滋賀県警のあの事件から、もう1年以上が経つ。
【速報】
逃走していた19歳同僚巡査の身柄を確保 滋賀県警
→交番で巡査部長が拳銃で撃たれ死亡https://t.co/ROfPD2b6P5 pic.twitter.com/JdPRL3ifrL
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2018年4月11日
結局、滋賀県警でもパワハラが常態化していたのは確かなのだろう。
その滋賀県の警察史(昭和43年刊)によると、銀行における多額窃盗事件で、盗んだ金の受け渡し場所が国鉄バスの駅だったらしい、という事件があった。
しかし、その場所は本当に国鉄バスの駅かどうか怪しい所だったので、その道の権威であるふもふも館で聞いてみることにした。
2019 年 04 月 27 日 10:54:26 (15469)
マカさんの書き込み
【国鉄バス八幡線の近江下田駅?】
お世話になっております。
当方は昭和史を調べるのが好きで、「滋賀県警察史」(1968)を読んでいると、
昭和35年(1960年)に発生した現在の湖南市内の銀行での多額窃盗事件に関する記述で、
「国鉄バス近江下田駅で共犯者と待ち合わせて金の受け渡しを行い~」
というくだりがありました。
近江下田というのは、確かに八幡線にあったようです。
http://www.magame.jp/fumo/jnr600.html#606
ただ、八幡線で自動車駅というと、昭和52年時点で元八幡のみであったようで、近江下田は自動車駅ではなかったようです。
ただ、銀行の支店がある程度にはまとまった市街地があったようで、
何よりこの下田地区、昭和33年(1958年)までは、甲賀郡下田村という一つの自治体であったようです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/下田 (湖南市)
以上を考え合わせると、国鉄バスの自動車駅を設置する素地は十分で、昭和52年以前は自動車駅として存在していたのでしょうか。
あるいは、捜査資料や裁判資料のような、厳密に正式な表記を求められるものでは、国鉄バスの停留所は全て「駅」として扱われる、
ということだったのでしょうか。
(例えば「竜王ダイハツ前駅」「国道三雲駅」とか・・・)
そして、管理人さんから回答があって曰く、
2019 年 04 月 28 日 06:35:11 (15470)
ふもふも館長さんの書き込み
マカさん
不毛な掲示板へようこそ。
1955(S30).11『自動車線営業キロ程表』によると近江下田は、旅客・手荷物・小荷物(但し、配達はしない)を扱う業務委託駅だったようです。なお、いつまで駅員がいたのか不明で、S40年代には普通のバス停に格下げされていたようです。
1960(S35)年頃は、駅員が居た、もしくは駅員が居なくなった直後だと思いますので、国鉄バス近江下田駅という表現は、地元民の呼称という点で、間違っていないと思います。
国鉄部内での呼び方については、自信を持ってコメントできません。
『岡多線省営自動車案内』S5.12.20 によると、以下の表記があります。
・駅員を配置している駅と、指定運送取扱人に手荷物及び貨物の取扱いを委託する處と単に旅客のみを取り扱う處とあります
・その他の停車場 ・駅員のいない駅 ・駅員配置駅
以上から、国鉄バス開業当初は、「停車場」が厳密な正式表記で、
・運賃計算の基準となる停車場を「駅」
・運賃計算の基準とならない停車場を「その他の停車場」
と呼称していたようです。
一般向けに「處」と案内していることから、停留所とかバス停とかという言葉は当時は、無かったようです。
その後、部内資料を見ていくと、
・駅 ・業務委託駅 ・鉄道接続駅 ・駅員無配置駅 ・運賃区界駅
・乗降場 ・普通乗降場 ・旅客規則第71条の乗降場 ・指定乗降場
・停留所 ・運賃区界停留所 ・特定運賃区界停留所
など、時代や地域によって、様々な表記の揺れがあったようです。
どれが正式表記という事ではなく、定義がないため、どれも正式表記なのかもしれません。謎ですなぁ
やはり、近江下田に駅はあったのだ。
その「近江下田」は今どうなっているだろう?
