令和2年ヤギー祭

2019年3月にGeocitiesがサービス終了し、「八木橋裕子の物語」もインターネット史の彼方に去ってしまった。
Twitterでもっとも最近で「八木橋裕子の物語」と書かれたのもかれこれ半年前の7月となっている。

そんな中でもヤギー祭は決行します。

今年はヤギー祭をやるかどうか危ぶんでいた。
コロナのこともあるがそれ以上に先月の浪費である。
一応、今年のネタとしては、来年3月に消える湘南ライナー215系のことがある。
しかし湘南ライナーに乗るためには、小田原で泊まらないといけない。
しかしそれだけの金を使っていいものかどうか?

ただ、金だけで言えば漫画喫茶に泊まればいい。
そう考えるとさほどの負担でもないような気がしてきた。

そんなわけで朝6時半の小田原駅の人となる。
差し当たって調べているのは、朝のライナーのうち215系で運転されるのは以下の通り。

  • 6:58 湘南ライナー6号
  • 7:09 おはようライナー新宿24号
  • 7:22 湘南ライナー8号

これだって乗れればいいが、ライナー券が買えず乗れなかったとなると泣くに泣けない。
ということで、6:30頃に駅に到着したのだ。

ライナー券は改札に入ってすぐ右側の券売機となる。
湘南ライナー6号は残り12席で買うことができ、心配は杞憂となった。
決死モデル:チームTヤギーウルトラマンメビウス出身)

215系の製造初年は1992年であるという。つまり平成の初めごろ。
いかにもこの次期らしい丸味というか、JR発足して日も浅い時代の息吹を感じる。

今日はやたら乗務員が多く集まっている。研修か何かだろうか。
そんな中で決死するのは気恥ずかしい。

そして少し遅れて小田原を出発。

普通車は脇で支えるタイプの強化プラスチックの座席で、もちろん倒すことはできない。
決死モデル:チームTレナウルトラマンティガ出身)

小田原ではさほどの乗客数ではなかったが、茅ケ崎の次の辻堂でやたら乗ってきた。

やたらトンネルの中を通り、電波が入らないと思ったら貨物線や横須賀線を走るらしい。
トンネルを出たと思ったら鶴見のあたりだった。

そしてその客のほとんどは品川か新橋で降りて行った。

そして東京駅の地下ホームへ。
自分も一人のサラリーマンとして会社へ向かう。

そんな令和2年のヤギー祭

 

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