事件現場は深山幽谷

全国的にも有名な秘境駅・土讃線坪尻駅―――

周辺は全くの無人で、なぜ今ここに駅があるのか不思議なほどである。
もはや「秘境駅」目当ての客しかいないのではないだろうか。

そんな坪尻駅の前にはかつて「駅前商店」があり、そこに強盗が入ったことがあるというのである。
今回の「事件現場を歩く」は、その事件を追う事にしたい。

今を去ること55年前の昭和38年10月9日の朝、「土佐の一本釣り」の舞台となった高知県高岡郡中土佐町の久礼小学校で宿直していた女性用務員が殺されていたのが発見される。
警察としては怨恨と物盗りの両面から捜査を開始することになった。

ところで、前述「土佐の一本釣り」の主人公・純平が中学を卒業して漁師船に乗る所からビッグコミックに連載が始まったのは昭和50年のこと。そうすると純平は昭和34年生まれで、2歳年上のヒロイン八千代は昭和32年生まれ。
そうすると「久礼小で小使のおばさんが殺されたことがある」ぐらいの話は親から聞いたことがあるかもしれない。

隣の記事では、北京で「日本工業展覧会」が開催されているというニュース。
場所は西直門の北京展覧館で、中ソ蜜月時代に建設した小ぶりのスターリン建築が写っている。このスターリン建築もどきは現在でもある。

また、一番下の広告欄を見ると、「処女物語/童貞物語」という、今であれば物議を醸しそうなタイトルの映画が並んでいる。
いずれも洋画で、「童貞物語」とは1962年公開のフランス映画「Les Nymphettes」、「処女物語」とは1962年公開のアメリカ映画「The case of Patti Smith」。

それから1週間後の10月16日の徳島新聞で、今度は徳島県の山奥・池田町で浄水場管理人一家5名が惨殺されるという事件の発生を報じている。

この時点では、まだ1週間前の隣県・高知県の久礼小学校の事件と結び付けて考えられてはいない。

他のニュース・・・はこの面にはほとんど無く、ほとんどをこの事件に割いている状態である。
「類を見ぬ凶悪ぶり」という記事では、それまでに徳島県内で発生した大量殺人事件について触れているが、昭和15年7月6日にも、やはり池田町で5人殺しが発生したのだという。その時は軍規違反をしたと思い込み一家心中を図ったものであるという。一家心中を考えなければならないほど「軍規」とは重いものだったのだろうか。

そのような中で、あえて他の記事を探してみると、隅っこに「空路・海路」の時刻表がある。
海路としては、小松島港から神戸・大阪と和歌山へ、徳島港から神戸・大阪へ、鳴門港から神戸・大阪に出ている。
空路としては、「徳島航空隊」から大阪空港に1日4便出ていたようである。
また、水中翼船が鳴門から神戸に1日3本出ていたようである。

同じ16日の夕刊もやはり関心の焦点は引き続き池田の事件である。
被害にあった家では、戸締りをしていなかったことが報じられている。
日本のムラ社会では「戸締りをしただけで村人を警戒したと思われて村八分になる」という話も無くはないというが、ここでもやはり・・・?
そういう事がないにしても、山の上の一軒家で、強盗の心配もないと思ったのだろうか。

また、事件のあった15日の夜、「覆面の賊現わる」との見出しで、坪尻駅近くの商店にタオルで覆面をした強盗が入ったとのニュースが報じられている。
これこそが今回お目当ての「坪尻の事件」である。
とはいえ、坪尻の事件では死者が出たわけではないので扱いは浄水場の事件よりは小さい。

他の記事に目を移すと、右下には「徳島駅に鉄道貨物の相談所開設」の旨の記事がある。
徳島県内の中小企業の発展に伴い、貨物輸送量が増大しており相談所を開設する、というもの。
徳島県と本州の連絡手段と言えば、小松島港からの紀阿航路(南海フェリー)があったが、こちらは貨車航送をしておらず旅客のみで、貨車はもっぱら宇高連絡船が担っていたようである。

坪尻の事件は、翌17日の朝刊にてより大々的に報じられており、当該の店の写真も掲載されている。

軒先には公衆電話やたばこの看板もぶら下がっており、かつての個人商店らしさを彷彿とさせる。

事件としては、15日の21時頃、ラジオを聞いていたらこの商店の家で飼っていた犬があまりに吠えるので何事かと思ったら覆面をして鉈を持った賊が現れ、「池田で人を五、六人殺してきた」と押し入った。
店主は恐怖感を覚え、ポケットから2,000円を差し出した。
その他賊は店先のお菓子をポケットにねじ込み、坪尻駅方向に去っていったというのである。
足跡も浄水場の事件と一緒、それも賊自ら「池田で人を殺してきた」と言っているというのであれば、もう事件との関係は自明というものであっただろう。
ただこの時期は秋雨前線の時期。捜査も雨で難航していたようである。

