濹東を歩く

数日前、墨東公安委員会さんと「マージナルな性癖」についての話になり、自分なりに吐き出せないものを吐き出したことが非常に嬉しかった。
また、中目黒にあった義肢研究所(現在も南千住にあるが)の経営母体である鉄道弘済会の由来もご存知であった。(拙ブログで中目黒に行った時の記録は2018.12.29のエントリ参照)
何より「マージナルな性癖」を意外に身近な方も持っているということが非常に嬉しかった。
しかも同じ鉄ヲタときている。

せっかくだから、いつか行こう行こうと思っていた「墨東」いや永井荷風記すところの「濹東」を歩いてみたいと思う。

果たして「玉ノ井」に来たからにはまず東武とぶてつ博物館に詣でねばなるまい。
だて鉄ヲタなんだもん。
決死モデル:チームRナオミ

表にはDRC1800系が保存されている。
子供の頃は、ケイブンシャの図鑑で私鉄特急と言うと、この東武とぶてつ1800か、小田急のSSE(3000系)か、近鉄のビスタカーだった。

ただ、東武とぶてつのDRCはちょっと・・・ 格好いいとは思えなかった。
DRCのDというのは「ディーゼル」のことだと思っていた。
国鉄時代は特に、ディーゼルカーで「スマート」と言える車両は無く、まるでディーゼルカー並みに色気のない武骨な車輛だと思っていた。
それでも、国際観光地・日光への輸送を担い、国鉄が日光輸送から事実上手を引くきっかけを作った歴史的な名車でもある。

200円払って館内に入ると、ベイヤー・ピーコックの古典蒸機や5枚窓デハ1の他に、明智平ケーブルの搬器やキャブオーバーのバスも展示している。

そういえば日本バス協会は茨城の柿岡に古いバスを保存していたが、キャブオーバーバスには食指が動かないのだろうか。
ボンネットバスは、動態保存も含めて各所で保存しているのだが・・・

そういえば、子供の頃、親戚の家の近くにキャブオーバーバスが打ち捨てられていて、フロントグリルがやたら不気味だった記憶がある。あのフロントグリルの間から何か魔物が出てきそうで。

また、東武バスのモノコックボディの生首は「運転操作体験」もできる。

また、館外から見ることのできる日光軌道線200系は、館内からは車内に入ることもできる。
決死モデル:チームWBノノナナ

200系を移すなら、やはり連接部分がどうなっているかが見ものであろう。
車内モケットはビニールレザー張りで、1950年代の「近代化」を彷彿とさせる。

この200系には、車掌が2名乗務していたのだと言う。

そして5700系ニャンコの展示へ。
昭和28年が製造初年の5700系ニャンコが特急として活躍できたのは、実は10年にもならない。昭和35年には先述のDRCがデビューしているからである。

割を食った5700系ニャンコは貫通化され、今でいう6050系のような快速用車両の先駆けとして波動輸送を担った。
ちなみに最後の東武とぶてつ快速の旅は拙ブログでも触れている(2017.3.12「天国のバス駅」
たしか「八木橋裕子の物語」パシフィックセブン先生は、この貫通化された晩年の5700系をギリギリ知ってる世代じゃなかったかと思うがどうだろう?

さて、とりあえず東武博物館も見たし、ちょっと「青線地帯」玉ノ井でも見てきますか・・・
「玉ノ井」と言って、ダークツーリズムも盛んにやっている拙ブログであれば、昭和7年の「玉ノ井バラバラ事件」に触れねばなるまい。

今を去ること87年前となった昭和7年、かの池袋の事故で2名の死者を出しながら逮捕もされていない「上級国民」が東京市中野区で呱々の声を上げ1歳にもなっていなかった頃、今の墨田区寺島近辺は「東京市」ではなく「南葛飾郡寺島町」であった。

その3月7日の朝9時頃の事である。
環状線道路をペンキ職人が通っていると、玉ノ井の「おはぐろどぶ」に、ハトロン紙に包まれた異様なものがあるではないか。
なんか血みたいなのがにじんでる・・・?

ちょっと拾ってみようかねえ。何が入ってんだか分かったもんじゃねえが・・・ え・・・!?
こりゃ人間の死体じゃねえか!? 手も足もバラバラにされてやがる。驚いたの驚かねえのって、ねえ旦那。
一目散に交番に走って事の次第を警察の旦那に申し上げたんでさァ。

さあ、そして玉ノ井は蜂の巣をつついたような騒ぎになりまさぁね。
この手足の無ぇ仏様は一体誰なんでぇ、そんなこと言われたって誰もわかりゃしねえ。
分かったのは三十前後で富士額、たったそれだけときたもんだ。

そうこうしているうちに半年が経った。
警察だってそう無能じゃねえ。巡査のうちの一人がハタと思いだした。
三十前後で八重歯で富士額ときたらそういえば三年前に声をかけた女の子連れのあのルンペンはどこへ行ったんでぇ、ちょっと手帳を調べてみたらあったあった、この男だ。
ちょっと帝都の各署に電報打って調べてみようかねえ。

・・・そうしたらだ。本郷の本富士署からそれらしい男の手掛かりが返ってきたってんだから世の中分かんないね。

「本郷も かねやすまでが 江戸のうち」その住所には同居人がいたので訊ねてみた。
その男が言うには「へぇ旦那、この男はどこだかの薬剤師に借財があったとか無かったとかで、秋田の田舎に金策するとか言って行方を晦ましたきり帰ってこないんでさァ」

しかしどうもこの男の言う事も怪しいときてる。
何の必要があってそんな法螺吹きやがるんでぇ、キリキリ白状してもらおうか。署まで引っ立てい!

