丸栄ラストラン

そういえば今年名古屋の丸栄がなくなるのだそうで、GWの鉄道模型店はこれが最後とのこと

現在の丸栄の建物は昭和28年に建築したとのこと。
その新築から2年しかたっていない、名古屋でも相当イケてるデパートであったであろう丸栄百貨店の女性店員が殺されたという事件が発生した。

昭和30年4月26日の朝、名古屋市立鶴舞つるま小学校の児童が、隣接する鶴舞公園グランドの芝生に、若い女の死体があるのを見つけた。
児童はさぞや驚いたであろう。「先生!グランドで人が死んでる!」
同校教諭を通じ、事件が昭和警察署に届けられた。

若い女性の死体は服を脱がされていたわけではなく、身元を隠すような計画性は感じられず、口には木綿製の洗面袋が押し込まれていたという。
付近にタイムカードも落ちていたことから、その日の夕刊が出る頃には丸栄百貨店7階食堂の19歳の女性店員であることが判明した。
また、その日に支給された給与6,794円とハンドバックが無くなっていることから、物取りの仕業ではないかという見立てとなった。
彼女の職場での普段の評価は良かったという。同僚には、「今晩男性社員と会う」旨を伝えていたのだというが、その20歳男性社員の行方が分からなくなっていた。
4月26日の朝日新聞(名古屋本社)朝刊では、氏名は「某」となっている。
被害女性の自宅は稲沢町(現:稲沢市)の中でも津島市寄りの田園地帯にあったようであるが、父親からコメントを取ったのは東海道線沿いの一宮通信部であったようである。
曰く「物取りの仕業に違いない」。何としても痴情であるということは信じたくないという思いが見て取れた。

同日の地元紙・中部日本新聞にも社会面トップで「丸栄女店員絞殺さる」との見出しで事件が掲載されている。

朝日新聞の報道と違うのは、事件を最初に通報したのは女性教諭ではなく、用務員であるということである。
また、事件の鍵を握るであろう、25日夜にあった男性店員の写真と実名が報じられており、なかなかのイケメンであることが見て取れる。
イケメンだけに、女関係も多い旨が報じられている。
職場は、被害女性と同じ7階ではあるが100均ショップのようであった。

ともあれ、この紙面で報じられている別のニュースに目を移すと、中川区の日置橋電停で、市電とオート三輪が衝突した旨が報じられており、時代を感じさせる。
日置橋は、現在の名鉄山王駅と地下鉄大須観音駅の中間あたりにある、運河に囲まれた地帯である。

また、中部日本新聞社と言えば中日ドラゴンズの親会社であり、ドラゴンズはこの前年、エース杉下を擁し日本選手権シリーズでは西鉄を破り日本一に輝いている。
この日の夕刊でもドラゴンズ他プロ野球の戦況を報じているが、その日は中日球場で阪神戦。バッテリーは中日が徳永河合、阪神が小山徳網で、4回を経過し0-0のままであったようである。
中日の投手徳永喜久夫は地元名古屋の瑞陵高校出身であり、前年は11勝9敗でリーグ優勝に貢献したエース級の投手。

翌27日になると、朝日新聞でも、事件の鍵を握る同僚店員を実名で報道している。
ちなみにこの時点で逮捕状が出ているわけではなく呼び捨てではなく「君」付けではあるが、よくもまあ報道できるもんだと当時の人権感覚の違いを感じさせる。

兎も角もそのジェームズ・ディーンを彷彿とさせるイケメン店員は、被害女性と同郷で、稲沢町の津島市寄りにある中島郡千代田村の出身であった。
千代田村はその年の4月15日、昭和の大合併で稲沢町に合併したばかりである。
そしてまた、当時の世界の若者にとっての同時代的アイコンであったジェームズ・ディーンはこの半年後の9月30日に事故死することになる。

