ドコモすら入らない無人の原野を行く

北朝鮮KCTV「朝鮮の今日」?🇰🇵
今回スポットを当てる課題は「人材育成」のようで、黄海南道三泉郡の三泉ナマズ工場が取り上げられている。
工場とは言ってもつまり養殖場のこと。
ナマズはこのように「工業的に」生産されている。

稚内に来ているので稚内にちなんだダークツーリズムをしてみたいと思う。
それで昨日は稚内市立図書館に寄って資料を蒐集したのである。

今回対象とする事件は2件。
しかしその2件とも同じ場所で起こっている。

まずその1件目は昭和30年6月19日の日刊宗谷で報じられている。
「行李詰他殺死体 日通保管倉庫で発見 大阪梅田駅から稚内に」
昭和21年に当用漢字表が制定されてから9年目のこと、地方新聞ではまだまだ旧字体の活字が使われ続けていた。

それはともかく、どういった由緒由来の荷物であったか。
行李は先年昭和29年12月31日、大阪は梅田駅から混載小口扱いで発送されたものであり、昭和30年に年が変わった1月8日に旭川駅で混載貨車に積み替えられ、1月10日に稚内駅に到着したものであるという。

しかし引き取り人は全く来ないまま半年が経過し、規定通り換金処分することとした矢先だった。
いったいこの行李には何が入っているのか。
変な臭いもする。

布団は何重にも巻き付けられている。
これはいよいよ不審だ。
警察署員にも立ち会ってもらい開けてみると、腐乱した死体ではないか!
鑑定すると、絞殺した跡もあるという。

いったいこれは誰?
道警旭川方面本部から、発送元である大阪府警に問い合わせたところ、着衣や身長に似寄りのある行方不明者の該当があった。

それは大阪は扇町公園の近くに住む家具商であり、昭和29年12月26日、今の福島区のセリに出向く途中に忽然と姿を消したのである。
それは「謎の失踪」とされていた。

一方で、この家具商から借金のある男が、1月12日に長野県は湯の沢温泉で服毒自殺を遂げていたという。
湯の沢温泉というのは、長野市から大糸線の簗場駅へ向かう方向に山へ分け入った場所にある、全国的にもかなりマイナーな温泉地ではないだろうか。
無一文だったこの男が何故遠くの温泉地で?

容疑は自殺したこの男に掛かることになった。

最初の報道から1週間が経とうとしていた6月25日の日刊宗谷の報道。

第一容疑者である自殺した男は通名で、実は朝鮮人だったようだ。
もっとも、朝鮮人だからどうとかいうことを言うつもりはない。

ともあれ、捜査の状況としては男の内縁の妻が小樽におり、捜査員を派遣したところ「人を殺すような男ではありません」という。
しかし、荷物の発送伝票の文字もこの容疑者と筆跡が一致し、容疑はそこで固まることになった。

では当日の犯行はどのようにして行われたか?
いかんせん犯人は死んでいる。
もはや推測でしかないが、昭和29年12月26日の16時ごろ、本件被害者が犯人の下宿を訪れる。
それが被害者の生存している最後の消息となった。

その日の21時頃、内縁の妻が経営しているキャバレーに1人で訪れていることから、犯行はその時間ではないかとされた。

しかし犯人は下宿人の身。
家主に気付かれずに犯行を行ったのか、そして梅田駅からの発送日である31日までどうやって隠したのか。

その事は終ぞ解明されないままとなってしまった。
これが1件目の事件。

稚内の日通倉庫で発生した2件目の事件はそれから5年後の昭和35年のこと。
12月24日の日刊宗谷で報じられている。

稚内駅の日通倉庫に保管されていた布団包みから血が出ている。
驚いた日通所員が稚内鉄道公安分署に届け出た。
それが12月23日のこと。
その後稚内警察署に通報され、捜査が始まった。