詳しく話を聞いてみたらこんな訳だった。
男が浅草公園を歩いていると、女の子連れのルンペンがあった。聞いてみれば「わたくしはこんなルンペンに身を窶しているが、実は秋田では豪農で田畑もあれば山林もある。盛岡の高等農林を途中で辞めはしたが柔道の段もあり尺八だって教えることができる」なんて言うじゃねえか。
ははァ・・・そんな男を世話してやれば、将来お礼にあずかれるかもしれない。
そんな欲の皮が突っ張ったのが運の尽きだった。
本郷の家で世話をしてやったところがすぐに怠け者の地金が出てきた。
秋田の田舎で争議がどうのこうの言ってるがこれだって法螺じゃぁねえのか・・・? 今じゃ家の誰もがそう思うようになった。
こんな男の与太話を信じた自分がつくづく馬鹿だった。
こんな男を生かしておくわけにはいかない。
ここは一思いに・・・

仏様も下手人も、欲の皮の突っ張った狐とタヌキの化かし合い。

滝田ゆう「寺島町奇譚」にも出てくる「おはぐろどぶ」について、手掛かりが全くないのだが、とりあえず「いろは通り」が玉ノ井の中心街だったという話は聞くので、ちょっとそっちに行ってみるか・・・

東向島の駅からいろは通りへ行こうとすると、祭囃子が聞こえてくる。
今日は白髭神社の祭典らしい。
決死モデル:チームRスマレ

そんな目出度い日に殺しの現場の詮索でもねえだろう。
そんな野暮はやめだやめだ。

ただ、この玉ノ井の「いろは通り」は、先の新聞にあった「環状線道路」との対照が悪い。
この界隈で「環状線道路」といえるのは、むしろ東向島駅から見て反対側の明治通りしか思い付かない。
この明治通りは、関東大震災の復興計画の中で、東京で初めての環状道路として計画されたという歴史がある。
そっちの方なのかな・・・

ちょっと行ってみようか。

・・・と水戸街道(国道6号線)と東武線が交差するあたりに、ピーコックの古典蒸機があった。
これは業平橋のヤードで入換でもしていたのだろうか。それとも矢板線で電車崩れの客車を牽いてた・・・?

これも東武博物館の一環のようで「SLスクエア」と呼ばれていた。
現在、東武とぶてつではJR北海道からC11をもらってきて走らせているが、いっそこのピーコックを復活させようという考えはなかったのだろうか。

何かもう事件がどこで発生したかとか調べる気も無くなってしまった。

さて、どうせ「濹東」を歩くのであれば、「鳩の街」にも行ってみようか。
鳩の街は戦後になってから発生した色街であるが、どう考えても昭和期の陰鬱で湿っぽいイメージしか湧かない。戦後になってもなお東北の農民は凶作になれば娘を色街に売ったという。その売られた先にはこの鳩の街もあった。

当然、売春防止法の施行から61年たった今、その手の店など影も形も無くなっており、単なる場末の商店街と化している。その商店も所々店じまいしているが、スピーカーからはピーヒャラピーヒャラ祭囃子が聞こえてくる。
決死モデル:チームP桃園

今日は高城神社の祭礼であるという。やはりこの街もまた「江戸」なのだ。

ちなみに、玉ノ井から鳩の街に来る途中に、東京都立墨田川高校があった。
ここは府立第七中学校以来の伝統校として、先述滝田ゆうや「甲子園は清原のためにあるのか!」植草貞夫や、アルフィーの坂崎幸之助を輩出している。
また、王貞治も受験して不合格だったことが知られており、たった2~3点の差であったという。
これで王貞治少年が合格でもしていたら「世界のホームラン王」は誕生していなかったことになる。

さて、ここまで来たらちょっと言問橋にも行ってみようか。
言問橋と言えば在原業平もそうだし、あとは四畳半フォーク。

鳩の街から一番近い墨田川の橋はX型の桜橋になる。

前にここで早慶レガッタを見た記憶が・・・
そして向こうが言問橋となり、アサヒビールの本社もかすかに見える。
決死モデル:チームTアンヌ

そして近くの箱型の建物は、台東区リバーサイドスポーツセンターだという。
もしかしてプールもある・・・?

と思ったら、プールは屋外にしかない。
これでは年中使うといったことはできない。

そして墨田川の右岸を歩き、スカイツリーが見渡せる所で一枚・・・
と思い写真を撮っていると、前の方から自転車に乗った、総白髪を後ろで束ねた五十がらみの女性に話しかけられる。

「今写真撮りました?」どうやら、自分がフレームインしたかどうかを気にしているらしい。
「あんたの写真は撮ってないよ!」務めて粗野に答えた。

「ブス」だとか何とかではなく、その女性の迫力に恐ろしい闇を感じてしまった。
これまでの人生で、相当何かやられたのではないか。

・・・と、その写真が残っていない。どうやらカメラからダウンロードする際にエラーで消えてしまったらしい。
ダウンロードの作業は、地下鉄銀座線の車内でやったのだが、かなりの枚数をまとめて行なったので、転送作業に漏れがあったのかもしれない。

今後の教訓として、撮ったらすぐにダウンロードすることにしたい。

 

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