人に信者と書いて儲けると読む

文さんとこの宗教は今日も元気。

ところで、いっつも不思議に思う事があるのだが、日本では差別は絶対悪とされており、誰も彼もが「差別」認定されることを必死で忌避している。あの曽野綾子やはすみとしこのようなパブリックエネミー級の差別者までが「差別ではありません。区別です」という言い方をして逃げるほどである。

そういう中で、なぜか新興宗教だけはその「差別は悪」の範囲外にいるような気がしてならない。
例えば、リベラル論客として常々尊敬している早川タダノリ氏にしてからがこの調子。

「文が鮮明」つまり文鮮明、統一教会の教祖を揶揄しているのである。
統一教会を真面目に信仰している信者もいるだろうに、彼らに「差別」と受け取られかねない文章ではないだろうか。彼らは差別されて構わないのだろうか。
・・・という事を思ったりすることもある。

ただ、その実態を報道などから伺う限りでは、宗教など隠れ蓑であり、結局は洗脳して金を儲けたいという教祖や上層部に対しては、やはり蔑視されてしかるべきという考えなのだろうか。

と、そんなことを考えたのは、松戸駅前で「祝福結婚がどうたら」とビラを撒いている中高年男女がいたためである。
決死モデル:トルソーさん霧島

ところで、この演説してる統一教会のおじさん、こちらがカメラを向けて撮ったら30秒ぐらい止まってしまった。
何だ? 見てほしくて演説してたんじゃないのか。撮られたくらいでフリーズするってどんだけ豆腐メンタルなんだ? という気もしなくはないが、まあごめんなさいですよね。

ところで、イトーヨーカドー側では今度は「NHKから国民を守る党」の演説。

こちらは突然のカメラにも笑顔を崩さない。
やっぱネタなのかなこの人達。

そういえば松戸市議会選挙近いね・・・

 

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