弱い冬型の気圧配置となっている。
東京や千葉は、ほとんど晴れで推移する模様。
最高気温は11〜12℃。
朝起きたら、10時58分だった。
何分にも休みなので、これでいいのだ。
そして風呂に入ることにする。
風呂の中では、例によってアンドロイド携帯を持ち込むわけだが、ちょっとまた愚痴が過ぎたような気がする。
自分のような異常者でも、春が近づけば、出世やら何やらに揺れる一介のサラリーマンなのだ。
風呂から上がった頃には13時近くになっていた。
さて、昼食に行くなら行こう。
行く頃にはすでに日が暮れかかっとんのちゃうか。
ということで、14時13分の新京成線にどうにか間に合う。
そして車内では何も考えず。
それでいいんです。
この新京成線は京成千葉線直通なので、京成幕張本郷に到着。
駅の北側には、JRの幕張電車区が広がる。千葉動労の本拠地でもある。
そして駅の南側のバス乗り場に出ると、京成バスはマリーンズカラー一色となっている。
なにしろ千葉マリンスタジアムのお膝元なのでそうなのだろう。
幕張メッセで何のイベントをやっているわけでもないようで、幕張メッセに行く系統は少なく海浜幕張駅で止まる系統ばかりであるが、運よく幕張メッセ行きに乗ることができた。
とはいえ、ほとんどの客が海浜幕張駅で下車し、そこから先は自分一人だけとなった。
結局、タウンセンターで下車。
さあマリブダイニングのマントラでインドカレーバイキングだ・・・!
と思ったら閉まってやがる。
15時と言う時間が悪かったのか、それとも年末だからなのか。
いずれにしても、仕方がないので、2階にある田所商店で味噌ラーメンにしよう。
田所商店は北海道・信州・九州と味噌どころの味噌ラーメンを作っている。
北海道在住経験があると、そう言うのは節操なく思えるが、それでもチャーシューなどにはこだわりがあるようだ。
そして、食べるだけ食べたら海浜幕張駅前のベローチェでゆっくりしていることにしよう。
ここでSNSやらブログやら。
しかし座面が高く、電源もないのでちょっと河岸を変えようか。
それで海浜幕張駅から出る東京行きを探したが、10分以上待たないと乗れないので、改札内の喫茶店で時間潰しをすることにした。
ここなら座面が低く、何より電源が取れる。
ここで明日のコミケの予定を練ったり何だり。
東京行きは18時47分に乗ろうか。
車内では青空文庫で「青べか物語」を読む。
山本周五郎は昭和42年に死去している。だから著作権が2018年に消滅している。
それで青空文庫で読めるのだ。
青べか物語は江戸川の河口の一漁村だった浦安の人々の生活を描いた小説である。
山本自身は昭和3年の夏から秋にかけての短い間だけ浦安に住んでいたようだ。
年齢としては25歳。
これが「青べか物語」として世に出されるのは昭和35年で、つまりは50代も後半になってからである。
ともあれ、山本によって描かれる昭和初期の漁村の生活は、田舎での暮らしを経験した者が思い出す嫌な感じそのままである。
野蛮な力関係があって、放縦な性がある。
そんな生活から抜け出したくて勉強しようとする。
そんな漁村の民衆を「蒸気河岸の先生」という外の視点から書いていく。
外の視点なので何だって書ける。
そんなことを考えてたら、東京に到着してしまった。
その「青べか物語」の舞台となった浦安の舞浜で客はいっぱいになっていた。
さて、新宿へ行きましょう。
その前に、東京駅の地下の「のもの」で明日のコミケへのお土産を買っていくことにしよう。
そして丸の内線の中の人となる。
そして新宿で降りて、夕食としたい。
夕食は、久しぶりに区役所通りのベトナム料理に行こうか。
このベトナム料理はぽわんちゃんも大絶賛で人が多い。
それで、一人客はあまり歓迎されないのだが、今日はガラガラだった。
でもあまりいい顔をされなかった。
そこで、まずはBia柴棍と豆腐煎を頼む。
ところで・・・
後ろに茶色い小さいGがいませんか!?
まあそんなこと気にしてたら南方系なんて無理か・・・
もし南方に転勤になったらどうしようかね?
さて、食い終わったら行きましょう。
ということでぽわんちゃんの店。
ぽわんちゃんの店では例によってそこそこ埋まってた。
なんやかや色々な話。
明日は韓流の何かのイベントがあるようで。
自分もその少し北の方ならある程度詳しいんだけど。
ぽわんちゃんにエレベーターまで送ってもらった。
わざわざありがたいね。
今晩は快活CLUBを予約しているので、そこで夜明かしすることにする。
流石に予約しないと今晩のような日は満席である。
ともかくも日記書いたら寝ましょ。
今日の決死出演は6名(累計20名)。