交通機関というよりクルーズ列車

1980年代のプノンペン中央駅はこんな感じだったらしい。

1980年代と言えば、クメール・ルージュの大虐殺の嵐が過ぎてすぐのこと。
首都の駅前にしてはやたら寂しく感じるが、ここを歩いているはずの人は殺されたということ・・・?
しかし、カンボジアの今の若者は、そういう時代があったことすら「教科書で知る程度」なのだそうな。

さて、そんなカンボジアの朝は6時に行動開始、近くのトゥクトゥク溜まりにいた1台のトゥクトゥクから始まる。
決モチームY間宮

「ステーション行ってくれるか?」と言うと「ステーション?」。
「レールウェイのステーションだよ」
「この地図のどこにあるんだ?」
駅の位置を指示してやっと理解してもらうことができた。
なにしろ、土日にしか走っていないという鉄道である。
公共交通機関として認知されておらず、単なる「金持ちと外国人観光客のクルーズの手段」としか思われていないのだろう。

そしてプノンペン中央駅に到着。
駅前の仏塔も冒頭の写真と同じである。
決モチームTヤギー

違っていることがあるとすれば、周囲に高い建物が立っていること、そして車やバイクがひしめいているということであろう。

一応、駅周辺では「ここには土日に列車が来る」ということは認知されているようで、物売りやトゥクトゥクの運ちゃんがそれなりの数いて盛況である。
クメール・ルージュの頃も、やはりこの駅には列車が来ていたのだろうか。

今回、切符は現地にいる日系旅行会社に申し込み、ホテルに切符を送ってもらう形をとった。

プノンペン中央駅は1面2線の頭端式ホームで、列車の後ろには車が積んである、日本流にいえば「カートレイン」である。
その他、貨車も連結されていて、クルーズトレインでしかない割にはなかなか個性的な編成である。

車内は、案の定と言えば案の定、外国人旅行客とカンボジアの富裕層らしき客だけ。比率としては半分半分といった感じか。
中国人らしき客もいたが、当方も中国人だと思われていただろうか。

さて、列車は定時の朝7時にプノンペンを出発する。
カンボジアの鉄道網は、プノンペン中央駅を基点に、北西方向へバッタンバンを経由してタイ国境のアランヤプラテートを結ぶ北線と、プノンペン中央駅から南西方向へタケオを経由してシアヌークビルへ向かう南線の2つだけ。
これまで知られていたところでは、1週間に1回だけ、北線がバッタンバンまで走るが、クメール語以外の案内は無く、車内は荒廃し治安も悪いという話しか聞いていなかった。
それが最近になって「ロイヤル鉄道」というのができて土日は南線のプノンペン~シアヌークビルを走るという情報が入ってきたのである。
土日しか走らないということは、つまりそれは交通機関ではありえなく、クルーズの手段でしかない、ということだとすぐに分かったが、それでも鉄道が開業するならそれはうれしい。
ということで今回のカンボジアと相成った次第である。

共産化する前までは食糧輸出国でもあったという豊かな国であったカンボジアは、ロン・ノル将軍のクーデターにより共産化の道を歩み始める。
見渡す限りの平原は、かつて耕地であったのだ。

そしてタケオに到着。
決モチームPみく

ちなみに機関車は、1992年チェコ・シュコダ製のBB-1010である。
南線は山賊が出るので旅客輸送を中止していたのだというが、貿易港であるシアヌークビルからの貨物列車はあったようである。

タケオには10分ぐらい止まるというので、ちょっと外に下りてみたい。
駅前にはトゥクトゥクも全然来ていないことからも、鉄道がいかに公共交通機関として認知されていないかのほどが知れようというもの。

それはともかく、ホームには市が立っていてアジアの情緒を思わせる。
売っているものは水や海外製のお菓子、そして魚の干物などである。
カンボジア料理は魚系が多いのだろうか・・・?

そして汽笛が鳴ると、客は一目散に車内に戻る。
そして出発。

さて、現在の列車ダイヤでは、プノンペン発だけではなく、シアヌークビル発も朝7時であるという。
つまり、この列車のどこかで上下の列車が交換するということになる。

シアヌークビルまでの中間と思しきところで、列車は突然逆走を始めた。
そして、推進で側線に入る。
ああ、こうやって列車交換するのか。
決モチームWBノノナナ

Googleマップで確認する限りでは、ここは「Tuk meas」という場所のようである。
しかし、待っても列車は来ない。
向こうからの列車が遅れているのだろうか・・・?

