黒タイツの日2019

最近のTRS48においては「記念日撮り」が結構なウェイトを占めているが、今日は「黒タイツの日」なのだという。

これから冬も近づくので、この冬用の黒ストを誂えておかないといけない。

という事で、爪先などが剥げかかった古いナチュスト衣装を黒ストに転用するという作業を行う。

例年、まずは去年のベタ付いた黒タイツを全部シンナーで落とし(それも最後に使ったのは何と今年の7月13日!)、その上でサーフェーサーを吹いてその上に肌色を塗って、その上にクリアブラックを吹くという作業をしているのだが、これで毎年(少し気温が上がれば)ベタベタになるのと、思い通りの「デニール感」が出せないので、今年は思い切って、全部シンナーで塗料を剥がしたところに直接クリアブラックを吹くことにしたい。もうダメ元である。

そうして一晩乾かしたところ、意外にいい出来になっていた。
デニール感も50前後でいい感じになっており、何より爪を立ててみても剥げる気配がない。
最初からこの様にしていればよかったのだ。去年まで苦労していたのは何だったんだろう・・・!?
もっと欲を言えば、フトモモ付近は薄く、足首付近は濃くできればもっとベターだった。

さて、今シーズン初黒ストのために街へ出ることにしたい。

まずは中野へ行き、近く解体されるという住宅供給公社中野駅前住宅へ。
この中野駅前住宅は、中野駅南口から徒歩1分という超優良物件であるとともに、昭和26年建築という築68年の昭和建築でもある。
決死モデル:チームR園田

昭和26年と言えば講和条約発効前。駅前にはまだ闇市もあっただろうか。

世紀の変わり目あたりはまだ、色々な所にあった「1950年代情緒を感じさせるアパート」であるが、ここへきて急激に減ってしまった。
自分が新入社員として配属された地方都市にもあったが、とっくに無くなってしまっている。

既に大半の住民は退去し、取り壊しは始まっていた。
それでドアが運び出されたりしている。

住宅供給公社も、1棟ぐらい「産業遺産」か「文化遺産」かで、残してはもらえないものだろうか。
もっとも、残すにしても金はかかるわけで、関係者でもなく金を出すわけでもないのに、外から色々な事を言うわけにもいかないのだろうが・・・

さて。
とりあえず中野での来意は果たした。
次は、渋谷の「超福祉展」に行くこととしたい。

中野から渋谷へは、黄色い各駅停車から山手線に乗れば、新宿で階段を上り下りしなくても乗り換えることができる。

超福祉展を自分なりに解釈すると、「バリアフリーというものをオシャレというアプローチで進歩させるための展示会」となるだろうか。
渋谷という地で、ひたすらスタイリッシュさが前面に押し出されている印象を受けた。

新宿駅もたいがい工事中であったが、渋谷駅も桜田ファミリアよろしく方々で工事中である。

ただ、湘南新宿ラインと言うか埼京線のホームがより近くに移設されようとしていた。
この工事だけはぜひ進めてほしい。今の渋谷の湘南新宿ラインのホームは、まるで「渋谷駅」と呼称するのが適切なのかどうか迷う程、渋谷とは全く別の所にある。
決死モデル:チームY楼山

・・・が、いかんせん工事中であるために、色々な所を迷いながらヒカリエのある東口に出ることとなった。
超福祉展の会場は、ヒカリエの8階のイベントスペースとなる。

噂の「車椅子バービー」「義足バービー」が展示されている。

例えばこんなのを日本でリカちゃん人形でやったらどうなるだろう?
「障害者への差別だ!」とかそんなクソリプが付くだろうか。
日本でもやればいいと思うんだけど。例えば「リカちゃんを義足にするオプションパーツ」とか。
そうすると「リカちゃんを障害者にしないで!!!」みたいな悲痛な叫びをもらうことになるのかな。

また、他の展示に目を移すと可愛いパンプスに合う装具なんてのも展示されている。
装具はね・・・ 確かにファッションから色気を損なう感じがあるけど、可愛くしたら付けようという意欲も湧くのだろう。
身体に障害をおうと人生に対して絶望するというところから、このようなファッションというアプローチで希望を見出す、という人もいるかもしれない。
バリアフリーを考えるうえで素晴らしい試みかもしれない。

別のスペースでは、大学教授の先生や車椅子の当事者の人が講演会をしている。
車椅子の当事者は、何かのNPO団体の代表の織田友理子さんだった。
織田さんは難病で車椅子の身となられた方で、今や手先しか動かないということであるが、上品オーラは健在であった。うん。何と言うか織田さんは「上品オーラ」の人だ。

また、視覚障害者のための絵本などが展示されていた。
・・・あ、ところで「しょうがいしゃ」と入力するとまず「障碍者」と出るんだけど、こういう言い替えはあまり好きではない。
「障碍者」だの「障がい者」と言い換えれば、何かをしたつもりにはなれるが、何をしてやったというのだろう? なにより、障害者が生きる上での障害を与えているのは、効率を最優先する我々健常者ではないか。

件の講演では、「・・・心のバリアフリー・・・」みたいな声が聞こえてきたが、用事があるのでずっと聞くこともできず、次なる案件のために辞去することとした。

そんな黒タイツの日。

 

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