お前ひとりが我慢すれば丸く収まるんだよ!

大晦日には「除夜の鐘が騒音になるので自粛した」というニュースが年末年始の世間を賑わしましたね。

このニュースの文中に、こんな表現があるのが目に留まる。

「法的に分析すると、除夜の鐘をつく寺(A寺)は、それを止めてほしい人(Bさん)以外のその他大勢の『公共の利益』の立場です。一方、Bさんは、その他大勢に対する『少数者』、音響に対する耐性が顕著に低い『弱者・障碍者』、静かな場所に避難する余裕がない『貧困者』の立場にあるといえます。
このような場面で、Bさんに対して、『伝統文化を尊重しろ』『苦情を言うのはあなただけ』『わずかの間だからよそに行って』など、多数者・強者・健康者・富者の要求を強いることは、人権尊重の原則に反します。
法的に、A寺とBさんの権利調整をはかるのは、立法(国会・地方議会)と司法(裁判所)だけです。A寺もBさんも、法令・判例に根拠のない言動で相手を服従させれば、刑事・民事責任を負うべき違法行為を犯す可能性があります」

そうなのよね。
これは日本人の大多数が大晦日の情緒と共に親しんでいる「除夜の鐘」だからクローズアップされたもので、日常生活の中で「多数者の要求を強いられる」つまり「お前ひとり我慢してれば丸く収まるんだよ!」という同調圧力を感じたことはしょっちゅうあるのではないだろうか。

職場では、部外者の市民からクレームを受けることもある。
中には、直接職場に来た人までいるが、その身なりの貧乏そうなこと・・・
決して幸せに暮らしているのではないということが一目でわかった。
世間の繁栄(最近はそうでもない?)から取り残され、つまはじきにされているオーラが全身から出ていた。
そんな不幸を背負って職場まで来た貧しいお爺さんお婆さんを蹴りだしてしまえば簡単だが、なかなかそうもいかないのが社会人のつらいところ。

実際、音響に対する耐性が顕著に低い『弱者・障碍者』とも言うべき人はいて、殺人事件まで起こしている。
今回の「事件現場を歩く」は、この事件を追ってみたいと思う。

事件は昭和49年の夏、神奈川県平塚市の団地で発生した。

夏休みも終わりに近い水曜日の朝、母親がゴミを出しに行っているわずかの間にその凶行は行われた。

犯人は上の階の住人、原因は娘のピアノがうるさかったから。
そして凶刃は母親にも襲い掛かり、ほぼ「一家鏖殺」の状況となる。

事件はその日の夕刊で報じられ、上の階に住む犯人の捜索が始まる。
普段から「娘のピアノがうるさい」と文句を言っていた上の階の男は、常日頃「海で死にたい」と漏らしていたのだという。
自殺のおそれありと見て警察は、湘南の海岸方面の捜索を行う。

同じ面の4コマ漫画は「フジ三太郎」で、1969年6月12日に進水した原子力船むつが放射能漏れで、母港である大湊港に入港できないという問題をネタにしている。
Wikipediaによれば、この放射能漏れは1974年9月1日とあるが、4日前である8月28日には、既にこのような漫画にされている。
どういう経緯だったのだろう?

個人的には「原子力船むつ」に関しては、昔ニュースでやっていたのをおぼろげながら覚えている。
いつの間にか報じられなくなったと思ったら、既に原子炉は取り除かれているらしい。

結局3日たった31日になったの夜0時過ぎに、犯人は平塚警察署に出頭する。
しかしその扱いは果てしなく小さい。

前日に、三菱重工ビル爆破事件が発生したからである。

個人的にはこの事件は生まれる前の話なので全く知らないが、東京都出身の上司(昭和32年生まれ)はよく覚えているようだった。
「赤い狼っていう極左が、丸の内の三菱重工ビルを爆破したんだ。当時はそういう訳の分からないグループが跋扈してたんだ」

また、新聞の広告欄には、この事件に関するお見舞いお礼広告が出ている。

  • 大和銀行丸の内支店
  • 三和銀行丸ノ内支店
  • 第一勧業銀行丸之内支店
  • 横浜銀行丸ノ内支店
  • 北海道拓殖銀行丸ノ内支店
  • 八十二銀行

「丸の内」「丸ノ内」「丸之内」と表記に揺れがあるのが興味深い。

話をピアノ騒音殺人の話に戻すと、一審は横浜地方裁判所小田原支部で行われ、翌昭和50年10月20日に死刑判決が下っている。

当時、近隣騒音は社会問題となっており、助命歎願運動も行われたが、犯人自身により控訴を取り下げ、死刑が確定している。

なぜ死刑判決を自ら取り下げたのか。
事件から3年が経とうとしている昭和52年3月25日の朝日新聞でその点について解説されている。
「音の苦痛より死刑を」という、死刑囚となった犯人の心の叫びであった。

現在、その団地はどうなっているだろうか。

実際に平塚に行ってみることとした。
決死モデルは、警察マターだけにデカレンジャー出身のチームYジャスミンに登場願うこととする。

平塚と言えば七夕祭りが有名で、発車メロディも笹の葉さらさらである。

平塚駅からは神奈中バスに乗って行くが、愛甲石田行きも含め1時間に何本も出ているので、交通の便自体は良い。

バスにしばらく揺られると、横内団地に到着する。
団地は、昭和40年代に建設されたような、いかにもな団地である。

そして、該当の棟へ行き、例の部屋を見てみると、事件があった部屋も、その上の階の犯人が住んでいた部屋にも生活の気配はない。
いわば、いや言わずもがなの「大島てる物件」として登録されている。

ところで、近所の公園からは子供たちの歓声が聞こえてくる。
子供達はやたら国際色豊かで「多民族国家」の面持ちすらある。

神奈川の多国籍団地と言うと、拙ブログでも何回か触れたいちょう団地が有名であるが、ここ横内団地もアジア系外国人を多く受け入れており、ピアノ殺人で全国を騒然とさせた団地は現在、「文化の違い」と取り組んでているようである(2015年の読売新聞より)。

タイ料理店やベトナム料理店やカンボジア物産店もあり、いちょう団地よりよほど多様性に富んだ感じである。

ベトナム料理店には行ってみたが、
「今日はやってないよ。土曜日(1/6)からやるよ」とのこと。

ベトナムの正月は元旦だけが休みで、中国同様旧正月(テト)を盛大にお祝いすると聞いたことがあるが、何とも悠長なことである。

 

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