理系男子が理想だと誰が決めた?

婚活女子は、理系男子というものに一定の理想を抱いているようである。

その割には、実際の理系男子であるところの当方には何の音沙汰もないではないか。

そんなことを言っていると、そんな理系男子がヘイトツイートをやらかしてくれた。

高砂香料工業という、香料では世界的なメーカーであるらしい。
そんなメーカーの研究者であり、特許も取っているくらいらしい。
そして妻子にも恵まれている。

さぞやさぞや優良物件な男性と思いきや・・・

この韓国人ヘイトである。
研究に身を捧げて来たであろう彼が、いったい韓国人から何をされたというのか。
どんな情報を得てこのようなヘイトに走ったのか・・・

理系であれば冷静に情報を判断できるのではないかというパブリックイメージを壊すに充分な事件であると言えよう。

これに対しては、当然世間が黙っているわけはない。
ここまでのヘイトスピーチかます男が、のうのうと研究生活を送って栄達の道を進んでいていいものか。

何とFacebookも実名でやっていたようで、会社名はすぐにばれてしまった。
そして複数件の問い合わせがその世界的な香料メーカーまで入ることになった。

これに対する会社側の反応は、概ねカウンター側にも好評だったようである。

従業員は1000人規模であるというが、普段から言動が目に余るような人ではなかったのだろうか。
それで、いつかは世間を騒がせるようなことをするのではないかと思われていたのではないだろうか。
「あの人やっぱりやらかした」と。

・・・で、今回の趣旨はへイトスピーチではなく、理系男子の愚行を偲ぶダークツーリズムである。
それは今を去ること64年も前のこと…

昭和31年3月1日の朝9時頃、京成線千住大橋駅近くの皮革工場で、1人の技師が苦しんでいるのを同僚が発見し、近くの病院に運んだが、「同僚を殺した」旨の遺書を発見したので警察が捜査に入ったら、硫酸ツボの中から35歳の同僚技師のドロドロに溶けた遺体が発見された―― という恐ろしいニュースが、3月1日の毎日新聞夕刊で「同僚を殺し硫酸づけ」という見出しで報じられている。

ちなみに同じ3月1日夕刊の朝日新聞では「同僚を殺し自殺図る」、読売新聞では「同僚殺して服毒」という見出しとなっており、最も見出しの衝撃的な毎日新聞の記述に従っていくことにする。

経緯としては、工場の中で同僚と酒を飲んでいて口論となり、殺してしまった、ということのようであるが、そのあたりの経緯は「完全犯罪 ある捜査官の記録」(成智英雄著 潮文社 1970)が最も詳しいようである。

この殺した男は28歳の東大卒エリート技師であり、採用1年目でアメリカやカナダに社費で留学し、将来を嘱望されていたのだという。
そしてその留学中に知り合ったカナダの有名な博士の実験データを自分だけで掌握し、同僚技師からは評判が悪かったのだという。

そこへ、物理学校(現:東京理科大)卒の35歳の技師が「まあまあ、みんなで仲良くやろうじゃないか」ととりなし、酒やマージャンに誘うことが多かったのだという。

そして2月28日の夜。

「君なぁ、海外のデータを独り占めしてたら会社のためにならんだろ」
「何ですか!あなたまでそんなことを言って!みんなと一緒で僕のことが嫌いなんだ!」
「若い癖に何だ!」
「実力の問題です」
「何が実力だ!」(ガシッ
「何すんだよ!」

あとはつかみ合いの大喧嘩。
28歳東大卒は酔いに任せて引き出しからハンマーを取り出したからたまらない。

気付いた時には、いつもマージャンに誘ってくれたあの人は冷たくなって自分の前に転がっていた。

ああ・・・! 殺してしまった!
東大卒の自分がこんな大それたことをしてしまって、もう自分も死ぬしかない・・・

18時50分、正門を出て自殺する決意を固め、家族に別れを告げるためにいったん落合の自宅に帰宅。
当時であれば京成線で日暮里まで出て、山手線で高田馬場まで行っただろうか。

しかし母や妹のいつもと変わらない顔を見て自殺を思いとどまる。
自分は人殺しをしたというのに・・・!

で、どのような策に打って出たか。

それは「硫酸で死体を溶かしてしまって犯跡を完全に消そう」というものだった。
皮革工場なので、鞣し用の硫酸はいくらでもあるのである。

死体は、高さ5尺(1.5m)幅3尺(90cm)の木製の原皮樽の中に入れてあったという。

前掲書によれば、この樽は厚さ1cmのナラ材でできており、樽そのものが溶解しない硫酸の濃度は経験上50%であると判断していた。
樽そのものを溶解させないで人体の溶解作用を増加させるには、重クロム酸ソーダで硫酸の濃度を低下させること。
これで人体の90%は溶解されるはずで、まずこれを下水に流し、残り10%は硫酸と塩酸の混合液で完全溶解しよう。
そして樽そのものは焼却してしまおう。
これで完全犯罪成立だ!

