はトンネルだらけ。
そしてどうにか松戸に到着。
バスで羽田空港って結構楽でいいな。今後、羽田空港の往復手段として真剣に検討することにしたい。