2011年「切断女の夜」が終わってからしばらくのこと ~もう時効だよね?~

もはや伝説と言っていいイベントとなった2011年7月16日の「切断女の夜」。
拙ブログでも独立ページを設けてまでイベントレポートとして触れている。

その後しばらくのことについて振り返ってみる。

それまで、主催したの片山真理ちゃんとはmixi等でつながってはいたものの、当方の引っ越しやらMOON BASEの閉鎖やら向こうの多忙やらで疎遠になっていたところ、彼女は当方の出席を非常に喜んでくれた。
また、予想以上の盛況に彼女は2回目をやる気満々だったようで、「次はスタッフになってみませんか」と言ってくれた。

「俺なんかで役に立つかな・・・?」
「大丈夫ですよ」

口では消極的な感じだったが、実は満更でもなかったのだ。
何より、ナマモノとの出会いへの望みを完全に失っていたわけではなかったということが、むしろ「懊悩」に変化していった。

いつになったら「次」をやってくれるんだ・・・?
いつ俺に声が掛かるんだ・・・?

これまでを振り返っても、この時ほどdevoteeやっててつらかったことはない。
国際福祉機器展の時の項でも触れたが、なまじ浜辺で砂金を見つけるような確率でナマモノを見てしまったら欲しくなるのだ。そしてそれは到底自分の手に入るものではない。
その時、自分はストーカーにでもならず耐えられるだろうか?
そういう事があって、意外に思われるかもしれないが自分はNHKの「バリバラ」も見ていない。まだ「画面の向こうの存在」「ステージの向こうの存在」と割り切れない自分がいたのだ。

でも最近は、「まあいいかな・・・」という境地になっている。
人間と人間なんだから、合うと合わないはどうしても出てくる。
あくまでステージの向こうの存在、それでいいじゃないか。

・・・と、自分の気持ちに区切りを付けるために書いてみた。

会場となった新宿・職安通りのネイキッドロフト。
決死モデル:チームR園田真理

こんなイベントは史上初めてだったので、全国に散っているdevoteeさん達が集まることとなった。

たしか2次会は新大久保寄りの韓国料理店、3次会は歌舞伎町寄りの格安居酒屋だったと思う。
少なくとも、北陸のあの人、中国地方のあの人、そして例のネカマちゃんも来ていた。「あ、この人だったのか」と。実際は気の良さそうなオトウサンだった。詳細に突っ込んでやろうと思ったけど、さすがにそれはしなかった。

あの夜、朝まで飲み明かしたみんなも今では、真理ちゃん含めみんながそれぞれの日々を過ごしている。
それでいいじゃないか、と。

そんな「私的devotee史」の1ページ。

 

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