区立アルマーニ小学校

何と、公立小学校で一揃い9万円のアルマーニの制服ですってよ。

曰く、

泰明小学校という学び舎の気高さ。この伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇りとか、泰明小学校が醸し出す「美しさ」は保っていかなければと、緊張感をもって学校経営してきました。
しかし、私が泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていることとはかけ離れた様子、事実があることも否めません。なぜ、本校を選択されたのですかと問い返したいと思う出来事や対応が多いこと、これが泰明の実態だったのでしょうかと、学校を管理する者として思い悩むこともしばしばです。

もう凄いね。
「泰明小学校は他の凡百の小学校とは違うんざます!」と、そういうことなんでしょうね。

高度経済成長期までは、千代田区立番町小学校→麹町中学校→日比谷高校というのがエリートコースであり、越境入学が盛んにおこなわれていた。
しかし学校群制度の導入により、エリートコースは開成や麻布などの市立に流れることになった。
もはやそのような時代が再来しているのである。
そういえば日比谷高校も今や東大合格者が30~40人ぐらいいる模様。自分が受験の頃が2~3人ぐらいにまで落ち込んでたはずなんだけど。

件の泰明小学校があるのは、日本中の女風呂を空にしたというラジオドラマ「君の名は」で、東京大空襲のときに春樹と真知子が再会を約束した数寄屋橋があった場所のすぐ横である。
決モチームWBノノナナ

「君の名は」原作者・菊田一夫の揮毫による「数寄屋橋ここにありき」の碑の向こうに聳え立つ震災復興建築が、今回の目的地である中央区立泰明小学校である。

震災復興建築とは、関東大震災で壊滅状態になった東京で、震災に強いインターナショナルスタイルの建築を建てようということになり、昭和初期の東京の各学校は堅牢な近代建築になったものである。
そのような建築も残り少ないが、旧文京区立元町小学校(昭和29年に変質者による女子児童の殺人事件があった)には行ったことがある。

校門もまたこのような魁偉なものであり、道行く人は必ずスマホで撮ってた。
「これがあのアルマーニ小学校か」ということは皆分かっているのだろう。

ところで、そのアルマーニ小学校という決定を、わざわざ泰明小学校に越境入学させている親たちが「歓迎ざます!アルマーニこそは泰明に相応しいざます!」と歓迎したかと言えば、全くそうではないようで、金銭的な負担を訴える親がほとんどのようであった。
では卒業生は? と言えば、やはりいい顔はしていないようだった。

ただ、校長も校長で、この「泰明小学校」というブランドに対する世間の目には苦しめられているようである。

和田利次校長は5年前に赴任してきた。以前は、今のような感じではなかった、とこの保護者は振り返る。
「毎朝スニーカーで校門に立ち、子供達にやさしく挨拶をされる、どちらかと言えば素朴で気さくなおじさん、という雰囲気の方です」
「学校のイベントなどでも、保護者チームと先生 チームに分かれ、どちらのチームの手作り焼きそばがおいしいか、子供たちに投票させる、などのアイディアを出すなど、本来、子供達がどうしたら楽しく過ごせるか、第一に考えていた方でした。以前の講話は大変ユーモアがあった」
しかし、年を経るにつれ、講話の内容も、ユーモアのあるものから「泰明小が周囲からどう見られるか考えなさい」という内容のものに変わっていった
先生の表情もどこか少しずつ険しくなっていきました。最近は子供たちよりも周囲の関係者にどう思われるか、という事ばかりに目がいっていたように感じていました。『登下校時に街中を走るな』とか『校外でも泰明小の児童らしく振る舞え』とか、学校からは、そればかりが話に上るようになりました」

何かこういうのを見てるとかわいそうになってくるよな・・・

ところで、今日は衣装を全然持ってこず、にしこくん衣装と今日のプールで使ったスクール水着だけである。

スクール水着しかないならないで、泰明小学校のプールも見てみようか。
そうすれば、スクール水着で撮影する合理性も立つはず。

プールは、西銀座の高速道路沿いにあり、4コースだけの小ぶりなものであった。(Googleアースで見る限りでは)
昔はここが皇居の外堀で、数寄屋橋が掛かっていたようであるが、現在は高速道路の下の銀座ファイブとなっている。

ともあれ、制服がアルマーニであれ何であれ、泰明小学校も他の区立小学校並みに変質者対策はしているのであろうから、こんな怪しい撮影者はさっさと撤収するに限る。

ではさようなら。

 

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