その布団包みは東京は中野駅から発送されたものであり、20日に稚内に到着したものであった。
被害者となる死体は32~3歳ぐらいの男であったという。

これ以外のニュースに目を向けると、年の瀬だけに紅白歌合戦の出場歌手についても報じられている。
白組はフランキー堺、フランク永井、春日八郎、三橋美智也、三波春夫等の名前がある。
かたや紅組は朝丘雪路、江利チエミ、美空ひばり、ペギー葉山、島倉千代子、ザ・ピーナッツといった名前が並んでいる。

こちらの事件は、意外にあっさり解決することになった。
翌12月25日の日刊宗谷では、「新宿の愚連隊を逮捕」と報じている。

被害者もまた新宿の愚連隊の構成員であり、葛飾区に住む男であったようである。

死体は12月4日、東京は中野の日通支店で「豊富行き」として発送されたが18日に札幌で行先を稚内に変更、18日に豊富駅から送られ20日に稚内駅に到着したというものであった。

そして犯人である愚連隊兄弟も北海道に渡り(というか帰り?)、弟などは羽幌線の振老駅から天塩高校に通っていたのだという。
その下校中、天塩駅付近で「不審尋問」を受け、送り状が見つかったことから逮捕されたのであった。
兄は自宅の納屋に隠れていたところを逮捕されたという。

ところで、この時点で戦前の警察制度も変わり、不審尋問も「職務質問」に変わっていたはず。
それでも不審尋問という語を使い続けるあたり、北海道の辺境では「オイコラ警察」の名残は残っていたのだろうか。

さて、ここからダークツーリズムとなる。

朝起きてみると、ホテルの窓から宗谷湾と、そして利礼ドームが見える。
そうだ。稚内の観光名所といえば利礼ドームである。

現場より前にこっちに行ってみようか。

さすがはサハリン航路の出入りしていた稚内だけに案内表示にもロシア語表記。
ただ「ドーム」なら≪доум≫で、≪дому≫だと「家」(дом)の何かの格変化(〜に、〜を等)になってしまうはず。

少し歩くと、稚泊航路の碑とC55の動輪が保存されている。宗谷本線といえばC55である。
もちろん今は稚泊連絡船なんてない。

かつて大泊への船が出ていた桟橋には海上保安庁の船が停泊し、朝の国旗掲揚の準備をしていた。
奥の方にあるそれらを撮影し、利礼ドームを右手に元来た道を歩く。

前方には稚内の街並みと宗谷丘陵が広がる。
戦後、樺太から引き揚げて来た人々は、この風景を見て「祖国」を感じただろうか。

そこから稚内駅を通り越して、かつて「駅裏」であった開運のあたりが、今回のダークツーリズムの目的地である。
今でも日通の事務所は残っているが、倉庫はもう残っていない。
そしてやはり、道路標示にはロシア語が付けられていた。

さて、ではここで朝食としようか。
とは言ってもここ稚内の朝、どこで朝食時間帯に営業しているというのか。

昨日のすき家にでも行くしかないかな… と思って潮見方面のバスを待っていたら、その視線の先に食堂が暖簾を出しているではないか!
これは有難いと早速入ることに。

そして親子丼で朝食。

では次はノシャップ岬へ行きますか…
ということで今度はノシャップ行きに乗る。
この方面のバスは15〜20分毎に出ているので便利である。

ノシャップのバス停には9:32に到着。
次の旅程を考えると9:54で稚内駅に戻るしかない。
その間に全てを手早くやるしかない。
とにかくノシャップ岬に急ぎたい。

と、何やら大きめの動物が出てきた?そして草を食べてる?
どうやらエゾシカらしい。こんなところまで野生種が出ているらしい。

音を立てないようにゆっくりと決死撮影
結局ここでかなりの時間を食ってしまった。

岬の方には水族館があるらしい。
岬からは利尻富士が綺麗に見えた。

さあ次は急いで稚内駅へ…!