その前に、当時の新聞から事件を振り返ってみることにしたい。
ところで、滋賀県には現在「県域紙」と言うものが存在しない。
千葉なら千葉日報、埼玉なら埼玉新聞があるが、滋賀には無いのである。
ただし、県域紙に相当するものとして京都新聞の滋賀版は発行されている。
昭和54年までは「滋賀日日新聞」として発行されていたものが統合されたのである。
しかし、それを国会図書館のマイクロフィルムで漁っていると時間が無くなるので、読売新聞のデータベースにあるかどうか調べてみたら、あった。
では、この読売新聞の滋賀版に基づいて振り返ってみることとしましょう。
昭和35年7月1日の読売新聞滋賀版に掲載されたのは「滋賀相互銀行下田出張所の金庫から現金332万円がなくなっている」という旨のニュースである。
所長が6月30日の朝出勤したら、現金が300万円以上無くなっているということに気付いたのだという。
金庫の仕組みとしては、内側の扉を閉めて鍵をかけ、さらに外側の扉の鍵をかける仕組みとなっており、鍵とダイヤル番号は所長と次長しか知らなかったのだという。
さっそく所轄の水口警察署による操作が始まった。
所員からすると「来るものが来た」という感じだったという。
ただ、そこで分かったのは「こじ開けた形跡がなく、内部犯行の疑いが濃い」ということ。
この7月3日のニュース以降は、この事件に関するニュースは無くなってしまう。
その間、7月24日には比叡山ドライブウェイで神戸全但バスの貸し切りバスがブレーキ不調になって暴走し、京阪バスにぶつかったりがけ下に転落し、乗客44人のうち24人が即死という大惨事が発生し、話題はそちらに奪われることになる。
また、その数日後には琵琶湖でヨットが遭難するなど、山で海で災難続きの夏休みの始まりとなっていた。
このように、7月も下旬になっても滋賀相銀下田出張所の事件は犯人がどうなったという気配もない。
それに、国会図書館でこの事件について調べた日は、後ろに予定も詰まっていたので7月分を調べるだけで精一杯かな・・・ と思っていたその刹那である。
7月30日の読売新聞滋賀版で、その後の顛末が書いていたのである。
結末はと言えば、捜査当初から警察が睨んでいた通り、内部による犯行であった。
元々は下田出張所に勤務していたが、事件当時は近江八幡支店に勤務していた行員と、その妻で事件当時も下田出張所に勤務していた女性行員によるものだった。
元々、近江八幡支店勤務の夫が浮き貸しで、数百万円という穴をあけてしまった。
それで、この年の3月に結婚したばかりで下田出張所に勤める妻に事情を打ち明け、最初は18万円を持ち出してもらった。
その受け渡しに国鉄バスの近江下田駅が出てくるのである。
結局、それでも足りずに、出張所長と次長のいない間に鍵を勝手に使い299万円を持ち出すという挙にまで出てしまった、ということであった。
夫婦とも、勤務態度は真面目であったということであったが・・・
翌7月31日の読売新聞滋賀版には、この夫婦が大津地方検察庁に送検された旨を報じている。
滋賀県警察史には書いていなかったが、妻の方はこの浮き貸しの穴埋めのために、京都市内の今出川通(出町柳駅~京都御所の北辺~北野白梅町駅の間)に美容院を経営して穴埋めを図っていたらしい。
その状態で滋賀県の銀行勤めまでして、果たして業務に集中できたのだろうか。それとも当時の仕事は暇だったとか・・・?
