「理解する」ということ

先日のみこちゃんのインスタ配信は、なかなか色々な話に及んだ。

後半で最も話題になったのは、「いい人ぶった励ましは不愉快なだけだ」ということである。
みこちゃんも中途障害者として、世の中に出るといろいろなことがあるのだろう。
「自分だけは特別にいい人でありたい」そのような人がいる事は、容易に想像できることだ。
かく言う自分だってその欲望から自由かといえば、決してそうではない。

彼女のように障害者という立場でなくても、自分自身「欠損フェチ」という極めて珍しい、なおかつ人には言えないような立場である。

例えばそれを誰かに言わなければなくなったとして、もちろん気持ち悪がられるのは嫌に決まっている。
かといって、それに対し「私は理解するよ」などと言って、それ以降過剰にそのフェチであることを自覚させられるような態度で接されると言うことになったら、それもまた甚だ不愉快には違いないだろう。
「そういえばマカマカさん、手足のない女性が好みなんだよね!」なんて。

まして、「マカマカさんは手足のない女性が好みみたいだけど、差別しないからね!」なんて、「差別しない私」「いい人である私」のアピールがてら、他人様の秘め事を大々的に公開アウティングされる… などと言うことになったら、それこそ目も当てられないだろう。
世の中にはそういう自己顕示欲に走った危険人物がいるものだ。
そしてなおかつ、そういう人に限って世渡りや権力闘争が上手と来てやがる。
なにしろ自らのリソースのほとんどを「世間」に費やしているような手合いだから。
そういうのを「田舎者」って言うんです。だいたいにして… って、こんな話を始めたらキリがなくなる。そのくらい田舎者に対する怨嗟は深い。

それはともかく、何もこうしたフェチのカミングアウトなどほとんどした事はないが(ゼロではない)、人に言えない何かを持っているような人であれば、こうした思いは誰しも抱えているのではないだろうか。

そして、このような思いを抱えているであろう最大の当事者は、LGBTの人達であろうと思う。
権利関係など、何かと議論になりがちな人々である。
最近だって、どこかのカルト地方議員が「同性愛は隠してろ」なんてのが議論になった。
隠してることで普通に生きられるならそれでいいが、例えば同性愛者は法的な婚姻関係を結ぶことができないので、財産分与ができないなどの問題があるようだ。
それはそれで、解決に向けて政治レベルで動くべきであろう。

翻って、いくら欠損フェチと言うあまりにマイナーでニッチで、ややもすれば「不謹慎」と指弾されかねない嗜好であるとは言え、LGBTの人たちから見れば、自分は「ノンケ」と言うマジョリティーには違いないであろう。
いざLGBTの人と相対した時、どのように振る舞うかである。
どう振る舞うかといっても人によるだろうし、正直「どうも思わない」という反応が最大公約数的な最適解じゃないかなぁと思う。

どんな属性の人であろうと、所詮は「人間と人間」なのだ。

さて、今日の「水曜仕事」は、LGBTの話題ついでに上野にあったと言う男娼窟に行ってみることにしたい。
もののブログによれば、上野公園の国立西洋美術館の東隣に「オカマ長屋」があったと言うのである。

ちょっとここに行ってみることにしたい。

と言うことで、朝は西日暮里から定期券を外れて山手線で上野へ。

上野駅を公園口で出ると、向こう正面には上野動物園が見える。

そして、右手に国立西洋美術館がある。
この東側、つまり線路との間がかつての「オカマ長屋」だったと言うのである。

現在では、瀟洒な飲食店が立っており、その面影すらない。

さて、撮影が終わったら出勤しましょ。

そんな今日の「水曜仕事」。

今回の決死出演は1名(累計15名)。

 


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