ちなみに、被害女性は25日の晩、その同郷の男性と会ったとは言うものの、彼氏は他にいたようで、名古屋の国際電電に勤めていたようである。
国際電電(KDD)は、昭和27年の電電公社成立の翌年、国際電話部門を分離する形で発足した特殊会社であった。
今でこそ第二電電(DDI)と日本移動通信(IDO)を合併して発足した携帯電話の「KDDI」として知られているが、この発足は2000年のこと。
ともあれこの彼氏、どう見ても大学は出ていない年齢のようではあるが、電電公社ではなく国際電電に入っているということは多少は英語の心得はあったのだろうか。それとも技術要員?
いずれにしても「国際的な大企業に勤めるエリート」として、さぞモテたことは想像に難くない。

天皇誕生日である4月29日の中部日本新聞では、社会面トップで

そしてまた、依然行方知れずの男性店員を県下に手配している。
「手配」とは「指名手配」のことであろうか。逮捕状はいつ出た?
この辺りに関する記述もある。曰く、

容疑者として指名手配している。なお同人に対し逮捕令状は発せられていない。

逮捕令状のない指名手配、というのがよく分からない ―― だからこそこの記事にも書かれているのだろうが、いずれにしても愛知県下各警察署には手配されることになった。

ちなみに、その男店員に関するプロフィールが追加されているが、右翼の大物・赤尾敏も通っていた旧制愛知三中の後身である新制高校を優秀な成績で卒業したという割にはその後名古屋駅の裏で衣類行商・・・ これは、その成績に見合う程の職業だったのであろうか。そうではないことはだれの目にも明らかだったようで、半年とおかずに父の勧めで新しく新館がオープンしたばかりの丸栄に入社することになる。
・・・が、昭和29年の9月30日~11月23日まで家出して、北海道千歳市の材木店に勤務していたのだという。
それでありながら、懲戒解雇もされず逮捕の時点で丸栄の店員であり続けることができたというのは、これまた隔世の感を感じさせられる。

別の記事に目を移すと、中部日本新聞の子会社であるところのドラゴンズは、その日は川崎球場で大洋戦だったようであり、4-1で勝利したようで、投手は中日が伊奈勉石川克彦、大洋が小林恒夫服部茂次だったようである。
打席数を見る限りでは、先発の伊奈は早々に引っ込んで前年21勝の石川がロングリリーフで勝利したようである。ちなみに大洋の先発・小林恒夫は昭和33年、近鉄パールスで現役を引退することになるが、昭和23年に金星ゴールドスターに入団し、ロビンス→ホエールズ→パールスと渡り歩いた通算成績は46勝110敗。
負け越し数64のプロ野球記録を持つ選手なのだという。

さて、5月の声を聞いても件の男店員は杳として見つからない。
新聞からも忘れ去られそうになっていた。

急転直下、その男店員が犯人として自首したのは憲法記念日の5月3日、東京は警視庁の久松警察署であった。
久松警察署というのは、このブログでもよく出てくる「中央区のプール」など、日本橋界隈を管轄とする警察署である。

その管内である日本橋馬喰町に、高校時代の友人が住んでいた。
八丈島へ渡って金を使い果たして戻ってきた男店員は、その友人のもとに転がり込んでいたのだ。
しかし、警察では「予想される立ち回り先」としてすでにその友人にも「自首させてくれ」と依頼の手をまわしていたのだ。

殺害の同期についてもここで触れられている。
別に最初から殺すつもりで夜の鶴舞公園まで行ったわけではないようで、話しているうちにふざけかかったら、中学校の1つ下であるその女性店員は激しく拒否したのだという。
それで思い余って首を絞め、気づいたら死んでいたのだという。

結局、東京からは佐世保行きの急行「西海」の2等車(当時は3等級制)という大名旅行で名古屋に戻ることとなる。

ちなみに、4月29日に報じられていた「手配」とは指名手配ではなかったようである。それは、「一緒にいた」という状況証拠はあっても、物証が何一つなく逮捕状が取れなかったから、ということのようであった。
それで、かろうじて県内各署宛てに「発見したら適当に処置して即報されたし」という手配をするしかなかったということのようである。
その後、有力な目撃証言を得て逮捕状の請求にこぎつけたが、その時にはすでに東京で自首していたのだった。

