運転士のいない自動運転の恐ろしさ

あの「お近くの中核派」女性区議が松本人志の「不良品」発言をリツイートしている。

ということはアレか。
安倍反動政権の走狗・松本人志は総括されるのか。

そんなほらぐち区議は自動運転にも一家言おありのご様子。

無人運転の新交通システムむしろ事故率低いんだけどな・・・
これじゃ「御堂筋線(1435mm第三軌条集電)と泉北高速(1067mm架線集電)を直通させろ」の橋下とか、「二階建て車両でラッシュをなくせ」の小池百合子と何ら変わり無いではないか。

ただ、運転手のいる新交通システムもないでは無い。
今日はその路線行ってみることにしたい。

ということで新八柱から武蔵野線に乗って新秋津へ行き、西武線に乗り換えて所沢へ。
伝説のSNS「MOON BASE」の全盛期はこの界隈に住んでおり、ホームの接近音はあのことを思い出させてくれる。
酸いも甘いも、あの頃の思い出は西武池袋線と共にあった。

しかし今では新線新宿行きは元町・中華街行きとなり、東メト車ばかりではなく東急車まで乗り入れてきている。
決死モデル:チームWBナギサヤ

そして、特急はレッドアローからLaViewに置き換わろうとしている。
全ては変わっていくのだ。

そして西所沢で西武球場行きに乗り換える。
秋津から乗ってきた2000系は京急とのコラボ車両だった。

そして西武球場前行きつまり狭山線は4両編成でピストン運行しているようであるが、秋津から乗ろうとした時に池袋から直通の10両だか8両が出発していた。
休日やライオンズの試合開催日はもう少し直通が増えるのだろう。

狭山線には下山口という途中駅があり、交換設備があるようである。
なんと、さっき見送った6000系の池袋行きと交換した。
つまり狭山線は1閉塞のピストン運転というわけでは無いようである。

程なくして終点の西武球場前に到着する。

現在の西武球場前駅は6番線まである。
しかし平日はその広壮なホームも持て余し気味にようであり、3〜4番線、5〜6番線には立ち入り禁止のロープがかかっていた。
試合開催日はフルで使うのだろうか。
決死モデル:チームR持田

ちなみに西武球場の開場はライオンズが福岡から移転した昭和54年のこと。
それまでは「狭山湖駅」という駅名で、狭山湖の観光拠点であったようである。

また、西武遊園地へはおとぎ列車が走っていた。
子供の頃読んだケイブンシャの図鑑では、蓄電池機関車が数量の客車を牽引していたはずである。

その後裔が、今回の目的である新交通システム・レオライナーとなる。
レオライナーは改札ヘ向かって左の細い道から入ることになる。
まるで軽便鉄道の面持ちすらある。

そして細い通路の先にレオライナーが止まっていた。
ホーム高さは狭山線より一段高い位置にある。
日中は1時間に3〜4本程度の頻度で走っているようだった。

流石に平日であり、なおかつ遊園地も開園前なので客もほとんどいない。
それでも、新交通システムには非常に珍しい運転士の「出発進行」の合図と共に出発する。

右側には車庫が見え、その先には西武ドームが見える。
両側には案内軌条があり、コンクリートの上を走る形になる。そのコンクリートの上にガイドレールがあるわけでは無い。

運転士のいる新交通システムとは、ざっとこんな感じである。
先頭座席には親子連れがいる。

そして、運転士は信号を見ながら運転する。
新交通システムに信号があるということ自体、非常に珍しい風景である。
決死モデル:チームY楼山

そのレオライナーは、狭山湖べりのアップダウンの激しい地形を行く。
かつてのおとぎ列車も、こんなアップダウンを走ったのだろうか。

いや、ここまでくると狭山湖というよりは多摩湖沿いだろうか。
ちなみにこのレオライナーの正式名称を山口線というのは、狭山湖が「山口貯水池」だったからである。
そして多摩湖は「村山貯水池」。

その多摩湖とゴルフ場の間を抜けると、遊園地西駅となる。
遊園地西駅は、西武遊園地駅と並んで西武遊園地の入り口の駅となるのだが、西武遊園地駅と違って段差がないのでバリアフリー的にはこちらの方が推奨されているのだという。

また、遊園地内にある駅で、北側には住宅地が広がっているがこの住宅地のためにある駅というわけでもなさそうである。

この棒線ホームで決死していると、運転士に「ドア閉まりますよ」と言われてしまった。
「運転士のいる新交通システム」の神髄を味わいまくっている。

程なくして終点の西武遊園地駅に到着。
10分程度の旅は終わる。
決死モデル:チームWBラジエッタ

先に、遊園地西駅の方がバリアフリーであると述べたが、この駅もなかなかどうしてバリアフリーである。
ホームの向こうで待っている多摩湖線と同じホームで乗り換えることができるのである。
そして駅の外に出るにも段差はない。

ちなみに、向こうで待っている国分寺行きの101系はリバイバルカラーであった。
程なくして出発する。

多摩湖線は単線であり、拝島線と交差する萩山で2分停車だった。

そして終点の国分寺に到着。
多摩湖線は離れ小島の7番線となる。
決死モデル:チームR真夜

ところで、柵の向こうに停まっている西武バスは、昭和30年代からあのカラーで変わっていない。秩父の山奥で走っていた三角バスもあの色だった。
その当時の西武線と言えば、今のこのリバイバルカラーか、あるいは後年の蒲原鉄道じみた山吹色と茶色だったかもしれない。

 

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