他の記事に目を移すと、翌年の東京オリンピックを控え、聖火パレードが徳島県内でも行われていたようである。

難航する捜査に情報も少ないためか、翌18日になると扱いは小さくなり、浄水場の事件と坪尻の事件で足跡が一致したという程度の新情報であった。
何よりこれは高知新聞であり、9日の久礼小学校の事件との関連性が見つかっていないという事もあったのかもしれない。

それ以上に大きく扱われているのは、国際陸上競技高知大会で、その当時の世界の陸上選手が急行「黒潮」で高知入りするというニュースである。
サンロクトオのダイヤ改正で土讃線にもキハ58が導入され、写真の車内はキロ28であると思われる。

ちなみにこの「黒潮」、運行区間は高松~須崎間で、東京発の151系特急「富士」との接続を行っていた土讃線の最優等列車であった。
この他、大阪~宇野の151系特急「うずしお」に接続するダイヤで、高松~高知の「浦戸」も走っていた。

また、他の記事ではこの時から14年前になる昭和24年に香川県内で酒癖の悪い兄を殺した夫婦が滋賀県に住んでいた所、その兄の亡霊にうなされ時効寸前に滋賀県警水口署に自首したという事件もある。

また、この年3月に公開された黒澤明の映画「天国と地獄」の模倣犯が名古屋で発生している。
中学を卒業した工員が、同級生に対し脅迫状を送ったというもの。
走っている151系の窓から現金の入ったカバンを投げ落とすという手口は、これ以外にも以下の模倣犯を出している。

  • 1963年 草加次郎事件
  • 1963年 吉展ちゃん誘拐殺人事件
  • 1965年 新潟デザイナー誘拐殺人事件
  • 1980年 名古屋女子大生誘拐殺人事件
  • 1984年 グリコ・森永事件
  • 1993年 甲府信金OL誘拐殺人事件
  • 2002年 新城市会社役員誘拐殺人事件
  • 2004年 大阪パチンコ店部長誘拐事件

犯人は20日を過ぎても見つからない。
心配されるのは「第三の事件」であったが、その恐れていたことが20日に発生した。

場所は香川県の愛媛県境に近い三豊郡豊浜町。
JRバスの東京~松山の「ドリーム松山」であれば、豊浜サービスエリアがある場所である。

雑貨店につるはしを持った賊が押し入ったが、家族の抵抗に遭い未遂に終わったというもの。

事件に使われたつるはしは、事件のあった雑貨商のすぐ南側の、豊浜西小学校から盗んできたものであることが判明したという。
この豊浜西小学校は、昭和50年の時点で豊浜小学校と合併しており現存はしないが、2016年の時点で校舎は現存していたという。2018年の今現存しているかは定かではない。

他の記事に目を移そうにも、隣県である香川県で起きた事件であるにもかかわらず、ほぼ一面でこのニュースが扱われており、発生から1週間が立とうとしてもなお犯人が見つからないこの事件への徳島県民の関心の深さのほどがうかがわれる。

22日の高知新聞では、その高知以外の徳島・香川・愛媛の3県警が合同で山狩りを行っていることが報じられており、まだ犯人が見つかる気配はない。

それ以上に大々的に報じられているのは、国鉄が定期券を全廃し、回数券制度にするのではないかというニュース。
後の国鉄の莫大な赤字が始まったのは、昭和39年であるということは有名な話であるが、それもこの昭和38年ごろは、あくまで毎年の運賃値上げと内部留保の取り崩しで辛うじてバランスシートが保てていたというだけの話。
月に何回乗っても定額で、途中下車が自由という定期券が経営の癌になっているのではないかと言う論議が国鉄本社でなされていたようである。

また、他のニュースに目を移すと、なぜ日本海側で豪雪になるのかを解明するために、気象庁が日本海に観測船を出すというニュースである。
今でこそ、日本海側の豪雪は「シベリアの寒気が温暖な海流の日本海の水蒸気を冷やして大雪になる」という「顕熱輸送」が定説になっているが、海面水温の観測衛星もなかった当時、それは「ナゾ」のままとされていた。
この1月に「三八豪雪」があり、その謎の解明は焦眉の急とされていた、。