前日の中部日本新聞で報じられた「(激しく拒否されるほど)ふざけかかった」というのは一体どのような状態であったか。
そのことが63年前の今日である5月5日の朝刊で報じられているが、結論から言うとそれは「接ぷん」つまりキスだったようである。
キスしようとしたら平手打ちを食らった。それでカッとなって首を絞めたということらしい。

そしたらグッタリしてしまった。
死んだのかどうかは分からないが、一目散に逃げてしまった。
15分ぐらいして戻ってきたら、彼女は虫の息だった。
ここで息を吹き返したとしても、いずれ、
「首絞めて殺そうとするなんてありえない!おまわりさん!このひと人殺しです!捕まえてください!」
・・・ということになるのは火を見るより明らか。
そうなるくらいなら、一思いに殺して逃げよう! ということになったらしい。

そのためには逃走資金が必要である。幸い今日は給料日で、給料袋が手つかずで彼女の手元にある。
これを手に、中央本線のガード下からタクシーを拾って名古屋駅へ向かい、東京へ高飛びしたのだった。

「こどもの日」でもあるその日の中部日本新聞夕刊では、名古屋周辺各地の行楽の様子が報じられている。

中日球場では子供達1万人を無料招待して広島戦のダブルヘッダーが行われていた。
広島の初優勝はこの20年後。当時は全くの弱体球団であったが、この日の第1試合は前年18勝し4月14日の中日戦でもあわやノーヒットノーランかという試合を演じた松山昇を先発に建てたものの8対1で中日が勝利し、名古屋の子供達を喜ばせることとなった。ちなみに中日の先発は徳永

また、熱田神宮では子供達1万人が写生会を行った。
デパートも大忙しで、松坂屋では「移転30周年記念感謝祭り」で屋上遊園地は子供達で満員。
丸栄でもバレエや絵のコンクールが行われ、子供達の歓声で賑わったという。

その丸栄の店員であった男店員は、そんなゴールデンウィークの喧騒をよそに、一人寂しく昭和警察署で取り調べを受けることが片隅で報じられていた。

さて、今日の「事件現場を歩く」は、その丸栄に行くことにしましょう。

東京駅からは8:00発新大阪行きののぞみ207号。
決モトルソーさん霧島

なにぶん、この決死旅行を思い立ったのが昨日の事で、指定券を買えるかと思ってEX予約したら何と予約できた。
不謹慎な目的での旅行である割に、意外と幸先のいいスタートである。

ただ、昨晩夜更かしした割には早起きしないといけなかったのでやたら眠い。
新幹線の車内ではやることが色々あったはずなのだが、いつの間にか名古屋の近くで目が覚めていたような塩梅となってしまった。

果たして名古屋に到着。
決モチームTレナ

在来線のホームへ行くと、すぐに中津川行きの快速が出ようとしているので、ギリギリのところで飛び乗る。
とりあえず、名古屋市立鶴舞図書館へ行って当時の新聞記事をコピーすることとしたい。
一応、手持ちの新聞のコピーが無いわけでもないのだが、新聞を全面コピーして、別の記事についても触れて当時の時代相を知る・・・ という拙ブログの方針樹立の前の話である。
事件に関する部分だけをコピーしていた程度のものだったので、改めてコピーしたいと、そういう話である。

快速とは言っても地下鉄連絡駅である鶴舞には停車する。

その鶴舞駅からすぐの所に名古屋市立鶴舞図書館はある。
古い新聞であれば、丸の内の愛知県図書館にもあり、犬山橋の淫獣事件の時はそちらでコピーした。
しかし、名古屋駅からのアクセスという点では、丸の内というのはあの混雑した東山線で栄まで行き、栄から市役所前まで行き、そこからしばらく歩かなければいけないというロケーションである。
その点、鶴舞図書館であれば中央線で1本であるから、こちらの方が格段にアクセスは良い。