また、妻の方の直筆のお詫び文も掲載されており、達筆であることが分かる。
結局、この事件は下田出張所における金庫の鍵の管理のルーズに目を付けられたことが発端であり、所長も次長も8月1日付で本店勤務が発令されたことも報じられている。
今でいう、NGT48の今村支配人がAKSに呼ばれたようなものだろうか。
さて、ではダークツーリズムに行ってみましょう。
ということで、朝の5時半、ドリームルリエで京都に到着。
(決死モデル:チームWBラジエッタ)
1年で最も日が長くなる今日、日はすでに昇っているが京都の街はまだほとんどが眠っている。
朝食にしたいが、京都駅の表口には適当な牛丼屋もない。
仕方が無いので京都中央郵便局の隣のローソンでおにぎりでも買って食べるしかない。
さて、では6:11の長浜行きに乗ることにしましょう・・・
広壮な京都駅の2番線には213系が停まっている。いつもであれば新快速運用に入るが、早朝は各駅停車の運用にも入るようである。
そして隣の1番線には、湖西線の近江今津行きの117系が停まっていた。
和歌山線では今年117系が引退したが、京都口ではまだ現役のようである。
しかしこれもいつまで走り続けるのか・・・
さて、京都を発車した長浜行きは逢坂山のトンネルを抜けると滋賀県に入る。
大津を過ぎてほどなくして、草津に到着する。
草津からは草津線に入るが、貴生川行きは115系であった。
JR西日本はやたら物持ちがいい。しかしこの115系もいつまで現役でいる事か・・・
果たして三雲に到着。
三雲駅は現在橋上駅であるが、市街地の発達具合からして北口が本来の表口であったことが見て取れる。
逆に、バスの発着する南口は全くと言っていいほど何もない。
(決死モデル:トルソーさんのラ・バルバ・デ)
バスの発着口を駅の裏側に作るというのはこの三雲駅に限らない。
柿岡に行った時の石岡駅も裏口の鹿島鉄道のホームがあった場所に作っていた。
しかしこの件はオチがあり、この次に石岡に行った時はバスの発着所はまた表口に戻っていたということもある。
かつて、木造であった三雲駅の表口から近江下田を経由して近江八幡へ発着していたであろう国鉄バスは今はなく、その代わりに湖南市のコミュニティバスとなっている。
車体には東海道の宿場町であった石部宿と、下田なすの絵が大々的に描いていた。
下田はなすの産地として有名らしい。
近江八幡へ行く国鉄バスは無くなったとはいうものの、下田へのバス自体は、三雲駅や甲西駅から1時間に1本ペースぐらいで出ている。
結構な産業団地として発展しているようであった。
程なくして新道下田に到着する。
(決死モデル:チームR持田)
事件発生当時はこの道路は無かったようであるが、現在はこちらの方がメインになっており、滋賀相互銀行の後身である関西アーバン銀行も令和元年を1か月後に控えた平成31年4月1日に「関西シティ銀行」として再出発し、下田出張所も「下田プラザ」として新道上に店舗を構えている。
さて、バスは新道下田から下田地区内を循環して、元々の下田の市街地に戻ってきて三雲駅を目指すという、山万ユーカリが丘線のようなラケット状の経路となる。
つまりそれほどの時間も無く近江下田に戻ってくるということなので、急がないといけない。
新道から坂道を少し下った所にある下田の街並みは、昔の街並みが残り、用水路が流れ、ちょっとした「水郷」の趣を湛えていた。
そして、その中心部の信号機のない交差点の所に、それらしき転回すペースやベンチや電話ボックスがあり、これが現在の「下田」バス停であった。
用水路の上を暗渠のように塞ぐように、こちらにも展開スペースが設けられ看板には「下田バスターミナル」とある。
かれこれ50年以上前に「バス駅」ではなくなったようだが、地元では「バスターミナル」として息づいているようであった。
程なくして、ラケット状に運行していたバスが戻ってくる。
乗車すると、結構な数の乗客が乗っていた。
そして再び、草津線の貴生川行きの中の人となる。
終点の貴生川に到着すると、向かいのホームには信楽高原鉄道のSKR311がとまっていた。
甲賀市内を走る車両だけに、忍者がモチーフになっている。
忍者というのであれば、ここでの決死モデルはチームWBノノナナをおいて他にない。
信楽高原鉄道には観光客が列をなしていた。
陶器で有名な信楽への観光客を運び、経営はまあまあ安泰・・・ ということでいいのだろうか。
さて、こちらは近江鉄道のガチャコン電車でも目指しましょう。
貴生川は実に3社の鉄道が集まるちょっとしたターミナル駅なのだ。
JRの改札をいったん出て、橋上駅の跨線橋を下るとそこが近江鉄道の貴生川駅である。
昔ながらのローカル私鉄の連絡駅にふさわしい情緒を湛えていた。
改札の向こうでは八日市行きの電車が待っている。
自動券売機は無く、切符は窓口で買うことになるのだが、切符は何と硬券が現役であった。
どうなんだろう。コストパフォーマンス的にこちらの方が良いのだろうか。
それとも、こちらの方がマニア受けもいいので収益的に良いということ?
