中央区のプールに行ったら、思いがけずパラリンピックアスリートの谷真海さんが表紙になっているフリーペーパーを発見してしまった。
中央区のプールに行ったらパラリンピアンの谷真海さんが表紙のフリーペーパがあったので即ゲット pic.twitter.com/5XOCpQYWJ8
— 百战百胜の钢铁の灵将龴ㄌ龴ㄌ将军 (@Venus_Revue) 2019年3月14日
谷真海さん、旧姓佐藤真海さんについては、古く2011年の「切断女の夜」の項でも取り上げたことがある。そしてこの時点で「隔世の感」を感じるほどの昔になっていた。
佐藤真海さんは早稲田大学のチアリーディング部にで活躍していたところ、骨肉腫で右下腿を切断し、パラリンピックアスリートとして再起を図ったのである。
真海さんはブログをやっており、自分もしょっちゅうコメントしていた。
おそらく当方と「同業者」と思しき人も、数人入り浸っていたのではないだろうか。
甚だしくは、大阪の長居陸上競技場まで追っかけに行っていたのである。
・・・と思って、当時自分が付けていたブログや、写真を見比べてみると、どう考えても阪和線の長居ではなく、御堂筋線の新金岡で降りている。
どうやら長居陸上競技場ではなく、堺市金岡公園で開催された第18回日本身体障害者陸上競技選手権大会(2007年5月27日)の時のようだった。
「追っかけ」とは言っても、真海さんが写っている写真を探すのは難しく、どうにか隅っこに後姿が写ってる写真が見つかった程度だった。
当時は、試合のたびに真海さんのお母さんも宮城県は気仙沼から応援に駆けつけておられたようで、加藤登紀子似のそのお母様から、銘菓「鴎の玉子」をもらったこともあった。
devoteeをやるのは不謹慎な時代だったが、自分自身も仕事が暇で長閑な時代でもあった。
今や、真海さんは電通社員と結婚され、御長男も生まれ「谷真海」としてパラトライアスロン選手として活躍している。
そして「VERY」にまで出ているという正真正銘の「VERY妻」となっているのだ。
VERY4月号『MY KITCHEN〜暮らしの生まれる場所〜』に掲載して頂いてます。
毎月読んでる大好きな雑誌に自分が登場し、しかも巻頭インタビュー。
とても不思議な気持ちです。
ありがとうございます😌🌸
フレンチシェフのお義理父さん、また息子への想いについてもお話しています。 pic.twitter.com/KKPojVG13W— 谷 真海 / Mami Tani (@mami_sato) 2019年3月9日
自分はこういう趣味を持っている日陰の身ではあるが、彼女の活躍には勇気づけられるところがある。
ぜひ、これからも日の当たる道を歩き続けてほしいと思っている。
「私的devotee史」としては、「空白の時代」に当たる時期の思い出。