イケメン慶應ボーイの犯罪

アメフト部の活動停止やミスコンの中止と、現在慶應が揺れに揺れている。

前者のアメフト部の盗撮に関しては、「よく慶應の体育会という『日本社会の勝者の中の勝者』と言うべき存在が、事件をもみ消しされずに公表できたもの」と驚嘆せざるを得ない。
それだけでも世の中は進歩したのだろうか。

また、その慶応のアメフト部の中にも、「こうした現状に愛想を尽かしてチームを離れた部員も複数いる」と、まだ良心を捨てていない部員がいるということに安ど感を覚えた。
後は、主犯格がどのように裁かれるか、ではないだろうか。
主犯格は警視庁の幹部の息子で、その父親も「手を焼いている」と言うほどなのだという。

さて、その慶應ボーイがかれこれ66年前に犯した犯罪の跡をたどってみたいと思う。

まずは昭和28年7月28日の毎日新聞から。

社会面のトップは新橋で起きた本件ではなく、「砲声病んだその夜の朝鮮」。
時おりしも朝鮮半島では朝鮮戦争の真っただ中であったところ、この前日の7月27日に板門店で休戦協定が結ばれ、この日から朝鮮戦争が休戦となったのである。
ちなみに、現在北朝鮮ではこの7月27日を「戦傷勝利祖国解放記念日」として祝っている。

このニュースの次が今回紹介する「バー・メッカ事件」となる。
板門店で休戦協定が結ばれた日の東京は「むせ返るような真夏の夜」だった。

20時40分頃であったというので、飲み会としては2次会に移行しようかという時間、あるいは2次会が始まったぐらいの時間だっただろうか。
カウンターでビールを飲んでいると、天井から血がポタポタ落ちてくる。
何事かと愛宕警察署新橋駅前交番に急報、天井を調べてみると物置から男の死体が出てきた。

ちなみに、この「バー・メッカ」の状況を見てみると、終戦すぐの昭和21年4月にオープンしたものの、事件の頃には家賃を滞納するほどの状況であったのだという。

犯人は誰か、まず疑われたのはこの店のボーイ2名であり、行方不明になっていることからも容疑は濃厚であった。

翌7月29日には、このボーイの他にも「ナゾの男」としてもう1人の容疑者が浮かんだということを報じている。

また、被害者の身元が判明し、ボーイのうち1人は無関係であることもこの時点で判明していたようであり、行方不明になったボーイと、被害者ともう1人が店で話し込んでいたということを証言している。

問題はこの「もう1人」であり、「事件について何らかの事情を知っている」と目されるのは容易であった。
その男は「約半年ほど前から時々同店に出入りし、27~8歳、5尺7~8寸、一見会社員風の男」であり、苗字は「庄田」か「塩田」だったのではないかという。

被害者の方はこの店に来るのは初めてであったという。

その「もう1人の男」の正体は、この日の夕刊が出る頃には割れていた。

この年の3月に慶應の経済学部を卒業、5月から証券会社の見習いをしていたが6月には解雇されたのだという。
母親と藤沢市辻堂に住んでいたが1か月前から家出していたのだという。

犯行の日の昼13時頃に、バーを訪れたどこかの会社の重役は、「いやに店内がきれいで、ボーイはテーブルの上を拭いていた。慶應卒の男は洗ったばかりで乾いていないシャツで汗を拭いていた」と言う。
生乾きのシャツなんて着ていたら、さぞ雑菌が繁殖して臭かったのではないだろうか。

他のニュースを見てみると、つい昨日行われた即位の礼を見守った上皇陛下はまだ「皇太子殿下」であり、ベルギーに滞在していたようである。

また、10円札が「米国」に見える問題が衆議院大蔵委員会で取りざたされており、早々に青銅貨にする旨の答弁があった旨が報じられている。
これこそが現在の「ギザ十」である。

7月31日の毎日新聞では、犯人と目された両者の足取りを報じている。

両者は別々に逃走しており、ボーイの方は犯行の翌日28日に洲崎遊郭の近くでタクシーを拾い「藤沢までどのくらいかかる?」と聞かれ、鵠沼まで乗せたことを証言している。
また、慶応卒の方は、「奪った金の40万円を持って、住んでいたことのある関西方面に逃げたのではないか」という予測が立てられた。

ちなみに、犯行は3人で行われたようで、3人目の男はすでに逮捕され自供を始めていた。

いわく、「犯行の前日26日午後、慶応卒の男と一緒に藤沢に行ったが、その時に殺害計画が練られた。下宿先に着いてからもしつこく誘われたが恐ろしくて乗り気になれなかった。翌日起きてみると、慶應卒は『お前はここで待っていろ』と言って出て行き、午後3時過ぎに帰って来た。ボーイに自首を勧めたが、9千円しか持っていないということに驚いた」
あくまで自分は無関係であるということを主張していた。

はたして月が変わって8月3日の毎日新聞夕刊では、ボーイの方が静岡中央警察署で自首した旨を報じている。
そして、13時01分に静岡を発車する長崎発の急行「雲仙」で東京に護送されてきたという。

