フェミニズムとの折り合い

よくフェミニズムが行き過ぎて「表現の自由の検閲」になるなど、「フェミナチ」と言われることもあるようだが・・・
その「フェミ」にカウンターする「アンチフェミ」も最近はたいがいである。

経緯としては、初音ミクと結婚された方のツイートに対し「この人からドールを奪うのがフェミニズムなのか?」と哭き叫ぶようなツイートがあったので、最近そのような事件でもあっただろうかと思って聞いてみたところ、「お前らは目が見える盲目だ。ドールが焼かれたのを知らんのか?」という、何とも乱暴な回答が返ってきた。
少なくとも「フェミニストがドールを焼いた」という事件は検索しても出てこない。
何らかの主張があって、一人でも説得したい、味方が欲しいというなら、事例をひとつでもあげてくれてもいいのではないか。主張するにしてはやたら不親切にすぎないか? と感じた。

それでなくても、最近のアンチフェミに対して思っていたのだが・・・ つまりは「セクハラぐらい自由にさせてくれよな」という男権主義マチズモな考えなのだろうか。
少なくとも、そのような考え方に与したくはない。多数派に取り入って安全な所から少数派を叩くようなセンスは持ちたくない。

自分で自分を「フェミニスト」などを僭称するつもりはないが、差別のある状況を温存しておいてもいいとは思ってはいない。
そもそも、フェミニズム的に良い性的嗜好を持っているわけではない。こんな自分自身がフェミニズム的な主張をすることで、真っ当なフェミニストに迷惑をかけてしまうかもしれない
だから、今後にわたり自分はフェミニストと自覚するつもりはない。

そんなことを考えつつ、上野公園を歩いていた。

日本のフェミニスト団体は、大正8年11月24日、この上野精養軒で結成された「新婦人協会」をもってその嚆矢とするのだという。
決死モデル:チームTフジアキ

 

 

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