そしてその22日の徳島新聞夕刊。

3県警合同の山狩りにより、ついに犯人が県境を越えた愛媛県川之江市の山中で捕まったのである。
実に事件発生から1週間が経過していた。

男は自称朝鮮慶尚南道ニイマン生まれ、金栄(43)と名乗っていた。
それはすぐにばれて日本生まれの日本人であることが判明するのであるが、兎も角もこの当時において、朝鮮人が「裏社会」「下層社会」のアイコンであることは明白だった。

6人を殺害した池田町の浄水場の主人の上着を盗んで着ていたという大胆さなのか何も考えていないのかと言うほどの神経である。
決め手となったのは、はいていたゴム長靴の足跡であった。

この他のニュースに目を移すと、金鍾泌がパンナム機での欧米各国歴訪からの帰途、羽田で降機し日本に立ち寄るというニュースがある。
この時、金鍾泌は日本との国交成立前の韓国で中央情報部(KCIA)の部長職にあった。
後年、大統領職にこそ就かなかったが金大中、金泳三と並ぶ「三金」として日本でも有名な政治家である。
「大平外相に会う予定はない」と、ただ途中降機しただけでもニュースになっているが、当時のパンナムの時刻表を見る限りでは、世界一周便がソウルに寄らなかったので乗り換えのためという事ではなかっただろうか。火曜日の6:40ということは、ロサンゼルスを土曜日の22:00に発った845便であろうか。機材はボーイング707「Jet Clipper」またはDC-8だったようである。
奇しくもその金鍾泌は、ちょうど昨日亡くなったというニュースが入った。

ひるがえって、こちらの自称韓国人の嘘は、翌日にはすぐばれてしまう。
本名が大々的に報じられているが、これも微妙に違う。兎も角も生まれは池田町からも程近い、高知県内の土讃線大杉駅から北の方の山へ入る方の生まれであることが判明した。

当時は随分と山奥であっただろうが、現在では川之江から分岐した高知自動車道がここを走っており、毎日東京や大阪や高松などから高知を目指す高速バスが毎日走っている。四国の交通地図が大きく塗り替えられたことを物語っている。

題字下には「新聞は 声なき声も 声にする」という標語が掲げられている。
「声なき声」とは、この3年前の安保闘争で岸首相が発した名言である。「安保デモで国会前がやたら騒がしいが、そんな日でも後楽園では野球をやっている。そんな声なき声に耳を傾けているのだ」と、国会前を埋め尽くしたデモは意に介さないという発言である。

その国会では、首相が池田勇人に替わっていたが、この時すでに第2次であり、2回目の改造も経ている状態であった。
結局この日に内閣は解散し、衆議院選挙が行われることになる。

また、日ソ航空協定が近く結ばれる旨の報道もなされている。
それまで、日本とソ連の往来は、ナホトカ港から海路で入りシベリア鉄道でモスクワを目指すか、北極回りのヨーロッパ便でコペンハーゲンに入ってモスクワを目指すかのどちらかであった。
結局、モスクワ-東京便が就航するのはこの4年後の1967年のことであり、機材はTu-114であった。

24日に至り、9日に久礼小学校で発生した事件もここにきてつながることとなった。
自供の内容が一致したのである。

先述「声なき声」はよほど世間にインパクトを残したようで、高知新聞でも「声なき一票の声」というシリーズ記事を連載している。

また、当時の韓国はコレラ禍の他にも、渡し船で児童49名が水死するなど、発展途上国そのものの事故が発生している。(とはいえ、この日本でも前年に三河島事故、この11月にも鶴見事故という、100人単位が死亡する大事故が発生している)
この水死事故は、ソウル郊外の驪州ヨジュで発生した。驪州ヨジュといえば日帝強占期に私鉄の朝鮮鉄道であったナローゲージの水線の終点であり、光復し韓国鉄道庁となった後も1972年まで存続していたようである。
それ以降、ソウル郊外で首都圏電鉄の発達にかかわらず「鉄無し市」が続いていたが、2016年にKORAIL京江線が開業、鉄無し市を脱することとなった。
この事故自体は、韓国でも語り継がれており、daumブログ(韓国語)でも記述がある。
写真を見る限りでは、昔の面影を残したのどかな川原のようである。

・・・さて、前置きが長くなったが、6人殺しの浄水場にはいかないまでも、秘境・坪尻駅前の商店の跡は追ってみたい。

その旅の始まりは高松駅である。

岡山で新幹線に接続するマリンライナーは、地元では「マリン」と呼ばれているのだろうか。
グリーン車である5100形をこちらに向けて6番線に停まっている。
決死モデル:チームP桃園

