第386回水泳と思ったら・・・ ~63年前の銃声~

今日は第3月曜日で千代田区のプールも中央区のプールも休み。

・・・ということで、今日はどこか遠出しようか。
とは言っても「旅打ち」するほど時間に余裕があるわけではない。

ここはひとつ、ダークツーリズムがてら三鷹方面へ赴くこととしたい。
では何のダークツーリズムか・・・

それは今を去ること63年前の昭和31年のこと。

戦前は中島飛行機の工場で賑わった武蔵野町は昭和22年に武蔵野市として市制され9年が経過し、前年には三鷹市との合併が武蔵野市議会で可決されたものの、相手方の三鷹市議会では1票差で否決され、合併話は棚上げになっていた。
これが武蔵野市の昭和31年である。

その11月23日の早暁、市営グランドに何発もの銃声が轟いた。
そしてその銃声の後には警察官が血を流して横たわっていた。
撃った男は車でこの市営グランドの北を東西に走る青梅街道を逃走したらしい。

発見したのは、鶴見の現場に行く途中の作業員だった。

警察官は新潟の高校を卒業して2年目の若い警察官であり、殉職として2階級特進となり、警部補となった。

目撃証言はその他にも上がってきた。

牛乳配達員が事件現場で車に乗った2人組の男を見ていたのである。

事件は23日6:10頃発生したが、そこからさかのぼること2時間余りの3:40頃現場を通った時、車に乗った2人組の男を見たのだという。
1人は車の周囲を伺うように立っており、もう1人は運転席の座席を外すしぐさをしていたのだという。

車に興味のあった牛乳配達員は故障しているなら直すのを手伝うつもりで近寄ったのだという。
2人はともに身長5尺3~4寸であったというので、約160cm程度であろうか。

また、現場から発見された薬莢から分かったことは、その当時の米軍でも使用していない古い型の拳銃であったということであった。

捜査線上には、2人の男が浮かび上がる。
そのうち、1人は東大を出たという秀才であったが、その行方は杳として知れず、昭和32年を迎えることとなる。

指名されていた2人の男のうち、東大出ではない方が昭和32年年3月2日に、桜田門の警視庁に出頭した。
曰く、「撃ったのは相方(東大卒)の方だろう。奴とは1日に大阪で別れた。奴は2〜30万円からの金を持っていた」

警察としては、麻薬の密貿易方面を洗うことにしたようである。
また、相方の男曰く「奴の正体はよく分からないが、車には詳しかった。ピストルや弾丸を持っていたというのも聞いたことがあるので、巡査殺しは奴がやったのではないか。事件当日は池袋のアパートにいたが、奴にお前がやったんじゃないか聞くと、否定はしていなかった」

ただ、この相方の男のアリバイについて、実名まで出ている愛人に聞いてみると曖昧なところばかり。
やはりこの相方も、警官射殺事件に重大な関与をしているのではないかという見方が濃厚となった。

その3月3日の夕刊も、事件の進展としては代わり映えはない。
相方の男が「自分は車の処理を頼まれただけ」

ただ、それ以上にこの紙面に色々と時代相が出ているので取り上げざるたかったのである。

まず、翌昭和33年4月1日に施行はが迫っていた売春防止法であるが、では働いていた娼婦たちはどこに行けばいい? ということで、各県で婦人相談所や保護施設を整備しようにも、なり手がいないという現状であった。
また、厚生省などで関連予算11億8600万円要求したが、大蔵省の査定で4億5200万円にまで減らされたのだという。
また、地方予算でも財政赤字を理由に予算をカットされた県も少なくなかった。
施行が迫っている割には、全くもってお寒い状況であった。

また、扱いは小さいが家庭内での自殺が2件報じられている。
拙ブログでも千波湖の事件で触れたが、一家心中も後を絶たない時代だった。
昭和30年代を「貧しいけどいい時代だった」とするのは、生存者バイアスに過ぎないことを窺わせる記事ではないだろうか。

また、下の広告では絆創膏を扱っているが、このバッテン型の絆創膏は漫画でしか見たことがなかったが、ここで実在を初めて知った。

横道にそれるのはこの程度にして先を急ぎたい。

取り調べが進むにつれ、巡査殺しの事件は東大での男が主犯ではないかという確信を持つに至ったようである。
それは、車の持ち主がこの男であったからということであった。

また、「第三の男」として、戦後しばらく神戸市警で巡査をやっていた男の存在が上がった。
この男は、拳銃を売り払って懲戒免職となったのだが、その拳銃は、本件犯行で使用された拳銃と同型のものであったという。