鶴舞図書館ではこの事件と、別の名古屋での事件に関する記事をコピーした。

事件を偲ぶダーク・ツーリズムの始まりは、加害者と被害者双方の出身地である千代田村から始めることにしたい・・・ と思ったが、そこまで行くと結構時間がかかる。
当時の千代田村から名古屋へ出るためには、隣村の海部郡美和村のそのまた隣である、海部郡神守かもりの名鉄津島線青塚駅を使うのが一般的であったと思われる。
決死モデル:チームTヤギー

ちなみに神守村は事件の年の1月1日に、津島市と合併しており、津島市内の駅となっていた。
千代田村からこの駅まで、田んぼの中の道をゆうに30分は歩いて通ったのだろうか。

名電の「郡部線」(後に名古屋市に買収される市内線に対して)と位置付けられていた津島線には、どんな車両が走っていただろうか。
「なまず」850系も走っていたかもしれない。二人は新名古屋で市電に乗り換えて栄を目指していたであろうか。
日によっては、AL車やHL車の釣り掛け音を聞きながら新名古屋を目指していたに違いない。
駅の西側には、おそらく昔と変わりないであろう田園風景が広がる。
車内でぎゃーぎゃーみゃーみゃー言ってるお婆さんたちも、AL車やHL車が走っていた頃は花の乙女であったに違いない。そして新名古屋から市電に乗って丸栄や松坂屋に買い物に行っていたに違いない。

青塚から乗った6500系は須ヶ口どまりだったので、須ヶ口の同じホームで豊明行きに乗り換えて新名古屋を目指す。
少し前であれば、種種雑多な形式が出入りしたであろうか。
電車だけではなくディーゼルカーの北プスだって出入りしていた。

新名古屋に到着したら今度は地下鉄で栄を目指したい。
ちなみに、地下鉄は昭和32年の開業なので、事件当時はまだ開業していない。おそらくは市電に乗っていったものと思われる。
決モチームR小沢

それにしても、この名駅の混雑は何だろう。東京でもここまで混むことはない。さすがは日本でも数少ない地下鉄の黒字路線・・・
名古屋は東京以上の過密都市なのか? いや、それよりも、インフラの整備がこのような過密化した状況を想定していなかったのだろう。
大阪の地下鉄御堂筋線は、大阪市の名市長と謳われた関一によって、最初から10両編成が収容できるように駅を建築し、後世の人々の称賛を得た。それにひきかえ名古屋市の先見の明の何と浅いことか。

ともかくも、ほうほうの体で栄に到着する。
いよいよ、見納めとなる丸栄百貨店の鉄道模型展である。
決モチームY楼山

会場は8階の大展示場であるので、エレベーターで8階に行こうと思ったら、4基あるエレベーターのうち2基は使用できず、2基しか動いておらず積み残し続出である。
整備するにしてもGWでなければいけなかったのだろうか? 先述の昭和30年の新聞にだって、百貨店にとってGWがいかに書き入れ時か書いていたではないか。
他の客も怒っていた。「何だ!じゃあエスカレーターで行こう!」
このインフラの貧弱さは、名古屋人の気質なのだろうか。平時さえうまくいけばいい。非常時に備えるよりもそちらの方がコストパフォーマンスが高い・・・ そんなところだろうか。
東日本大震災が発生した直後、東京では「スーパー堤防」が取りざたされたが、名古屋人の気質がそのようであれば、名古屋でスーパー堤防が話題になることはついぞないだろう。ただ、名古屋と言えば東海地震。静岡県では「ちびまる子ちゃん」でも出てきているように相当神経質に対策を取っているようであるが、愛知県はどうだろう。「その時はその時」なのだろうか・・・?