自供にいわく、「犯行は慶応卒の言うままにやったので理解していない。慶應卒が言うには『最近俺の領分を犯す奴がいるから処分したい。殺すつもりはないので心配するな』という。被害者と面識はなかった。実行したのはその慶應卒で、自分は死体処理の見張り番をしていただけ。分け前は3万円だけだった。奪った金が40万円だったのは新聞を見て初めて知った。最初に逮捕された男もその時に初めて会った。犯行当時もいなかった」という。
警察としては、最初に逮捕された男は「被害者を連れ出す役」だったのではないかとみていた。

ボーイは別に静岡に郷里があったわけではなく、気候が良いから行ってみた、というだけで、奪った3万円を使い果たして無一文になったら自首するつもりだったのだという。

さて、最後は慶応卒の男だけとなった。

翌8月4日の毎日新聞では、事件について相ざらえしている。
それと同時に、ボーイの方は実は朝鮮人であったということがさりげなく触れられている。

いわく「なぜ事件でこんなに騒ぐか分からない」。
これを新聞は「アプレゲール」を評している。

ボーイの方は兵庫県出身で学歴は小学校を卒業した程度、華やかな東京に憧れて上京したのであるという。
最初は五反田のバーで働いていたが、今風に言えば色白のイケメンで言葉遣いも優しく、女性からもモテていたのだという。
また、ダンス教師をするほどの腕前で、次から次へと女性を乗り換え、3月にはヒロポンまで覚えるようになっており、金に困っていたのだということを報じている。

このボーイが慶應卒と知り合ったのは7月の初めで、2~3千円ずつ派手に使うこの男に、犯行前日「たんまり金をやるから人殺しを手伝ってくれ」と持ち掛けられ「迷惑が掛からないならやってもよい」と答えたのだという。

しかし、肝心の慶応卒の男は杳として見つからなかった。

ようやくこの慶応卒の男の逮捕が報じられたのは夏が終わり秋になった10月13日の毎日新聞である。

「関西に高跳びした」という見立て通り、京都市内での逮捕であった。
最初は「京大法医学教室に保存中の身元不明死者がその慶應卒ではないか」と言われていたが、逮捕されたのは京大農学部グランド脇のアパートの一室であった。

偽名でそのアパートに暮らしていたのだが、マージャン友達が「金遣いが荒いが、もしかして東京で起きた事件のあの男ではないか」と警察に密告したのが逮捕につながったのだという。
その確信を深めたのは、10月11日の地元新聞(京都新聞?)に顔写真が出たことで、商業学校の後輩でもあるアパートの家主にも相談したが、やはり本人だということになり、警察に届け出たのであるという。

川端警察署に連行された慶應卒の男は最初頑強に拒んでいたが、結局は口を割ることになった。

しかし主犯はボーイであるという。
これはボーイの供述とは異なっている。
しかし、被害者を知っているのはこの慶應卒であり、6月には東京駅八重洲口のキャバレーで「そのうち大金が入る」なんて言っているのである。
それに何より、奪った金の大半を持って逃げていることから、主犯が誰であるかは明々白々と言っていいほどだった。

そしてこの慶應卒は10月13日朝7時22分、大阪発の夜行急行「明星」で東京に到着し、愛宕警察署に護送された。

列車の中では、新聞記者に対し「小生はただ、ナット・ギルテー(無罪)を主張するつもりです」と手記まで書いていたようであるが、警察では犯行の一部始終を自供し、「京都潜伏中はマージャン友達と雑談中に母恋しさに声を上げて泣いた」ことまで話している。
奪った貯金通帳は、犯行の数日後にタクシーで丸ビル前から魚籃坂に行く時に客席の腰掛を引き裂いて捨てたという、迷惑なことであった。

この紙面の4コマ漫画を見てみると、池田蔵相の「貧乏人は麦を食え」発言をネタにしている。
この「麦を食え」発言は、この3年前の昭和25年12月7日、参議院予算委員会の席上で話されたものであり、この発言も国民を買ったが辞任には至らず、この2年後の昭和27年11月27日の衆議院本会議で「不当投機をした人が5人や10人倒産して自殺してもやむなし」発言でついに大臣を辞任させられた。
今であれば、「自殺やむなし」発言をしても、「不当投機をした人」相手であれば、おそらく拍手喝采されるのではないだろうか。
「不当投機をした奴なんか自殺してOK! 池田蔵相GJ!」なんて支持率アップすらするだろう。

・・・で、ダークツーリズムであるが、そもそも「バー・メッカ」はどこにあったのか。

調べてみると、「十仁病院裏」であったという。
十仁病院は2005年まで現在のヤマダ電機LABI新橋生活館の場所にあった。
その裏だというので探すのは意外に容易であった。

・・・というか、ここは銀座フーターズの近く?

確かに、銀座のフーターズがすぐ目の前にある。
何となれば、同じファインダー内で写真を撮ることだってできる。
意外な所で意外なものが繋がった。
決死モデル:チームYジャスミン

最近覚えた「顕微鏡モード」を使えば、向こうのフーターズのフクロウだって鮮明に撮ることができる。
ただ、ジャスミンが少しぶれているのではないだろうか。
合成なら仕方ないのかな。

せっかくなので、久しぶりにフーターズで呑んでいきますかね・・・

入ってハイボールを頼んでみると、心なしかいつもよりグラスが小さい。
聞いてみると、「その銘柄のウィスキーの専用のグラスだからじゃないですかね」
そんなもんかね。

 

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