99年の歳月

おおさか東線の新大阪〜放出が開業するという。

ということで、おおさか東線のすぐ脇で99年前に発生した事件についてダーク・ツーリズムを敢行することとしたい。

大正9年(1920年)12月。
この年の9月に発生した関東大震災の復興は進み、この4日には東海道本線が通常営業に戻ることとなった。

そんな大正9年12月7日の朝に大阪に配られた大阪朝日新聞では、大阪市外京阪電車沿線の野江にある池で女の胴体だけの死体が発見された旨を報じている。

後年、この池そして事件は「六反池」と呼ばれることになるが、この記事中では「洫池いちいけ」という表記がなされている。
この洫池いちいけというのが当時の呼び方だったのだろうか。
それとも、ある特定の池の種類に対する一般名詞?

漢字ぺディア」で見る限りでは、「洫」という漢字は「みぞ」とも「ほり」とも書くようであり、田んぼの間の溝をそのように書くようである。
となると、この池は農業用水として使用していたのであろうか。

ともあれ、発見者によれば池の脇で子供達が大騒ぎしているので何事かと思ったら、胴体だけの死体が出てきたというのである。
豚だろうと思ったら人間の女の乳房のようだ。
それで警察に届け出るということに相成った次第のようであった。

解剖の結果は、経産婦であり死後5〜10日経過しているものとの結果が出た。

それは一体誰なのか?
9月中旬に、男が村の火葬場に首だけ持ってきて埋めて欲しいと言ってきたのだという話も掲載されているが、しかし解剖の結果とも合わないし、関係ないのではないだろうか。
むしろ9月と言うなら関東大震災がらみではないかとも推測される。東日本大震災の時も、三陸地方で火葬場が足りず、遠く秋田県や山形県まで行って荼毘に付したという話はよく耳にした。

翌8日の大阪朝日新聞では、被害女性の身元についての捜査が続いていることを記事にしている。
洫池いちいけ」となっていた池の表記も「六段池」となっている。

この時点んで既に、身元はかなりのところまで割り出されていたようで、この事件の名前ともなっている女の名前が既に出ているが、他にも家出人候補はいたようで、確定はしていない。
ともあれ、その女は榎並町大宮にいる無職の男の若い妻ではないかという。

大宮といえば現在の地下鉄谷町線の千林大宮、つまり旭区大宮だろうか。
そうなると、この当時の大宮は東成郡古市村であったはず。
榎並町に「大宮」に該当しそうな地名もないし。。。

ともあれ、この行方不明になった女には姉がおり、その姉がリューマチで寝込んでいる間に、妹が旦那を寝取った云々でトラブルになっていたらしい。
しかし流石に家出してバラバラ死体になったなどと信じたくはなかったのであろう。「妹はもっと背が高いはず」と、それが妹であると認めようとはしなかった。

10日の新聞になると、既に被害者に関する情報は確定しているようであり、その情夫の所在が取りざたされていた。
その情夫は、前月の11月25日に郷里の福島県で仏事のために帰省すると行って大阪を後にしたのだという。
当時、この男の郷里である福島県伊達郡粟野村には、福島駅から狭軌ナローゲージの信達軌道が開業しており、この男も向川原駅で降りただろうか。

いずれにせよ、情夫は福島県内で逮捕され、11日には大阪に到着する筈だということが報じられている。

では、その情夫が犯人であるとすればその動機はなぜ?
被害女性は自らの夫にも内緒で、情夫とその妻に相当な金を貸していたのだとも書かれている。
ということは、情夫からしてみると妻公認で不倫をしていたということ?
しかし、被害女性の夫からすると「人の妻を横取るしからぬ男だ。バラバラ死体は妻でないことを祈る」とコメントするのが精一杯の状況であった。

ところで、ここへ来て新たな目撃談も出ていた。
それは前月の20日ごろ、夜3時ごろ小用に立ってみると近くから女の悲鳴が聞こえ、それっきりになっていたが、この月になって六段池で女のバラバラ死体が上がったと聞いて、まさにあれだと直感した、ということであった。