19時20分頃落合の自宅に帰宅。
しかし「実験中だから明け方の3時には工場にいないといけないんだ」と、日付の変わった1時半頃にタクシーで千住大橋の工場へ。

ちなみに昭和31年は閏年で、12月には南半球で初めてのオリンピックであるメルボルンオリンピックが予定されていた。
つまり2月29日である。

2時10分過ぎに工場に着くと、守衛が「先生、御勉強ですね」。
その実は理科大卒の同僚の死体を完全溶解させる作業であるというのに・・・

まず90%を溶解させる作業は、内側から鍵をかける。
そして重クロム酸ソーダ80kgと水6kgを死体の入った樽に入れる。
その次に96%の濃硫酸90kgを入れる――

物凄い白煙が出始め、工場内に煙が充満する。
一寸先も見えなくなり、窒息しそうになる。
夢中で窓を全部開放する。

轟然たる煙に守衛が飛んできた。火事が起きたと思っただろうか。
「先生!先生!」
「何も驚かなくていいよ。薬品の調合に失敗したんだ」
「そうだったんですか」

悪臭が立ち込めていたが、そもそもが皮革工場。この程度の悪臭はいつものことであった。
そして夜は白んでいく。
しかしまだ樽の中からは煙がもうもうと出てくる。

朝8時頃、助手が出勤する。
その煙を吐き出す樽を不思議に思わないわけはない。
「何の実験ですか?」
「秘密だよ。それよりこの樽にコモで蓋をしといてくれ」

さあ残りの10%を始末するための塩酸を買わないと・・・
少なくとも60kgは必要だな。

そうすると、殺した35歳の同僚技師の助手がやってきた。
「昨夜、うちの先生と一緒に飲まれたじゃないですか。うちの先生どこ行っちゃったんでしょう?奥さんがひどく心配しておられて・・・」
「お、おう、昨日飲んだけど、18時半ごろに会社の門の前で別れたんだけどなあ・・・」

昼下がりの15時ごろ、今度は殺した同僚の奥さん本人から電話である。
「昨日飲んだんですけど、18時半には別れまして・・・」

例の樽に戻ると、荒縄の掛け方が違ってる・・・?
つまり誰かがこの中を見た・・・!?

16時ごろ、注文していた塩酸60kgが届く。
しかしもう駄目だ。
もう隠しようもない。

17時20分頃会社を出る。
もう自殺するしかない。

タクシーで自宅に帰り、母親に3000円渡す。
机の中の青酸カリを持ち出して、早稲田からタクシーを拾って上野のホテルへ。

サントリーの角瓶のウィスキーを飲みながら、母や社長に遺書を書く。
朝方になっても飲み続けた。

3月に月が変わる。
そんな朝酒の勢いでいつもと同じように7時半頃出社。
8時の汽笛の音に合わせて青酸カリを飲むつもりが、酔いすぎて死期を伸ばしてしまったという。

そして気づいた時には周囲には人だかりができており、警察まで来ていたのである。

さて、ではダークツーリズムと洒落込みましょう。

新木場から千住大橋というと、最も単純なルートでは京葉線で東京まで行き、日暮里まで山手線で行き京成線に乗り換える、というのがポピュラーであろうが、ちょっと東武亀戸線と牛田-関屋を行程に絡めてみたい。

新木場から総武線方面というと、土日であれば都営バスの急行05系統というのが、錦糸町駅~国際展示場間を走っている。
決死モデル:チームTレナ

ビッグサイトなどでの催事の時は混雑する系統であるが、このコロナ禍で何の行事もやっているわけではない。
しかし客はそこそこいる感じであった。
鉄道交通に乏しい江東区の南北連絡をになっているということでもあるらしい。

バスは明治通りを北上していく。
ただ、新木場のあたりだと「明治通り」という感じはしない。

明治通りなので亀戸駅の近くも通る。
ただし亀戸駅前ではなく「亀戸駅通り」というバス停でおろされることになる。
亀戸駅に「南口」というものは無い。
あるのはガード下の出入口だけである。

雨脚はさらに強くなっていた。

今でこそ亀戸駅の上にはアトレが建っている。
しかし、国電だった頃は亀戸は単なる高架駅であり、東武亀戸線に行くにはちょっとした商店街的な所を通ってポツンとした東武亀戸駅へ行ったであろう。
アトレの建っている今でも、そんな面影を見出そうと思えば見出すことができる。

東武亀戸線の電車は2両編成。
黄色にオレンジの帯を巻いた独特のカラーリングである。
決死モデル:チームRナオミ

車内はロングシートが埋まる程度の入り。
程なくして曳舟に到着した。

曳舟から牛田へは、各駅停車でないと行くことはできない。
各駅停車は北千住行きで、浅草~北千住はもはや支線格であることを思い知らされる。
牛田駅と京成の関屋駅は向かい合わせにあり、乗り換え客も多い。
ただしどちらも各駅停車しか止まらない。
京成上野や日暮里から北千住や竹ノ塚方面に行きたい客、東武の浅草や曳舟から高砂や船橋方面に行きたい客、全体から見ればそれなりでしかないということであろう。

そして関屋から隣駅が千住大橋となる。

千住大橋の駅には「コラーゲン生活 始めました」というニッピの広告が出ている。
あの事件の日本皮革は、今なお「ニッピ」として盛業中である。

駅から上野方面に線路沿いに歩くとすぐ日本皮革の工場となる。
現在では近代的なビルとなっており、当時の面影は全然ない。
決死モデル:チームYジャスミン

ただ、空き地が目立っており、住宅都市公団の看板が出ているということは、そのうち公団住宅が建つということになるのであろう。

 


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