ネカマちゃんとの愛しい思い出 ~先生、もうピアノ弾けなくなっちゃったの?~

水戸の梅まつりを当て込んだと思しき2月23日放送のアド街ック天国では、20位で茨城県立歴史館が紹介され、ここには日本最古のスタインウェイのピアノが置いてあるのだという。

で、そのスタインウェイという会社がどういう会社なのかというと、Wikipediaによれば、

スタインウェイは卓越したピアノ会社と評されてきており[7][8]高品質のピアノを作ること[9][10]とピアノの発展における多くの発明[11][12]で知られてきた。スタインウェイは1857年から126のピアノ製作における特許を与えられてきた[13]最高級グランドピアノ市場のスタインウェイ社の市場占有率は一貫して80パーセントを超える[14]。この支配的な地位は、ピアノの革新を妨げ、ピアニストが好む音の均質化の原因となると主張する一部の音楽家および書き手によって批判されてきた[15][16]

お、おう・・・

ところで何故拙ブログでそんなにピアノにこだわるのか?
それは、例のネカマちゃんは「受傷して両手両足を失う前、音楽大学に通いながらアルバイトでピアノを教えていた」というのである。

曰く、

今日は、ピアノの教え子の発表会で、見に行きました。
そしたら、教え子はとても上手くなっていたのですが、車いすに乗った私を見て「先生、ピアノ弾けなくなっちゃったの...」と言ったんです。
私は涙が出ちゃって、教え子が涙を拭いてくれたんです。
そのやさしさにまたポロポロ、嬉しいやら、つらいやらで大変な一日でした。

そしてその後、声楽科に転科しようと思い立つも、それは無理だと大学側から言われた・・。といったことが書かれていたような気がする。
やっぱりねー、「ピアノ」お嬢様設定ならこれ大事だよね。

さて、今回の茨城県立歴史館にあるスタインウェイというのは、何と明治維新が始まる前の慶応元年(1865年)に製造され、新橋~横浜に日本初の鉄道が開通する1年前の明治4年(1871年)にハーパー夫人により購入され横浜に送られてきたのだという。
その61年後の昭和7年(1932年)、茨城は水海道小学校が、東京の楽器店から購入したのがそのピアノであるという。
恐らく、買った時は「日本最古」とかそんな意識はなかったのだろう。
決死モデル:チームTエリー

このピアノは特別に温度と湿度に気を付けながら鍵の付いた部屋で保存されており、普段は見ることができず、わざわざ職員に声を掛けないと見ることができない。
つまり、職員に見られた状態で決死したということになる。
それも「このピアノは実際に弾けるんですか?」「年に1回そういうイベントをやって弾けるようにしてるんです」「一般の人も弾いていいとなると保守とか大変そうですねー」などと、話しながらの前代未聞の決死撮影となった。

ついでにこの水海道小学校の校舎そのものも見ることにしたい。

この本館は、明治14年(1881年)に、「立派な警察署に負けない建物を」と、宮大工が見様見真似で建築した「擬洋風建築」なのだという。

そして開校90年となる昭和46年(1971年)にこの茨城県立歴史館に移築されたのだという。
つまり、常総筑波鉄道として雑多なディーゼルカーが走っていた頃、中心都市である水海道にはこの校舎が鎮座していたということになる。

そんな私的devotee史のひとこま。

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