稚内駅ではセイコーマートで何か買うくらいの余裕はあった。

稚内駅には特急用の券売機があった。
とはいえJR東日本の駅にあるような大掛かりなものではなく、ローソンのローチケみたいな小ぶりな販売機である。
そこで稚内⇔抜海の往復き方を買うことができた。

そしてキハ54に乗り抜海を目指す。
南稚内の次が抜海であるが、20分ぐらい掛かる。

そして抜海に到着。
同業者だけではなく、女子高生も1名下車した。

抜海駅に到着したら折り返しの11:48まで1人でポツンといるのを予想していたが、案に反し車で来た大学生のグループやらがいる。
それなりに人気のある駅のようだ。
かつてはこんな駅にも駅員がいて生活があった。

1時間は程なく過ぎていった。
東京では春めいて来ているとはいえ、この北海道の北の果てではまだ冬の激光が続いている。
写真が撮りにくくて仕方ない。

11:48が近づくと同業者が多くなる。
果たして、キハ54単行の稚内行きの中の人となった。

稚内に着いたらちょうど昼時。

駅前にラーメン屋で昼食と洒落込みたい。
このラーメン屋は徳光和夫が親子で入ったラーメン屋でもあり、人気店である。
それで少し行列ができていた。
それでも入れないことは無かったが。

味は非常にあっさりした味付けで、メニューは塩ラーメンと醤油ラーメンがあるだけ。

さて、食べ終わったらあとはもう帰るだけ。
帰りの「サロベツ四号」も既に入線している。

そういえば帰りの旭川空港からの便は真ん中の席だったはず。
では酒でも飲んで寝落ちできるようにしますかね…
ということでハイボールの500缶を買う。

そして13時01分、「サロベツ4号」は出発。

南稚内を過ぎたあたりから飲み始めたが、豊富か幌延を過ぎたあたりで飲み干し、天塩中川のあたりで潰れて寝ていた。
1号車には自分以外誰もいない。高歌放吟しようが何しようが自由である。
ドコモすら入らない広大な原野を旭川へ向かって走る。
この4時間以上でやることって何かないのか。

ところで、ブログ付けの下書きはいつもGoogle keepでやっているが、iPadよりもiPhoneの方が若干記入しやすいような気がする。
心理的障壁というか。

車内は、名寄でやっと人が入ってきた。
名寄では普通列車は既に新型のHE100だかHE200だかになっている。

そして和寒を過ぎると次は終点の旭川となる。
旭川では同一ホームで「ライラック」が待っていた。

さて、では旭川空港へ向かいましょう。
まだ夕食には早い時間である。

空港へ行くバス乗り場は9番となる。
9番は空港だけではなく富良野や層雲峡などへ行く便も使用しているようだった。
旭川電気軌道が運行する旭川空港行きのバスは17:36発だが結構並んでいる。

ところでふらのバスはというと旭川空港経由で17:15発!?
ならこれで良くない?
期せずしてふらのバスの中の人となる。
同様に17:36を待っていたと思しき客もゾロゾロとふらのバスに乗った。

ふらのバスのバス停は旭川市内ではレアである。
しかし札幌市内の国道12号線上で夕鉄バスのボロボロのバス停を見た時ほどのエモさは感じない。
ふらのバスには観光地がかなりあってバス停も立派なのだ。

果たして旭川空港到着。
いい時間になったのでフードコートで夕食。
旭川ラーメンの「梅光軒」で食べることに。ただしここのラーメンは凡庸のような気がする。

あとはもう機内の人になるだけ。
ちなみに機材の変更とかで真ん中の席というのは免れることができたが、かなり後ろの方になってしまった。
あとはブログつけなどをしつつ。

そして羽田空港第2ターミナルに到着。
エアドゥのためか結構歩かされる。

さあこれからどうやって帰ろう?
バスと言っても松戸行きは22:40だという。そこまで待つなら他にないのか。
津田沼行きは22:15で船橋行きは21:50。
では船橋行きに乗るか…

 

 

 

 

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