小沼・内淵・奥鈴谷・真岡

サハリンにはまさに前線を伴った低気圧がかかっている。
回顧録:2022年9月18日しるす)

ノグリキ発のユジノサハリンスク行きの夜行列車で、まずはユジノサハリンスクに戻ってくる。

さて、今日はユジノサハリンスク近郊のローカル線に次々と乗ることにしたい。

それだけでは芸がないので、途中のノボアレクサンドロフカ(小沼)までは、ティモフスク行きの「列車」に乗って行くことにしよう。
ちなみに、ティモフスクは北緯50度線の北にあるので、日本名は無い。

そう思って切符売り場に行ったら、やれパスポートがどうたらとか面倒くさかった。
それでもどうにか、小沼までの切符を買うことができた。

そして、列車に乗って小沼へ。

小沼は、明らかにソ連時代に建てたであろう小さな駅舎がある好ましい駅である。
また、ソ連の小さな駅の特徴として、駅舎の出入り口がホーム側にしかないのである。
つまり、駅の正面から駅に入って入場券を買ってホームへ… という形ではなく、まずはホームに入ってから駅舎に入るという形である。

そして、この小沼の駅でブィコフ(内淵)への切符を買う。

その内淵行きのディーゼルカーは、1日1本か2本ぐらいであるにもかかわらず、結構な数の乗客が乗っていた。

そして、程なくして終点の内淵に到着。
日本時代はここは油田の町だった。

だから内淵という地名はロシア語の「нефть」に由来するものか?と思ってたら違うようで、アイヌ語のナイ(川)プチ(口)なのだという。

それはともかくこの内淵の町は特段何があるわけでもない。
学校のようなものが1つあるだけである。

それで、さっさと引き返すことにした。

そしてユジノサハリンスクまで戻って来たが、今度はノボジェレーベンスカヤ(奥鈴谷)へ行く列車に乗ることにしよう。

この奥鈴谷に行く路線は、本来はホルムスク(真岡)まで通っている「豊真線」と言う路線だった。しかし、災害により6番が崩壊し、上手レベですかから先はまで通っている「豊真線」と言う路線だった。しかし、災害により路盤が崩壊し、ノボジェレーベンスカヤ(奥鈴谷)から先は全く列車が走らなくなってしまったのである。

現在は、この奥鈴谷周辺のダーチャ(家庭菜園)へ行く客のために列車を残しているのだという。

そして、その奥鈴谷には、ディーゼルカーで程なくして到着した。

雨にぬれて錆びた線路が物悲しい。
本当は、ここから真岡に行くことができたのだ。

さて、その真岡には、今はバスで行くしかない。
それで、ディーゼルカーでユジノサハリンスクまで戻り、今度はバスで真岡へ。
豊原〜真岡のバスは頻繁に出ている。

ただ、途中のバス停には時刻表などなさそうな雰囲気である。
途中のバス停からも、それなりの数の客が乗ってくるが、迷わずに乗ることができるのだろうか。

ともかくも、ホルムスク(真岡)に到着。

「真岡郵便局の9人の乙女」で知られる真岡は、今なおロシア本土の物流と、漁業の街であるようだ。

港には大きなクレーンが並んでいる。
ここから、ロシア本土に出るフェリーも出ているのだという。
いつか乗ってみたいものだ。

さて、真岡の少なくとも市街地には、駅が2つあり、ホルムスク(真岡)駅とホルムスク・セーヴェルヌイ(北真岡)駅がある。

真岡駅は、かつては上野駅のような石造りの駅舎があったのだというが、現在は全く影も形もない。
それどころかベンチすらなく、ここが駅であることすら認知するのは時間がかかったほどだ。

真岡の市内は、マイクロバスが割と頻繁に走っている。
昼食は、北真岡駅との中間あたりのショッピングセンターのファーストフードで食べた。

そうすると電話をかかってくる。一体誰!?
それは、旅行会社の人だった。
「申し訳ないのですが、船の都合で帰国が1日遅れるんですがよろしいでしょうか」
「あー、そうですか別にいいですよ」

まぁ夏休みの日数は余しているし、そうなればユジノサハリンスクのどこかに行くことになるだろう。
ガガーリン公園の子供鉄道にでもしようか。

さて、北真岡駅に行くことにしよう。

北真岡駅は、日本時代から豊原からの列車の終点となっていた。
言うなれば西鹿児島駅のようなものだ。

現在でも、小さな駅舎があり、切符を売っていた。

豊真線であるが、真岡側からは、「77km」と言うところまで走っているようだった。
もはや駅名すらなく、キロ数で表すと言うあたりがすごい。
そこには集落すらないのだろうか。だったらなぜ列車を走らせているのだろう。

それはともかく、その「77km」まで行く列車に乗ることとしたい。

日本時代で言うところの手井までは、樺太西線を行く。
ちなみに現在、手井は、「ホルムスク・ソルチローヴォチヌイ」(ホルムスク操車場)と言う駅名となっている。戦後しばらくは「ポリャーコヴォ」という駅名だった。

それはともかく、列車は「77km」へ。
この「77km」、駅舎もホームもない。電柱に駅名標ぐらいはある。そんな駅なのだ。

男の運転士と女の車掌は、写真を撮っているこっちを見て笑っている。

さて、真岡で見たいものは全部見てしまった。後は、豊原に戻るだけ。

 

 

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