【義手と義足の昭和史】口と脚で描く(S37.8.21)

最近、ネパールで飛行機の墜落事故があった。
ネパールを知る人によれば、割と「いつものこと」なのだそうで、いくら、iPhone片手にライブ配信なんかするパリピが増えようとも、やはり「第四世界」であることには変わりないと言う事のようだ。

そしてまた、こっち系のフェチ的にネパールと言えば両腕のないMegha Ghimireさんであるが、彼女もまた、そんな「第四世界」の住民であるのも確かだ。

このように、インターネットの発達により、障害者であっても自己実現の手段が増えてきたと言う事は喜ばしいことであろう。

何より「1人ではない」ということが、彼ら彼女らをエンパワーメントしていたと言う側面は大きいだろう。

そんなインターネットなど無い昔のこと、障害者は常に1人で自分の道を開かなければいけなかったのだ。

その障害者にとっての生計の途の1つが「見世物小屋」であった。
これは海外でも変わらないかったようで、フリークショーとかサイドショーという形で見世物小屋が存在した。

そのような、選択肢が非常に限られた状況であったから、世の中の心ある人が、そのような見世物小屋を「かわいそうだ」と言ってやめさせた時、当の障害者たちが生計の途を奪われて怒ったと言う話にもなっている。

そのような、非常に選択肢の狭い状況から解放されようと言う動きは、ドイツから始まったようだ。
両腕の自由を失った障害者が、口か足かで絵を描いてお金を得ると言う「口と足で描く芸術家協会」がドイツで始まったのである。

なぜそのような会が発足したのかと言うと、もともとは小児麻痺で両腕の地を失った人だったようである。

子供の頃、いたずらをすると罰として母親に服を脱がされ、ベッドルームに閉じ込められたのだと言う。
両手が不自由なので、ドアを開けることもできず、「意地悪母さん!」と泣き叫んでいるばかりであったと言う。

そもそもいたずらしなきゃいいのに…などと言うのは、あくまで「自己責任論」に毒された日本人の考え。
そのドイツの子供は、不自由で、理不尽な境遇の中で、障害者が自ら生活できる途を考えるに至ったようである。

昭和37年8月21日の朝日新聞では、その日本での第一号会員に、堀江六人斬りで両腕を失った大石順教氏がなったことを報じている。
大石順教氏は、口に筆を咥え、書道や絵画を嗜んだのだ。

この「口を足で描く芸術家教会」現在でも東京は市ヶ谷に本部があり、通信販売で障害のある芸術家の絵を販売している。

ただし、市ヶ谷駅からは結構歩くことになる。

このセブンイレブンの入っているビルの1階が本部のようであるが、そのセブンイレブンでおにぎりを買ってきた若者が、レンタカーのベンツを路上に停車しながら食べている。

カメラを向けた途端「何撮ってんだよ!」などと言って難癖をつけてくるような心の狭いチンピラじゃなくてよかった。
撮り鉄してて面倒臭いのはこの手のチンピラだ。

ともかくもそんな「義手と義足の昭和史」であり水曜仕事

ここまでの決死出演は1名(累計37名)。

 


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