さーてさて。お待ちかねの鉄道模型展ですよ・・・

走らせているのはここだけではない。
HOゲージあり、名古屋の各大学の鉄道研究会のブースありで、さすがは名にし負う鉄道模型展である。
トミーテックの猫屋線ナローや、Bトレインも売っている。欲しい・・・
しかし、転勤の時に邪魔になるので買うわけにはいかない。

当たり前と言えば当たり前だが、観客は小学生が多い。
何と言うか・・・「団地ともお」みたいな小学生ばっかりだ。

そんな中、会場の老若男女からひときわ注目を集めていたのは、丸栄百貨店の新旧店舗の模型ではないだろうか。
店舗の前には名古屋市電が走り、地下には地下街と「黄電」100系が走っている。

特に高齢者がカメラを向けていた。
彼らにとって、幼い日の思い出がこの丸栄の新旧店舗であり、名古屋市電なのであろう。
もしかすれば、例の事件の被害者や加害者と同年代かもしれない。

鉄道模型展を堪能するだけ堪能したら、またダーク・ツーリズムに戻ることとしたい。

被害者の女性店員は食堂で、加害者の男性店員は100均売り場で、ともに7階で働いていた。
現在、7階に食堂は無いが100均売り場は今でもある。

平成28年の厚生労働省の調査では、高卒女性の初任給は15万7,200円であるという。現在の100均と、19歳だった被害女性の給与が7,000円弱であった頃の100均は、どのような品揃えだったのだろうか。ただ、現在の100均は中国製だったりタイ製だったりするだろうから、物価基準からみるとさほどの違いはない・・・?

ただ、どうなんだろう? いい若い男子店員がデパートで100均売り場に配属されるというのは。どう見ても出世ポストではなさそうである。

さて、店を出て、現場に赴いてみましょうか・・・
ちなみに、栄駅には古めかしいフォントが残っている。
さすがに大阪市交通局のヒゲ文字ほどではないにしても、文字鉄さんにとっては良い物件ではないだろうか。
決モチームPみく

みく中の中の人の苗字は東山だが、今回は東山線ではなく名城線で上前津へ行き、上前津から鶴舞線に乗り換える。
事件当時は、丸栄の近くの喫茶店でビールをしこたま飲み、ハイヤーで鶴舞公園に来たということだが・・・

鶴舞公園は名実ともに名古屋市民の憩いの場であり、このように庭園や花壇が整備されている。
決死モデル:チームYジャスミン

木々の向こうの近代的な翼状の建物は名古屋大学病院である。
そういえば、例の事件の時も、死体解剖は名大病院で行われたという。
名大病院の目と鼻の先で行われた殺人であった。

名古屋大学の法医学教室と言えば、愛知県内の古い事件簿を紐解くと、小宮喬介博士の名をよく目にする。昭和24年の下山事件でも自殺説を展開するなど、法医学界では一定の権威であったが、事件の4年前の昭和26年に54歳で死去している。

さて、現場に行ってみましょうか・・・

現場は、野球場の鶴舞小学校寄りの芝生であるとのことだった。
Googleマップの空撮で見てみると、まるで森の中にあって足を踏み入れることができないような印象は無く、いとも簡単に入ることができた。
芝生というより「3塁側スタンド」というべきか。
グランドでは、試合を終えたらしき草野球チームがグランドを整備していた。

ダーク・ツーリズムは以上となる。

あとは鶴舞駅から中央線に乗って帰ることにしたい。
それにしたって年季の入った高架橋であり、窓のサッシはアルミではなく鉄でできている。これは相当古い・・・
そう思って調べると、鶴舞までの高架化は昭和37年のことであるという。そりゃ古いわけだ・・・
決モチームWB小津麗

ちなみに名古屋口の電化は高架化より遅く、昭和41年に名古屋~中津川が電化している。非電化の高架線というと、八戸線の本八戸あたりのようなイメージである。
それまでの中央線は、D51が客車を牽引してこの鶴舞を走ったであろうか。

そして名古屋駅のホームできしめんを食べて帰ることに。
決モトルソーさんメア

 

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