滞在時間18時間40分

四国の沖合には低気圧が発達している。
伊豆諸島南部は一日中雨になるようで、波は4m以上であるという。
そして八丈島の最高気温は13℃の予報。

6時ごろ新宿区役所前のカプセルホテルで目が覚めるが、どうも頭が痛い。
寝不足だろうか。

それでも、出発しなければいけない。
結局、7時過ぎに出発することに。
ところで、カプセルホテルのロッカーにイギリスのパスポートが挟まっていたが、流石に日本でもこういうのはどうなんだ?
なにしろ衰退途上国日本だぞ。先進国とは訳が違うんだぞイギリス人よ。

さて、朝食をどこにするべきか。
なんとなく塩分を控えた方が良いような気がする。
それで、おにぎりの権米衛にしようかと思ったが、西口の京王改札まで行かなければいけないと言う。

途中に、磯丸水産があるんだったら、そっちでもいいかなと思ったが、新宿3丁目の方まで戻らなければいけないと言う。

結局、新宿駅の方まで歩いて行くことにしよう。
ところで、新宿の朝はゴミ収集車が走り回っている。

結局、権米衛は西口改札の工事中でっていないようだった。

結局、箱根そばで鴨そばを食べることにした。
しかし、鴨肉が写真に比べて小さくないか。
そういったことが白日の下に晒されるのがSNS時代なのである。

SNSで晒されると言えば、最近は女性のバイオリニストがCM出演の話が制作会社からあり、撮影の4日前になって突然キャンセルになったということで、憤慨して法的措置を取ると言うことになったといったことがあったようだ。
何でも、衣装のドレスを作るためにスリーサイズまで聞かれたのだと言う。
また、複数名で出演してほしいということで、他のバイオリニストのスケジュールもブッキングしたにもかかわらずということである。
この辺、制作会社からすると、どのように受け止めているのだろうか。

ともかくも、朝食を食べたら山手線で原宿へ行くことにする。
ラッシュはだいぶ落ち着いて座れる位になっている。

そして原宿に到着。
明治神宮も人はまばらである。

さすがに鳥居をくぐるとひんやりとした厳かな空気に包まれる。

そして、かなり広くて歩かされる。
コロナ前もそうだったが、外国人が多い。
ガイドブックには「日本で必ず訪れるべき観光地」という扱いがなされているのだろうか。

所々に、明治天皇の御製が配せられたりしている。
また、他の神社同様に奉納の酒樽が重ねられていたりするが、ここにはワインの樽が置いてあったりする。

そして、本殿と思われるところで参拝をする。

そして、脇の方から退出することにする。
ところが、脇の方から出て、すぐに元の道に合流できるのかと思ったのだがさにあらず、道に迷ってしまった。
結局、山手線の線路沿いの道に出ることができたので、その道を伝って原宿駅に戻ることにする。

そして、明治神宮前から千代田線に乗ることにする。
千代田線に乗るのも久しぶりだ。

そして、二重橋前で降りることにする。
ちなみに、次の電車は松戸行きらしい。

そして、地下通路を通って東京駅に向かうことにする。

東京駅の地上に出ると、雨が降り出していた。
ここで1つ、にしこくん仕事

そして改札に入り、お土産を買う。
なるべく高いものを買うことにしよう。
ということで、「TOKYO CHOCOLATE FACTORY」「CARAMEL WICH」。
〆めて六千円ぐらい。

そして山手線に乗って浜松町へ。
浜松町の小便小僧は小便していなかった。

この時点でまだ9時半ごろ。
チケットのチェックインにはまだ早い。

それで、ポートシティのタリーズでしばらくコーヒーでもしばいていることにする。
その間、副業ブログでもつけていることにする。

そして10時半も回ったので、竹芝桟橋へ。

竹芝桟橋は雨が降っている。
早速搭乗券に引き換え。
今日は452−6で、偶数なので上段だ。上段の方が個人的にはありがたい。

そう思ったら03の電話番号から電話。
誰かと思ったら小笠原海運で、「今日の船を2つ予約しましたよね?」と。
え?そうだった。であれば1つキャンセルしたい。
ということで、1つはキャンセルしてもらうことにした。
当日なので30%はかかるというが、返金はしてくれるという。

ともかくも乗船する。
雨の中を出発。

もう11時なので、そのままラウンジで昼食・・と思ったら満席。
仕方がないので、指定席を取ることにする。
ソファーになっていてなかなかオツなもの。
これからも竹芝からの帰りはソファーにしようかな。