それでも、外に出ているのはオレンジのジャケットを着た保安要員だけである。
その点は、カオスなインドとは違う。

かれこれ1時間も待ったであろうか。
古強者BB-1050にけん引された上り列車が通過する。
そしてこちらもやっと走り出した。

さて、この列車に使われる客車は、元々はガスエレクトリックの気動車だったようである。
このエンジンを取り払い、客車として使っているようであるが、エンジン室はどうなっているかというとこうして弁当や車内販売の調理場になっているのである。

弁当を買ってみたが、長粒種のコメに、骨付きの鶏肉が乗り、それに魚醤がかかるような感じで結構旨い。
で、絡みが欲しければ唐辛子入りニョクマム?を加えればいいようだが、その唐辛子入りニョクマムはビニール袋に直接入れられている。ちょっと日本人にはなじみのない調味料の入れ方で面食らう。

列車内は一応エアコンが効いているが、そんな車内で食べると匂いがこもって大変だと思い、デッキで景色を見ながら食べることに。
そして鶏の骨という生ごみは、他の人がやっているように外に捨ててしまう。In Roma, as Romans doである。

さて、途中2つある停車駅のうちもう1つはカンポットである。
駅前にはトゥクトゥクがたむろし、一応交通機関の体裁をなしているようだった。
決モチームWB嵐山

事実、かなりの客がこのカンポットで降りて行き、車内はガラガラになった。
カンポットは何かの観光地があるのだろうか。
ここもまた、タケオほどではないがホームに市が立っていた。

やはりここでも10分程度の停車があり、車掌や保安要員といった乗務員が、機関車の近くで立ち話をしている。
オレンジのジャケットを着たのが保安要員で、黒いスカートを履いたブルゾンちえみみたいなのが車掌である。

そして、汽笛とともに保安要員は貨車の中へ、そして車掌は客車と持ち場に戻る。
我々乗客も客車に戻る。

そして、終点シアヌークビルに向けて走り出す。
カンポットを出てしばらくは、海岸線沿いに走り、防風林?が空いた所では、ベトナム領のフーコック島の島影も見える。

そして国家石油備蓄基地のような施設を通り過ぎ、スラム街を縫うようにして列車が走るとシアヌークビルである。

終点シアヌークビルに到着すると、プノンペン方面の貨物列車が出発する。
向こうは最新型の機関車で、いかに貨物の方にウエイトが置かれているかのほどが分かろうというもの。
決モチームY宇崎

シアヌークビルはカンボジア随一の貿易港であり、石油備蓄基地やコンテナターミナルもある。
ところでこのシアヌークビル、シアヌーク国王の名前が冠せられているが、共産時代もやはりそうだったのだろうか?
というか、クメール・ルージュが力を持ちえたのも、このシアヌーク国王がロン・ノル派の反目に回ってクメール・ルージュを支援して民心がそれに追随していったからだという。

シアヌークビルの駅は1960年代にできたというが、確かにプノンペン中央駅ほどの古さは感じない。

駅前にはトゥクトゥクが何台か待機しているが、車の後ろには中国語の広告がついている。

さて、このシアヌークビル駅、市街地から離れているのでトゥクトゥクで異動するしかないのだが、大した距離でもないのに10ドルなどとぼった食ってくる。
仕方がないので、他の外国人旅行客と3ドルずつで乗り合いすることにした。
その外国人はビーチに行くのだそうで、イギリス人とオーストラリア人だった。

自分1人は中心街の適当な場所で下ろしてもらうことにした。
これが人口10万人のシアヌークビルの街並みであるが、看板などは随分中国化されているようである。
もはや中国の24番目の省・柬埔寨省なり柬埔寨クメール人自治区かと言う程である。
決モチームTフジアキ

さて、15時も過ぎてしまったが、弁当の量も少なく食べた気がしないので、どこまでまた食べることにするか・・・ということで、適当に入ったカフェでフランス風のサンド(ベトナム風にいえばバインミー)を食べることにする。

それにしても、どこのレストランでもカフェでもWi-Fiは使える。
この点は、日本以上の便利さである。

さて、ドルとリエルのレートも分からないままボったくられたということもあるのか、手持ちが不如意になってきた。
仕方がないので銀行でドルを下すことにする。
それにしたって、中国語の看板の店でドルで買い物をする。これが後発開発途上国ということだろうか。

あたりも暗くなったので、外国人向けの所でハンバーガーを食べたくらいにして今晩のホテルを目指すことにする。
ホテルをネットで予約した時は、シアヌークビルの駅が市街地から離れているなんて知らなかったので、比較的駅から近い場所を取ることにしたのだが、トゥクトゥクの運ちゃんはその位置を分からないという。
それでも、暗い中の道に迷いながら到着はしたものの、まるで営業している気配がない上、番犬がいてこちらに吠えてくる。
仕方がないので明るい大通りに対比して電話を掛けることにした。

一応、電話は通じたのだがカンボジア訛りの強い英語で何が何だか分からない。
昨夜に続き、今晩もまたホテルで苦労することになった。今晩こそ野宿か・・・?
とりあえず、再び門前まで行って電話を掛けることにした。
「でかい犬がいて怖いんだけど迎えに来てくれないか。とりあえずゲートにいる」
「じゃ呼び鈴を押してくれ」

結局、門まで迎えに来てもらうことになった。
大型犬もこちらについてくる。
「心配しなくていいよ。その犬はフレンドリーだ」
そうは言っても怖いものは怖い。噛まれでもしたら狂犬病にならないという保証はない。

それでもどうにか、今晩の宿も確保し、後は明日また7時の列車に間に合うことを考えるだけ・・・

 

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