神栖へ

鹿嶋まつりで鹿島臨海鉄道の神栖駅の臨時運行ですってよ。

松戸からは我孫子経由で成田線を通って行くことになる。

そして鹿島神宮へ到着。
鹿島神宮は1本のホームをJRと鹿島臨海鉄道が共用している。
決死モデル:チームR小沢

・・・というか、鹿島神宮の先も、北鹿島(鹿島サッカースタジアム)まではJR線なのである。
ただ単に、JRの車両ではなく鹿島臨海鉄道の車両だけが定期運行しているというだけなのである。
この区間はなかなか複雑である。

さてその鹿島臨海鉄道の車両・・・ ってあれ?
鹿島臨海鉄道の車両というよりは、いかにも関東鉄道から来ましたといわんばかりの佇まいの車両なのだが・・・。

Wikipediaを見ると、確かに関東鉄道キハ5000系と共通の形式ではあるようだが、関東鉄道からかっぱいで来たわけではなく、自社発注で新製したようである。
さて、JRの切符を買って、鹿島臨海鉄道の車両に乗ることにしましょうか・・・。
この190円区間は、鹿島アントラーズの試合の日ぐらいしか買う事ができないのではないだろうか。

程なくして鹿島サッカースタジアムに到着である。
決死モデル:チームWBノノナナ

一応島式ホームが1本あって、列車交換もできる構造になっている。
降り立っているのは、いわゆる「同業者」ばかり。

ここの跨線橋を上がった入り口部分に、臨時の切符売り場が開設されており、ここで神栖までの往復切符を500円で買うことになる。
ちなみに、神栖で降りることはできず、この鹿島サッカースタジアム駅まで戻ることが前提となる。

それにしたってまあ凄い行列だね・・・。

現在、神栖駅は貨物駅であるが、一時期は旅客営業をやっていた時期もある。
宮脇俊三著「時刻表奥のほそ道」にも出てくるが、この大洗鹿島線の開業以前の昭和53~58年に、鹿島神宮~鹿島港南の間で、キハ10系で1日3往復旅客列車を走らせていた。
それは、鹿島工業団地から成田空港へのジェット燃料輸送の見返りに走らせていただけだったというのだ。
それでも、今でも鹿島工業団地に住民はそれなりの数住んでいそうでもあり、今旅客営業してもそれなりの客数を見込めるような気がするのだが、どうなんだろうか?

さて、神栖への硬券を手に、神栖へ出発である。
車両は鹿島臨海のキハ6000系で、ガルパンとのコラボ車両である。
決死モデル:チームTフジアキ

2両編成の列車は、同業者で満員である。
そして普段旅客列車が走らない路線へ向けて進み行く。

荒涼とした草原を走っていくような感じであり、住宅地は遠巻きに立っているような感じである。

そして線路が増え、タンク車やコンテナ車が屯する神栖駅に到着である。
この様な光景は、そうそう見られるものではない。

向こうが神栖の駅舎で、はっきり言って事務所然としている。

ここで物の5分か10分程度停まった後、逆向きに出発して行く。
あとは元の荒涼とした草原の中を鹿島サッカースタジアムに戻るだけである。

そして鹿島サッカースタジアムに到着。

そして車内補充券のような券を駅で買って鹿島神宮に戻る。
鹿島神宮では鹿島臨海鉄道キハ6000系とJR209系の並び。

そしてあとは成田を経由して帰るだけ・・・

何で成田までの切符を買ったのかと言うと、鹿島線はSuicaが使えないのである。
それで、Suicaの使えそうな成田までの切符を買ったのだった。

で、なぜか本千葉で降りている。
決死モデル:チームR持田

自分が本千葉で降りる用事などただ一つ。

それは、千葉県立中央図書館で何かの本を借りることである。
一応、西部図書館が近く、県立図書館3館での相互貸借もスムーズなのだが、中央図書館だけに、他の館にはない本が結構あり、見ごたえがあるのだ。

それでこの日は何を借りたんだっけな・・・

いずれ、大した本でもなかったことだけは確かであろう。

 

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