今回の「私的devotee史」は、広瀬香美が「ツイッターの女王」ではなく「冬の女王」だった頃の話。
まだインターネットなんてものができる少し前で、自分の中のフェチに関する情報・・・というより欲求の充足は、「Active Japan」誌の、砂粒から砂金を探すような努力に頼るしかなかった。
また、王子のスポーツセンターへ行き、シッティングバレーのボランティアらしきこともやっていた記憶がある(大して役にも立てなかったが)。
そのシッティングバレーの大会が、イトーヨーカドーの体育館であるのだという。
イトーヨーカドーは当時、実業団の女子バレーボールチームを持っており、その本拠地として使用していた体育館である。
地図で見ると、どこの駅からも遠い国道沿いにあるようだったが、東武の北春日部から30分歩けば着く距離のようだった。
当時、からっ風に吹かれながら歩いた記憶がある。
今回は、その記憶の跡を辿ってみたい。
日比谷線には、たまに「北春日部」行きが来ることがあるが、それは東武が北春日部に車庫を持っているからである。
(決死モデル:チームRスマレ)
自分ではおしゃれだと思っていたピーコートを着てこの駅に降り立ったのは、北風の吹きすさぶ曇った日だった。
「東京の大学」に、都会へのあこがれを持って上京してきた自分にとって、この北春日部周辺の純農村のような風景は信じられないものだった。
それにしても、そんな北春日部に、自分は何をしに来たのだろう、ということである。
大落古利根川を渡り、国道4号線を歩いて北上する。
当時はこんなに歩道が整備されておらず、トラックをよけながらトラックによけられながら歩いていった。
住所としては杉戸町、昔の東武動物公園駅も「杉戸駅」であった。
町境から奥には、セブンアンドアイホールディングスの看板も見える。
イトーヨーカドーの女子バレー部は2001年に武富士バンブーになってしまったが、体育館自体はどうやら現在でも、イトーヨーカドーの配送センター的な場所として存続はしているらしい。
そのセブンアンドアイホールディングスの看板を目当てに歩くと、見覚えのある体育館に着く。
他の参加者の人はおそらく自家用車で来ており、公共交通機関で来たのは自分だけだったのだろう。
表札には一応、「イトーヨーカ堂健康保険組合 総合運動場」となっているが、駐車場は「セブンアンドアイホールディングス 燃料備蓄基地」となっている。
たしかに大規模な小売業は配送網が命なので、燃料は生命線なのであろう。
現在も体育館として使用しているかどうかは謎であったが、野良猫がたくさん生息しており、マタタビでも持ってくればよかったと後悔している。
さて、こんな所まで来たら、ついでに「柳生の三県境」にも行ってこようか。
I’m at 栃木・群馬・埼玉の三県境 in 加須市/栃木市/邑楽郡板倉町, 埼玉県/栃木県/群馬県 https://t.co/GooJ0CdwEt pic.twitter.com/iKpQr1eNe1
— NiceAge (@NiceAge39) 2018年1月2日
ということで北春日部から北を目指し、南栗橋で新藤原行きに乗り換える。
しかし南栗橋から6050系に乗れるとは思わなかった。
(決死モデル:チームWB嵐山)
「Yahoo路線」で新藤原行きと出た際にもしかして・・・ とは思ってたが、案の定だった。
まさか4扉の10000系が新藤原まで足を伸ばすなんてことは無いだろう。あの辺りまで行くと冬は本当に寒くて、車内保温も問題になってくるだろうし・・・
というより、この辺りは2扉の6050系を常時走らせても十分と思われる程度の輸送量しかない、ということのようである。
ちなみに柳生駅は単純な対向ホーム2面2線の駅であり、線路の形が変わっているわけではい、ほとんど停留場に近い駅である。
この駅舎は、デッカー3200系や7800系も見送ったであろうか。
また、羽鶴や葛生から業平橋へ向かう石灰石列車も通ったであろう。
さて、「柳生の三県境」であるが、駅前にも案内看板が出ており、観光地として売り出す構えはあるようである。
線路沿いに歩いて踏切を渡り、田んぼの中の道を少し行くと三県境に到着する。
写真では、嵐山が埼玉県側に立っているような印象になるが、実は栃木県側から撮っている。
観光地としての三県境は、案内板や写真撮影スポットが全て栃木県側にあり、埼玉県側と群馬県側はただ看板が立っているだけという状態であり、温度差を感じさせた。