とはいえ今回乗るのはその「マリン」ではない。マリンは多度津に到着する前に宇多津から瀬戸大橋を渡ってしまう。
今回乗るのは7200形(国鉄名121系)の観音寺行きの普通列車である。
切符は坪尻までで1,280円。

多度津に到着し、阿波池田行きの1000系ディーゼルカーに乗り換える。
決モチームRハナ

ところで、この15:59多度津発の阿波池田行きに乗って後悔したのは・・・

琴平16:12着16:14発で2分停車、塩入16:21着16:24発で3分停車、讃岐財田16:32着で16:37発と、途中でハザマ撮りする機会がいくらでもあったのである。
ちょっと停車時間が長いな? と思っても、すでに坪尻で撮るウメコをセッティングしており、他の子に変えようと思ったら発車・・・ を繰り返し。
こんなことは、あらかじめ調べておけばよかったことである。

そんな後悔を載せて阿讃山脈をくぐり、坪尻に到着する。
坪尻で降りたのは自分1人であった。
決モチームPウメコ

「秘境駅」として有名となり、観光地化されたとはいえ、ディーゼルカーが阿波池田方面に去ってしまうとそこは一面の静寂に包まれた谷あいである。
見渡す限りの中に、人は自分一人しかいない。
かの事件の犯人も、正にこの山中を1人で逃げ回ったのである。

さて、ではその事件の舞台となった商店のあったところに行ってみようか。
実際の所、坪尻駅を訪れる客の中にはこの事件のことを知っている客もおり、その商店跡を訪問するブログもそれなりの数あるので、ダークツーリズムは少なくとも自分一人ではない。

件の商店跡へは、駅の南側から国道32号線へ抜ける道の踏切を渡ってすぐの所にある。

この屋根の形と言い。まさにこれが件の商店跡である。
55年前の当時、この軒先には犬がいて、小物を扱う生活の跡があったのだ。
現在では見る影もなく廃屋となっている。
公衆電話やたばこの看板もなくなっているが、吊るしていたであろうステーは残っていた。

上りの琴平行きまで10分しかないが、見学するには十分な時間であった。

阿波池田へ去っていった1000系は、隣の箸蔵で琴平行きと交換する。

その琴平行きに乗って戻ってきた。
到着は3番線で、すぐに大歩危行きとして折り返す準備を始めていた。
決死モデル:チームPペギー

2番線には多度津方面から来た7200系、そして1番線には岡山行きの「南風」がやってきた。
さすがにアンパンマン列車をまた引くほどの強運は残っていなかった。
あとは岡山を目指すだけである。

東北は多層建て列車が多いことで有名だったが、四国もたいがい多層館列車が多い。
昨日にしたって、宇多津で岡山行き「しおかぜ」と高松行き「いしづち」が切り離された。

高知系統の「南風」も多層建てとなっており、宇多津では徳島から来た「うずしお」が待っていて併結されることとなった。
決モチームWBミサメグ

瀬戸大橋の線路容量を節約したいという事なのだろう。
2000系特急同士の併結は、きわめて手際よく行われ、停車時間も3分程度であった。

ところで、JR四国の車内や構内のアナウンスというのは、無理に標準語に直すことがなく、讃岐弁や土佐弁のアクセントで堂々とアナウンスしている。まるで関西国際空港開業前の南海電鉄のようである。

さて、2000系「南風」「うずしお」は、風光明媚な瀬戸大橋を渡る。

瀬戸大橋は、飛び石のように与島や櫃石島に橋脚があり、その間が巨大な吊り橋となっている。
決死モデル:トルソーさんナイ

向こうに見えるのは本島だろうか。

本州に入ると、下津井港の全景を見渡すことができる。
かつては、下津井電鉄の駅もあの中にあったはずである。

そして岡山に到着し、それまで買っていなかったお土産を岡山駅構内で買う。

そして新幹線に乗り換える。
岡山から東京まで長躯で駆けるので、どうしても一番前の会報的な關の方がいい。
それで、窓際の席ではなく通路側のC席を取った。

あとはもう寝ながら東京駅を目指すだけ。
ブログを付けることも出来なくはなかったが、電波状態がよろしくないのと、あとはしたばかり向くので酔う事で、さほどの効率は上がらなかった。

そして新幹線は品川で降り、あとは常磐線の快速で松戸を目指すだけ。
決モチームR小沢

そんなオワコン仕事の出張でしたとさ。

 

 

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