デッドセクションの向こうへ

毎日猛暑ねえ・・・

自分はと言えばまた出張。
前回は釧路だったが今回はオワコン仕事で茨城である。

という事でこの暑さの中とてウルトラクールビズで柏へ。
決死モデル:チームP桃園

ところでこの衣装は首浮きひどいな・・・ それもそうか。大して熱心にジョイント部作らなかったもんね。

最近の常磐線は「ひたち」は完全に高萩やいわきのための列車となってしまい、上野を出発すると土浦にすら止まらず水戸までノンストップとなってしまう。
それで、柏から乗るとなると「ときわ」に乗るしかなくなるのである。

それにしても最近のJRの特急は全席指定になり、「特別急行列車」としての威信を取り戻しつつあるのではないかという気もするが、その実小田急や東武の特急のような私鉄特急化してるのではないか、という感もある。

勝田行きのときわ55号は取手~藤代のデッドセクションの先へ行く。

現在の「ときわ」は、快速のグリーン車のように、席の空き状況を赤緑のランプで示すようにしている。
緑のランプであれば「占有中」で、他の客は座れないという事になるのだが、これは逆にならないだろうか。
緑のランプがついていれば「座れる」、赤いランプがついていれば「占有中」の方が、トイレにしたってそうなんだし通りがいいような気がするのだがどうだろう?

さて、柏を出た「ときわ」はものの30分もせずに土浦に到着する。
そして30分強で石岡に到着。

石岡にはもはや鹿島鉄道カシテツは走っていない。
その鹿島鉄道カシテツのホームがあった跡地 ――駅としては裏口―― にバスターミナルがある。
今や石岡駅は橋上駅であり、表口も裏口もないのであろう。

ここから関東鉄道バスの柿岡車庫行きに乗ることに。
ただしこれは上志筑経由のマイナー系統で、石岡→柿岡が1日5本、柿岡→石岡は午前中だけ1日2本という状態である。
決死モデル:チームR真夜

マイナー系統はいいのだが、いかんせん時間がかかる。
地元客が10人程度乗っていたが、自分以外の客はすべて「須釜」というバス停で降りてしまった。
この須釜、今でこそすべて石岡市になってしまっているが、平成の大合併前までは柿岡車庫のある柿岡と同じ八郷町であった。
その「八郷」・・・昭和30年に柿岡町含む8つの村が集まった内の小幡村に須釜はあったようである。
小幡村でも中心というわけではなかったようであるが、兎も角もこのバスの系統で最も客の流れが多いのはこの須釜でしたという次第。

果たして柿岡車庫に到着。
八郷町の中心部の柿岡の市街地を抜け(車庫とは別に「柿岡」というバス停がある)、市街地の西端に車庫がある。
定期券販売所や待合室があり、国鉄バスのバス駅の面持ちすら感じる。
決モチームPみく

ちなみに、待合室に冷房は無く埃臭く、風の通る外で待った方がまだ暑さをしのげるというほどであった。

それ以上に注目すべきは、車庫内に各地の古いバスが保存されてあるという事である。

つくば市に本拠のある「NPOバス保存会」が白ナンバーで車籍を維持しつつ古いバスを保存しているようである。

まずは岩手県交通の昭和39年式日野BH15。金産ボディで「剣道面」というやつである。
ボンネットバスではありながら平成まで岩手県交通で現役であったという。
右は三重交通の車両で昭和41年式いすゞBXD30。いかにもな「いすゞ」顔で、トラックにもこんな顔があったような気がする。

そして地元関東鉄道の昭和47年式三菱MR410。
ボディは呉羽で、ひところのトミカのミニカーはこの型だった気がする。秋田市営バスとか琴電バスとか。

そして奥にいるのはNHK「ひよっこ」で有村架純も乗った山形交通の昭和42年式いすゞTSD40。
以前(2017.9.17)乗りに行ったこともあるが、実に昭和60年まで現役だったらしく、車内には山形~尾花沢の特急バスの広告も残っている。
晩年は新庄営業所の所属で、四輪駆動を生かして肘折温泉までの系統に入っていたらしい。

そして右側は信南交通の昭和42年式日野BT51。これまた寒冷地向けの金産ボディの車両である。

車籍は無いが廃バスはまだまだあり、蒲原鉄道の昭和42年式日産ディーゼル4R94もある。
4台あるうち真ん中2つは自家用のようで、右の車両は塗装から北陸鉄道か? と思ったらこれまた自家用のようだった。

・・・と、バスはこのくらいにして、用務地に行くことにする。
その前に、車庫の前にある蕎麦屋で蕎麦を食べるが、十割蕎麦の本格的なものであった。

 

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