出港して30分位で、電波が3本ぐらいになり弱くなってきた。
あとは本でも読んでるしかない。

まずは、読みかけの「MOCTソ連を伝えたモスクワ放送の日本人」を読むことにする。
戦時中からソ連にいて戦後モスクワ放送で働いた人たちは、ソ連で社会主義と出会って一定の理想を抱いて、帰国せずにソ連に残ったという人もいる。
それらの多くの場合、現地で結婚してそのまま居付かざるを得なかったという場合が多いようだ。

そうやって読書していたら、指定席のタイムリミットである。12時50分が来てしまった。
それで、席を空けることにする。
それでも、竹芝発の場合、最初の時間に指定席をゲットしておくという良い知見を得ることができた。

そう思ったら、向こうには東京湾第二海堡が見える。
ギリギリ電波も入るので、にしこくん仕事をしておくことにする。

さて、その先は、もうペットにこもって、読書の時間とすることにしよう。
東京湾を出れば、船も揺れ出すはずだ。

ベッドの中で引き続きMOCTの本を読んでいたが、14時が過ぎて船が外洋に出たので揺れが強くなり、デッキの閉鎖もあり得ると言うことをアナウンスしている。

さて、MOCTの本なのであるが、結局読破してしまった。
制約の多い国でどうにかして自由に表現しようとした人たち。大韓航空機撃墜事件や昨今のウクライナ侵攻に至るまで、西側社会の眉をひそめ続けさせている中で苦労している人たち。
ソ連邦が崩壊して、30年以上経過する。今となっても、知床遊覧船事故の遺体が北方領土やサハリンに流れ着いたの遺体の引き渡しは、ソ連時代さながらに他の国以上の外交努力を強いられるものだったようだ。
今後、日本とロシアはどうなるかわからない。
だからこそ、これまでに両国間をつないできた人々に思いを致すことが大切だと思うのだ。

それはともかく、明日は仕事を休むわけだが、やっぱり仕事の事が気になる。
それで、ベッドの中で仕事に関係する資料を読むことにする。
大衆啓蒙関係の根拠となる資料を読むことにする。
基本的には「心得」のようなものが書いてような気がする。

そんなことをしているとアナウンスがあって「デッキは6階の後以外は閉鎖する」という。
確かに、いい揺れが出てきた。

ちょっと後ろに出てみることにしようか。

6階の揺れる船内を歩きながら、やっとのことで後ろのデッキに出ると、デッキは波をかぶって濡れている。
右舷方向には御蔵島が見えるはずだが、霧がかかっていて全く見えない。

決死したくらいにして、後は退散することにしよう。

まだ17時過ぎなので、夕食には早い。
このアクロバティックな揺れの中をベッドに戻ることにする。
はっきり言って、おがさわら丸なんてのはベッドの中でどう過ごすかというのが全てだ。

そのうち、まっとうな読書にも飽きてきたので、また、犯罪史や警察史を読むことにする。
そういえば、最近は資料用ブログもまるでつけていない。

しばらく警察史を読んでいたら、18時過ぎたので夕食とすることにしよう。
船はまるで回転するように揺れて、歩けたものですらない。

それでもかき揚げそば850円を頼んで食べる。
食べ終わったらすぐにベッドに戻るのではなく、しばらくゆっくりしていることにしよう。
そうでないとまた逆流性食道炎になってしまいそうだ。

そのうち、大波にぶつかった音がすると、食堂内に悲鳴が響き渡る。
食事を持って歩くことすら難儀する大波だ。

19時近くなり、ベッドに戻ることにする。
しかし、今日の船の揺れ方はかなりものである。
もはや本を読む余裕すらない。
あの1時間半遅れた着任の時ですらこんなに揺れただろうか。
低気圧の通過中であり、安全な航行には支障がないとは言われているものの、全く生きた心地がしない。

20時半ごろ、アナウンスが入る。
「4階の食堂はただいまをもちまして、ラストオーダーといたします。7階のラウンジはあと30分で閉鎖となります」
まるで、この程度の揺れなど、大したことがないと言わんばかりに。

なおもガッタンガッタン揺れているのだが、21時半ごろになると「22時になると消灯します」と事も無げにアナウンス。

本すら読めないのであれば、このまま寝るしかない。

東京から帰ってきたので、念のため鼻うがいをしたら、その鼻うがい液が耳から出る。
これじゃ耳には良い影響がなさそうだ。

今日の決死出演は5名(累計19名)。

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です