今日は八日市の車庫では「ガチャコン祭り」らしい。
それを知っていれば、予定にそれを入れるのだった。
しかし後が閊えているので、水口から先は本水口から近江土山を目指すしかない。
いかに硬券といえども、駅員のいない駅では運転手に改修されることになる。
でも水口であればそれなりに大きい駅のはずで、駅員もいるかもしれない。そうなれば切符をもらえる余地もあるかもしれない。
(決死モデル:チームTヤギー)
と思ったら・・・
「次は水口です。駅員のいない駅ですので切符や運賃は乗務員にお渡しください」
という無情なアナウンスが流れる。
そして水口に到着。
昔ながらの木造駅舎の残っている駅で、タブレット交換に便利なように上下線が互い違いに配置された対向式ホームの駅である。
向こうの貴生川行きは西武301系を改造したのかそのまま使っているのか、とにかくそのような車輛だった。
それにしても水口駅は水口町の中心地とは言いつつ、市街地から意外に離れており、中心部はむしろ水口城南駅や水口石橋駅の方が近い。
それでもあえて、水口駅で降りたのである。
本エントリで触れた下田の多額窃盗事件でも、捜査した警察署は水口警察署であった。
その水口は東海道のお江戸日本橋から数えて50番目の宿場町であり、意外に市街地が広い。
水口駅に9:11に到着して、近江土山へ行く9:47のバスまでの時間に、かつての国鉄バスの本水口駅に寄ってみたい。
彼方此方歩いてたどり着いた時は、既に9:40になろうとしていた。
もっとも、水口駅での撮影に時間を使いすぎたというのもあるのだが・・・
現在の本水口駅は、今や駅舎は影も形もないが、江戸の昔をしのばせるからくり時計が建っている。
(決死モデル:チームY城ヶ崎)
一応新しく建てたであろう建屋があり、待合室やトイレがあり、かつての国鉄バス駅の面目は残している。
肝心のバスは、貴生川駅へ向かう甲賀市のコミュニティバスが数本来る程度で、交通センターとして機能しているかどうかは謎であった。
さて、もう時間もない。土山線の新水口バス停に一目散に向かうだけである。
新水口というバス停は、現在は共に「甲賀市」になってしまった水口と土山を結ぶ国道307号線上にあり、この国道筋から離れた本水口駅の代わりに水口町の玄関口を務めているバス停となる。
そういう意味では「新」という駅名の正しい使い方にはなるだろう。新大阪しかり、新山口しかりである。
さて、程なくして田村神社行きのバスがやってくる。
田村神社は近江土山から少し離れた所にある。
このような終点の設定の仕方ということは、近江土山は通過型のバス駅となっており、バスターミナルの機能を果たしていないということ?