翌12月11日の大阪朝日新聞には、加害者と被害者の人間模様が囲み記事で書かれているが、高級紙クオリティ・ペーパーだてらに実話週刊誌もびっくりの愛憎まみれの記事になっている。
ちょっとこれはさすがに掲載できない・・・

そして「厳重なる取調を続けたる結果」ついに情夫は犯行を自白する。

ちなみに、戦前の刑事訴訟法は犯人の自白をメインに据えており、その戦前を経験したことがある刑事が「戦後になって人権尊重になり捜査や取り調べがりやりにくくなった」と臆面もなくボヤいているほどである。
自白までどのようなプロセスがあったのか、それは想像したくないほどである。

いずれ、ここで報道されている犯行の経緯としては、
11月17日、愛人関係にあった被害女性が加害者宅に訪ねてくる。
その夜の日付が変わった翌18日0:30頃絞殺。
手足をバラバラにした上で、3時過ぎに六反池に死体を投げ込む。
27日、郷里で法要があるといって福島県へ帰る。

結局、この事件があってからというもの、犯人の妻は発狂し、妻の父、つまり犯人の岳父は自殺してしまった。

・・・ということで、深圳も開業することとて、ダークツーリズムに赴くこととしたい。

果たして、東京駅から久宝寺までの切符を買う。
決死モデル:トルソーさん霧島

ところで何故JR野江ではなく久宝寺なのか?
それは、JR野江まで切符を買うと「大阪市内各駅」となってしまい、切符の券面に「おおさか東線経由」と書かれないためである。
せっかく新線に乗った証拠を残したいのにそれは切ない。

兎も角も、博多行きののぞみ23号で新大阪へGOである。
新幹線の車内では、これまで溜まっていた仕事をこなしたり、日記を付けたりなどしたかったのだが、徹夜案件後でもあり、眠くてしょうがなかったので何もできなかった。

そして12時37分、新大阪に到着。
決死する暇もなく、12時41分に2番線からおおさか東線の久宝寺行きが出る。

危ない所で駆け込み乗車して出発。
暫くは東海道緩行線を223系と並走するが、東淀川は素通りするようになっているようである。

そして南東方へ分岐して南吹田へ。
決死モデル:チームWBナギサヤ

このような感じで新駅が続く。
しかし線路自体は城東貨物線として、上述の事件から10年と置かず昭和4年に開業している。

そしてJR野江に到着・・・
しかし、とりあえず下車せず、おおさか東線の乗り潰しから先に行うこととする。

そして久宝寺に到着。
決死モデル:チームWB嵐山

ホームの構成としては、外側の1番線と4番線が関西本線でJR難波~奈良方面、そして2・3番線がおおさか東線として新大阪へ行く方向となっている。
新大阪から奈良へ行く直通快速は、朝晩数本しかない状況であり、新快速のようにすぐに乗れるようなものではなく、ライナー的なダイヤとなっている。

さて、ここからJR野江に戻りますか・・・
沿線は工場が多い。かつてはこれらの工場へ材料を貨物列車で運び、なおかつ製品を貨物列車で運び出していただろうか。

貨物線に旅客駅を取り付けただけに、シンプルな対向式ホームになっている。
一応、京阪の駅への乗り換えも案内されている。
京成の関屋と東武の牛田ほどではないが、かなり近い位置の野江駅がある。
決死モデル:チームYジャスミン

駅員は一応いるが、切符売り場はない。全て自動券売機で買うようになっている。
駅の西側が「野江口」、東側が「生育口」となっているようであった。

さて、では事件の現場はどこか。
六反池の事件について触れたページが、新聞記事と国土地理院の航空地図から六反池の位置を正確に割り出していた。

それはJR野江駅からすぐの場所にあった。

もちろん現在は池など全くなく、普通の住宅地が広がるだけである。
そんな事件の99年後の話。

 

 

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