【義手と義足の昭和史】西洋は見た目重視、日本は機能重視!(キリッ(S12.8.27)

昭和8年「我が代表堂々退場す」の時は、中華民国は満州非承認の急先鋒であり、なおかつ中国大陸では局地的な戦闘が勃発していたとは言うものの、全面的な戦争に至っているというわけではなかった。

その状況が一変するのが昭和12年7月7日の夜である。

その舞台となった盧溝橋の歴史は非常に古いく、金代の1192年に完成している。
そして13世紀に「東方見聞録」をものしたマルコ・ポーロは、この盧溝橋を「世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さ」と表現したというほどの橋である。
爾来七百幾星霜、科挙に赴く受験生が渡ったかもしれないし、宦官が渡ったかもしれない。
そして元代、明代、清代ときて中華民国の時代となり、中国も外圧という形ではあり、非常な痛みを伴いつつも近代国家の道を歩んでいくことになる。

中華民国になって26年目、すなわち民国26年7月7日の晩、謎の発砲が起きる。
日本軍はこれを中国兵の仕業であると難詰した。
このいざこざは思いのほか大規模な戦闘に発展することになった。
これが日中戦争の始まりである。

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第319回水泳 ~生涯2回目の119番~

体重の推移は以下の如し。

昨日は何の故でかシャブに・・・いや、しゃぶしゃぶに手を出してしまった。

炭水化物はないとはいえ、あくまで今はカロメ生活なので、ある程度以上まで下がらなかったらシャブには手を出さないことにしたい。
とりあえず次なる目標は-2.0としよう。-2.0に到達したら、シャブ食べ放題に手を出すことにしよう。

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【義手と義足の昭和史】我が代表堂々退場した頃(S8.12.13)

昭和8年2月24日、スイスはジュネーブで行われた国際聯盟総会にて。

リットン調査団の報告書に基づいた対日勧告書(満州国を国家承認せず、国際管理下に置くこと)が賛成42、反対1、棄権1の圧倒的多数で採択されると、大日本帝国の全権代表として出席していた松岡洋右は憤然として退場、翌25日の東京朝日新聞では「我が代表堂々退場す」という今日残る名文句の見出しで報じられることとなった。
ところで、この見出しでは「聯盟よさらば!」とあるが、国際聯盟の脱退を政府として決定したのは3月8日、それを国際聯盟に通告したのは27日であるという。

当方としても現在話題となっている百田某同様、Wikipediaで見る以上の近代史に関する知識は持ち合わせていないのだが、この後の日本の国際的孤立を象徴する出来事となったこの「堂々退場す」にしても、その前段階の「十字架上の日本」という、日本の立場を述べた英語の演説は、松岡のその英語力が英仏など各国の代表に好評ではあったという。

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【義手と義足の昭和史】もう一つの南京事件(S2.7.9)

現在、Twitterで「南京事件」で検索して最もいいねやRTが多いのは、安田峰俊氏のこのツイートではないだろうか。

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第317回水泳 ~行くべきプールに関する総合的な検討~

体重の推移は以下の如し。

最近のカロメ生活では、徹夜案件後は体重が減るのが普通だったが今回が増えている。
昨日プールに行った後、コインランドリー周辺にコンビニが全くなく、中華料理を食べたから・・・? 会社でお菓子食べ方から・・・?
思い当たる理由はいくらでもある。

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第316回水泳 ~穴場の洗乾機~

体重の推移は以下の如し。

体重は一応順調に減っているとみていいだろうか。
それでもまだ足りない方なんだけどな・・・

今日はやりたいことが色々とあり、息つく暇もない。
加うるに洗濯物も乾かず、コインランドリーで乾燥しなければならなかったので、また余計に時間を食ってしまった。

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【義手と義足の昭和史】昭和元年の義手(T15.6.29)

平成も残すところあと少し・・・

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