イエサブで羞恥プレイ

金沢明子のイエロー・サブマリン音頭。

何で突然イエローサブマリンかというと、今回は「私的devotee史」に係る話だからである。

前世紀、日本のどこかで孤独に欲求を募らせていたdevotee好みのタイプは「手足の無い女の子」だという人達は、雑誌のグラビアを切り抜いて五体不満足にするなどの方法をとったり、自分はガレージキット(後のフィギュア)に走っていた・・・ というのは114514回してきたところ。

その「ガレージキット」が豊富だったのは、新宿などに店舗展開していた「イエローサブマリン」であった。

また、ガレージキットといえば当時は「レッズ」というメーカーがあり、18禁のリアルフィギュアを売っていた。
その辺りの事情は、札幌に行った時のエントリでも触れたところである。

かれこれ1990年代前半のこと。レッズは「3D PORTRAIT GALLERY COLLECTION」というシリーズで、1/8のヌードフィギュアのシリーズを売り出していた。

他の健全な同級生たちがAVのお世話になっていた頃、自分は密かにこんなフィギュアを五体不満足にして愉しんでいたのだった。

何しろ、一般のプラモデル以上にマイナーな時期であり、「社会は如何にしてプラモの金型に彫りこまれた美少女のパンツを見つめてきたか」でもこんなくだりが出てくる。

(有田)自分はロボットが好きで…
(広田)そんな事をいう人はエクスキュースにすぎない
(有田)実家でも「ロボットのついでに美少女」というスタンスだった。
フィギュアを買うきっかけというのが、ただ好きになるというのを超えて、
ラブライバーもイタバ(痛いバッジ?)といいうのがある。コーディネートもあるとか
最後に、恥ずかしさを超えて。なんで肌色の樹脂に惹かれるんだろう。これは私だけではなく人類にとって大事だとお思う。人類の進歩の歴史。
(廣田)どんなに恥ずかしくても、自分に正直にならなければ生きていけない。

 

そう。とてもとても「それがメインです」だなんて言えるような代物ではなかった。

時あたかも1990年代、宮崎事件によって迫害されていたオタクの世界の中でもなお、差別されていた最下層も最下層の変態であったといっても過言ではなかった。
まして四肢切断なんて・・・
(ちなみに、本エントリで掲載しているレッズフィギュアの写真はヤフオクのどこかから持ってきたものなので、著作権上褒められたものではありません。ごめんなさい)

ともあれ、そういったフィギュアを多く売っていた店の一つに、新宿のイエローサブマリンがあった。
都営新宿線の新宿三丁目を降りてすぐの所にあったと思うが、こんなことがあった。

ガレージキットは、鍵の付いたガラスケースの中に入っているのだが、買う時は商品名を言って開けてもらう事になる。
まだ20歳になったかならないかの頃の大学生の自分は、まさにエロ本やAVを買う時の気恥ずかしさである。
店員に「それ・・・」 と言っても、「商品名は?」と聞き返す。
つまり、ここで掲示した写真で言うところの佐藤奈々」「佐々木由香」まで言わないと開けて出してくれなかったのだ。
たぶん店員は分かってたんじゃないだろうか。こっちが恥ずかしがってるのを分かっていて口に出させたのだ。

・・・が、それだけに留まらなかった。
いざお会計という段になると、そのヌードフィギュアの箱を前に、忙しく別の作業を始めるのだ。おそらくは業務フロー上、お会計の途中でもこなしておかないと全体がスムーズに進まない作業なのかもしれない。しかしこちらは、後ろの客も見ている中でさっさとお会計を進めてほしいのである。
「あの・・・ お会計してくれませんか」なんて言おうものなら「だったら手伝ってくれる!?」とでもキレ気味に言われそうな、そんな殺伐とした仕事場のようだった。

・・・というのも遠い昔の話。
イエローサブマリン自体は現在はゲームやトレーディングカードにメインを移して今でも盛業中のようである。

ただし、その都営新宿線の新宿三丁目駅の上にあった店舗は現在は営業していない模様。

一度、あの店舗のあった場所に行って決死して往時を偲んでみたい。
確か、ビル自体はそんなに古いものでもなかったので、取り壊されているという可能性は低い。(オウムの本部みたいに築年数が新しくても取り壊された例も無くはないが)

ただ、その位置をどのようにして調べるかである。
イエサブの公式サイトにも沿革はあるが、新宿店がどこにあったとか、そんな話まで書いているわけではない。
確か、神戸なんちゃら亭とか言う牛丼屋があったような気がしたんだけど。。。

そう思ったら出てきた。
実に2004年、14年前の2ちゃんねるの書き込みである。

そうそう「神戸らんぷ亭」。ここも昔は結構店舗展開してたと思ったんだけど、2015年を最後に全店閉店し、会社自体は「壱角家」という家系ラーメンチェーンとして存続しているらしい。あー、もう儲かりそうな方に全振りしちゃうわけね。

これを調べることができればあとは一瀉千里だった。
新宿2丁目12番4号 アコードビル5階。ここがあの日の夢の跡だった。

そうそう。新宿駅に限りなく近い丸の内線の新宿三丁目ではなく、都営新宿線の新宿三丁目駅の、エスカレーターのあるC6番出口から出て向こうにあるのがアコードビルである。
決死モデル:チームP桃園

現在では別の何かの会社が入っているようだった。

ちなみに、このビルの1階はやはり、神戸らんぷ亭の後身たる壱角家が入っていた。

 

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


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