とくべつに あじ つけたった

・・・とはいっても別に「事件現場を歩く」でグリコ・森永事件の跡を回るというわけではない。

とりあえずプールから上がったら、房総方面を目指すことにしたい。

とりあえず津田沼へ。
決死モデル:チームTエリー

とりあえずは快速の君津行き。
総武線の快速は成田空港行きが1時間に1~2本、外房線の上総一ノ宮行きが1~2本、内房線の君津行きが1~2本、そして千葉止まりが1~2本で成り立っている。
その君津行きで内房線を目指す。

途中、蘇我では京葉線から来たE231系の上総一ノ宮行きに接続するために5分停車。津田沼ではコカコーラゼロは売っていなかったので、蘇我のホーム上のNEWDAYSで買うことに。
しかし津田沼にはホーム上コンビニなくても蘇我にはあるんだな。そういえば松戸にもなかったか。もはや蘇我は「汽車駅の面持ち」といったところだろうか。

そして君津に到着。
同じホームから209系館山行が出発する。
決死モデル:トルソーさんナイ

そういえば君津駅は橋上駅だった。
君津には親戚がおり、子供の頃に来たことがある。
田舎には橋上駅なんてなかったので、生まれて初めての橋上駅だった。
その頃、君津駅で発行する切符は地図式の硬券だった。そこから、まだ京葉線が開業していなかった頃のディズニーランドにも連れて行ってもらったものだ。
当時は東西線の浦安駅からオリエンタルランド交通でディズニーランドに行ったものだ。

さて、外房線もここまでくると山と海に囲まれた素晴らしい車窓が広がる。

そして上総湊に到着。
典型的な千葉局型の駅舎であり、富津市の代表駅である大貫もこんな感じの駅舎である。
昔の両国行きの汽車もこの駅は見守っていたであろう。そして千葉駅でスイッチバックしていたはず。
決死モデル:チームY城ヶ崎

・・・で、バスなんだけどどこから出るんだ?
タクシーのポールはあってもバス停はない。
で、そのタクシーのポールが悲しいのは「運転手の退職により駅前で客待ちできない。お呼びいただいても1時間ぐらい時間をいただく場合もある」と・・・
どこもかしこも地方は大変である。

果たしてバス停・・・ というかそれなりに大きなバスターミナルだった。
これ、なかなかいいじゃない。切符売り場(定期券しか売ってないとは思うが)があり、待合室は軒先オープンになっているが雰囲気は充分。
何ですぐに分からなかったかというと、赤い字の「バスのりば」の看板が、日に焼けて退色していたからである。

程なく戸面原ダム行きのバスは出発。
・・・と、お婆さんが「友達がすぐそこに来るんだけど・・・ 交差点を出た所で止まってもらっていいですか?」
「いいですよ」
「すみませんね・・・」
「いいんですよ。田舎のバスですから」

田舎のバスと言えば、あの徳宿村に行く関鉄グリーンバスはSUICAが使えた。
しかし今回の日東交通では使えない。
やっぱりこの辺りは企業体力かね・・・

その「田舎のバス」はどんどん山に分け入る。

そして「関豊駅」というバス停で降りることに。
決死モデル:チームY楼山

この戸面原線では、「たまき駅」というバス停もあった。
鉄道も走っていないのに「駅」つまり国鉄バスのようなバス駅か。

さて、その「駅」らしき面影を探してみようじゃないか。
・・・と、それはすぐに見つかった。
錆びた軒看板ファザードを立てているあの廃屋は・・・?
どう見てもそれらしき匂いがプンプンする。

近寄ってみると、何やら事務所らしき建物。
中には古い黒電話やソファーが置いてあり、数十年前には営業をやめている雰囲気である。

そして「運輸省免許 貨物自動車運送免許」という札を掲出している。
これは本物だ。少なくとも貨物輸送はやっていたのだ。例えば国鉄の信濃玉川駅のように。
この界隈で収穫される農作物とは何だろう? 兎も角も、東京方面への積み出しはここを拠点にしていたはずである。
そして貨物列車は新金線を経由して秋葉原に行っていただろうか。

今回の目的は、この自動車駅ではなく、あくまで高宕山の自然動物園であったが、思わぬ拾い物だった。

さて、今日の主目的である自然動物園であるが・・・

元々、ここはニホンザルの群生地であり、昭和31年に地元民が餌付けして「自然動物園」にしたのだという。
開園の翌年の昭和32年には、皇太子殿下(今上天皇)がご視察に訪れているという程だという。

ここで素晴らしいのは、100円で餌を買えば餌付けできるという事である。
何といっても動物には餌をあげないとなついてはくれない。
ということで、100円でサツマイモを切った餌を買い、猿にあげてみることに。
カンボジアの時に続き、今度は日本酒で味を付けてみた。
さて、今回はどんな反応をするか・・・

youtubeには、味を覚えた猿という動画があったが、ここの猿は真面目である。
一旦匂いを嗅いで、違和感を感じると捨ててしまう。他の人があげる芋には飛び付くのに・・・
あと、やたらとこちらを警戒している。
カメラを向けると武器だと思うのか逃げてしまう。これでは撮影できない。

そのうち、知恵を付けた猿が、味を付けた芋を地面にこすりつけて、その匂いを抜いてから食べるということを覚え始めた。ほほう。さすが猿は霊長類というだけはある。
とにかくこいつらは好きではないらしい・・・

と、飼われている柵から抜け出したのか、それとももともと野生なのか分からないが、外に出ている猿がいる。
目を合わせると「やんのかコラ!」とばかりに威嚇してくる。その姿はまるでヤンキー。・・・ああ、荒れた教育現場では、いっそ霊長類学の知見を活かして教育してはどうだろうか。どちらもその狭い集団内の力関係に依拠して生きているのだから。

で、件の猿であるが、こちらがカメラを向けるとビビッて逃げてしまう。やはりカメラを武器だと思っているらしい。
ためしに、例の匂いを付けた芋を投げてみると逃げる。やはり、一度覚えるまでは「怪しいもの」「生存本能を脅かされるもの」として拒絶してしまうのだろう。

例えば、長野の地獄谷の温泉猿だって、寒さをしのぐために温泉に入ることを学習して、そこの猿たちが温泉に入る習慣を付けたのだという。

やっぱりねー・・・ 猿を学ぶということは人間を学ぶということになるのではないだろうか。霊長類学の醍醐味というのはそこにあるのではないかと思う。

さて、15:37のバスが近づいたので帰る準備をするとしましょう。

帰りのバスから見た「環駅」は、一応ソファーの待合室が軒先においてあり、他のバス停とは一味違う雰囲気を醸し出していた。

 

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