また、同じ紙面では全購連汚職について触れられている。
この汚職事件については、拙ブログではホルマリン事件の時も触れている。

また、現在「都民の水がめ」として知られる小河内ダムも建設の途中で、近く水没することは決まっていた。
そこで、温泉で最後の一儲けを企む人々について触れている。

そして3月4日、ついに東大出の男の方も武蔵野署に出頭する。実に事件発生から102日目のことであった。
ただ、犯行を認めたというわけではなく「指名手配されて迷惑なので出てきた」という人を食ったような言いようだった。
人定質問にも「多分そうだと思います」だったら出てくるなよという気もするが・・・

ただ、供述の内容としては、相方の男と3月1日まで一緒にいたという点では一致していた。
本当であれば、3月2日に一緒に出頭しようと決めていたのだという。
それが相方に裏切られて先に出頭された・・・というのが言い分であった。

ところで、この男はどのような男であったか。
旧制水戸中学から水戸高校を経て東大理科に入ったのだという。
この時点で26歳であったといので、昭和5年度の生まれである可能性が高い。
そうすると、旧制中学時代を戦時中に過ごし、高校は戦後でほぼ「最後の旧制高校生」ということになりそうである。
それほどの秀才であったが、犯罪気質は抑えられなかったようである。

結局、無期懲役が言い渡され、昭和51年まで服役することとなるが、その後平成14年に、名古屋でUFJ銀行の現金輸送車を襲撃する事件を起こすこととなる。
拳銃で世の中を変えようというその考えは、ついぞ改まることはなかったのである。

さて、その跡を偲ぶダークツーリズムであるが、その犯行現場の近くに武蔵野市営プールがあるのである。

三鷹駅からの関東バスでも「市営プール前」と堂々とバス停名にまでなっている。

この先、割と重いダークツーリズムが控えているのでデカレン出身のジャスミンはそちらで出すとして、今回の決死モデルはスマレに務めてもらうこととする。

右手にプールがあり、左手には市営グランドがある。
当時は単なる土盛りだった観客席も今では立派なものに変わっている。

ところで、外からプールを見ていると、営業時間の9時が過ぎているにもかかわらず、水面が波立つこともないようである。
武蔵野市の朝の9時は誰も来ない時間なのだろうか・・・?

そう思って見てみると、何と3月中旬は、水回りの工事のために休みなのだという。
そりゃないよ、、、

そういえば、つくばの洞峰公園のプールに行った時も、その時に限って券売機の改修だかで休みだったのだ。それも自分が行った時にピンポイントで。
何でこういうことになるんだ? あれか? 3月だから仕方ないのか? ドラマにもなった「県庁の星」じゃないけど「予算は年度内に使いきれ!」って言うお役所の論理か?
本当にどうしようもないな・・・

さて、現場に行くとしましょう。

事件現場は分かりやすいところにある。
市営グランドも、大野田小学校も事件当時と同じ場所にある。

また、事件発生当時の新聞の地図にあったアメリカンスクールは、中島飛行機の跡地の米軍が接収した用地に勤める子弟のためのものであったようで、それはWikipediaの武蔵野市の項にも書いてある。
その跡地が現在武蔵野市役所となっている。

青梅街道に逃げたと言うことは、この写真で見ると車は向こうを向いていたと言うことになるだろうか。
そして警官も向こうからやってきて職務質問を始めたのだ。
警官にしてみれば、もう少しで夜勤明けの交代の時間だっただろうか。

そして三鷹駅へ向かう通りは、新聞では「さくら通り」と書かれていたが、現在でも桜の木のトンネルとなっている。もう少しすれば、桜の木で満開になることであろう。

そして、もののホームページによれば、殉職した警官の胸像は今でも武蔵野署の中にあるのだと言う。

武蔵野署に電話して見せてもらおうか迷ったが、そこまで警察署の業務をdisturbeしてまで見たいと言うほどのものでもないので、とりあえず警察署の外観だけ撮ることにした。

他の警察署同様、特殊詐欺への注意喚起と警察官募集が宣伝されていた。

 

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です