ただ、この甲賀市のコミュニティバスの受託業者の本社でもあるようである。
Googleマップで見ればこの通り。(2018年6月撮影)
果たして、近江土山に到着してみると・・・
Googleカーの撮影から1年もしないうちに、すっかり建て替わってるんですけど・・・
国鉄バスの駅の面影など全くない。
(決死モデル:チームR園田)
しかし、乗り場が2面分で来ていたり、現役のバスターミナルとしての風情は保っていた。
また、待合室もそれなりの広さがあり、窓口では定期券も売っているようだった。
現役のバスターミナルとして生きているのであれば、それでいいのかな。
逆に、祖母井みたいに建物はあっても、バス駅として使われてるんだか使われてないんだか分からないような所もあるし・・・
さて、ここから土山ICへ向かうバスであるが、実はこれはデマンドバスなのだった。
つまり事前に予約が無いと、運行すらしないということになる。
恐る恐る、運行会社 ――とは言ってもこの建物内にあるのだが―― に電話してみる。
「あの、近江土山から土山SAにデマンドバスがあるみたいなんですが、これは今日申し込んでもいいでしょうか」
「ちょっと待ってくださいね。確認してみますので折り返し電話しますから」
そしていったん電話を切るが、ではその答えがNOだったらどうするんだろう?
タクシーで行くしかないのかな。タクシーで行くとしても、すぐに来てくれるだろうか。
塩原温泉に行った時、タクシーを呼ぼうとしたら「30分ぐらいお待ちいただきますけどよろしいでしょうか」と言われ、結局バスを呼ぶのを断念して歩いたこともあった。
果たして、申し込みはOKで、ワゴン車のようなバスが来るかと思ったら、中型のバスが来てくれた。何だか自分1人のために申し訳ないね。
近江土山駅を出て、深山幽谷の趣すらある山道を通って新名神高速道路の土山サービスエリアへ行く。
バスを降ろされた場所は、まるでプロキシサーバのポートに穴をあけた所のような趣すら感じるような場所だった。
(決死モデル:チームRスマレ)
この柵に囲まれた場所からトボトボとSAの中に入っていく。
考えてみれば、外から歩いて高速道路の中に入るなんて、そうそう無いよなっていう・・・
それでも、用賀PAとかJR四国バスとか、高速道路のバス停から乗降した経験はそれなりに積むようになった。
さて、土山ICというのは、上下線で同じ建物を使っているという、いわば「島式ホーム」で、このような形態のSAは意外に珍しいような気がする。
効率は良いんだろうけど。
さて、入ってみると近江牛をやたら推している。
そういえばここは滋賀県。
やっぱり滋賀県に来た以上は近江牛に舌鼓を打ちたいもの。
ということで、ステーキハウスに入りステーキ丼を注文することにした。
ただし、サービスエリアの中の物価だけに、丼物で1000円以上取るとか無いでしょ・・・
バス停は、SAの端っこにあり、ベンチは無かった。
京都から来る四日市行きのバスは、三重交通と京阪が共同運行するようであるが、12:02発のバスは三重交通の車輛のようであった。
乗り込むと、
「ご予約はされてましたでしょうか?」
「いや、してませんけど・・・」
どうやら予約が必要だったらしい。
運転手はおもむろに冊子を取り出して、車内補充券のような切符を書きだす。
ああ、このようにして乗るのね・・・
(決死モデル:チームPペギー)
このバスは座席指定制で、予約者が優先であり満席の時は乗れない場合があるという。
ただ、この車内補充券をゲットできたのであれば「怪我の功名」かな、なんて。
そして近鉄四日市駅前に到着。
(決死モデル:チームRナオミ)
運転手からは、
「このバス予約制なので・・・ 今度から予約していただければ」
よほど面倒だったらしい。
申し訳ないですね。
さて、今回の来意というのは別に単なる旅行ではなく、この近辺に住む弟夫婦の家を訪ねるということが主目的である。
それで、午前中ぐらい自由にさせてもらおうか、というので近江土山を回ったという次第である。
ここからは、「親戚」モードにならないといけない。
基本、うちのメンはディズニーのお菓子の缶に入れているが、これが甥っ子にでも見つかったら「それなぁに~!?」と言われた日には目も当てられない。
そこでさっさとリュックの底に隠すのが吉である。
そして目的地の駅に到着すると、弟は迎えに来ていた。
そしてここからは「伯父さん」の顔となり、アクロトモフィリアの糞畜生の顔は一旦closeということになる。
(文字数ランキング第8位、上位0.7パーセンタイル)