第353回水泳と思ったら・・・ ~ジュリアナ、ボディコン、一本足~

ジュリアナ東京大阪ってのが梅田にあるらしい・・・
あと、昭和の末頃の「現代用語の基礎知識」に「金マハ」(金曜日にマハラジャというディスコに行くこと)とかいう単語もあったような・・・

今日は港区のプールへ行こうと思う。
・港区のプールがあった場所の裏は、かつてジュリアナ東京があった場所であったという。
ジュリアナ東京が存在していた頃、自分は田舍の高校生であった。

確か祖父母の実家へ行った時のこと。
実家では地元の県域紙の他に朝日新聞を取っており、その囲み記事で、
「骨肉腫(か何か)で片足を切断したが、松葉杖でディスコに行っている。そこでナンパされたのが今の彼氏。福祉番組は難しすぎてチャンネルを変える」
なんて話を掲載していた。

写真もない小さな記事であったが、そんな話・・・想像したいようなしたくないような・・・
よしんば、そんなワンレンボディコンTバックで片足の女性がいたとしますわな。しかし、これまで拙ブログで何回となく書き続けてきたように、 自分には手が届かないと分かっているだけに、苦痛しか湧いてこないのだ。じゃ目の前にいたらナンバするのか?
今だから言える話だが、大学生の一時期、本気で「ナンパ塾」的なものに通おうと思ったこともあった。
これもまた「私的devotee史」のひとこまである。

あの頃のことをひと時偲んでみようか。

まず、今日の決死に誰に出てもらうかということであるが、もちろん髪型がワンレングスのメンが良いに決まってる。

TRS48のメンの中でワンレンっていたっけ・・・
ワンレンって前髪作らないでデコ出してるロングヘア―って解釈でOK?
であればペギーP)かな・・・

それと、現在の衣裳室に「ボディコン」というかジュリアナに来て行けそうな服はあるだろうか?
まあキューティーハニーのミニワンピがあるかな・・・ まあTバックに御期待という事で・・・
もちろん、ジュリ扇を持つ両手は無い。

ジュリアナ東京は1994年8月31日に閉店したが、その時は田町駅まで行列ができたのだという。
その頃は、まだ新幹線は「のぞみ」が300系で登場したばかりであった。

そして港区のプールと愛育病院の脇を通るとすぐにジュリアナ東京のあったビルに行き当たる。

ビルから見ると、田町駅と反対側の面が出入口となっていたようで、当時を知る人に言わせると、赤いビニール屋根は当時の面影を残しているのだという。

ここにね・・・ バブル期のイケてる人たちが集まったんだろうね・・・

ところで、ジュリアナ東京が存在した1991~1994年を「バブル」と言うのは少し実際の感覚から言うと違うような気がする。
この頃は既にバブルがはじけた後で、就職氷河期が始まっていた記憶がある。
それで理系であれば「手に職がある」と言ってもてはやされていた。
今考えてみれば、技術者をアウトソーシングしない良い時代であったということもできようかと思う。

ところで、港区のプールは今日は休日であった。
簡単なことすら確認しないからこうなる。何の為に「プール仕事」のページをまとめたんだっていう・・・

 

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