いつだったか、昭和史を振り返る写真集を見た時、昭和34年の項で長井荷風の死亡記事を見た時びっくりした。
何と、荷風の死体がそのまま写っているではないか!?
昔の新聞記者さんはエグイことをするもんだと思ったものである。
(今回掲示する当時の新聞には、死体画像はない)
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少しでも永井荷風について知っている人であれば、荷風が極端に個人主義であったことは知っているのではないかと思う。
前掲の昭和34年4月30日毎日新聞夕刊の記事中にも、
葬儀の事などを相談しているが永井さんが絶対に嫌いだったことはやるまいというので死亡通知を出したり、花輪を飾ったり仏壇に写真を飾るようなことはやめ、荷風散人の葬儀らしい葬式をいとなもうと相談がまとまった。
ということが書いてあり、そのような思いやりのある周囲に恵まれて羨ましく感じる。
今回は、その足跡を歩いてみたい。
「断腸亭日乗」にも、特に死去の直前などは、
晴。正午大黒屋。
とだけ出てくる、その「大黒家」では、荷風が愛したカツ丼とお銚子を「荷風セット」として今でも供しているのだという。
(決死モデル:チームY宇崎)
さて、京成電車で八幡に到着しましたと・・・
その結果待っていたのは・・・
何じゃこりゃーーーーーーーっ (cv:松田優作)