ビヨンドガールズのトークショー【ネタバレ注意】

国際福祉機器展について色々と調べてみると、車椅子女子3人組「Beyond girls」がトークショーをするそうな。

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正直、義手や義足ではない車椅子は守備範囲外であり、これまでのBeyond girlsのイベントに行ったわけでもなかったのだが、せっかくなので見ることに。
車椅子メーカーである松永製作所のブースで行われるトークショーとなる。

客層としては若い車椅子ユーザーが主。邪魔にならないように見ときましょ。今や俺自身が車椅子欲しいけど・・・

15時を少し過ぎたところでBeyond girlsの3人組が登場。

「こんにちはー! ビヨンドガールズです」
「ちょっと距離ありませんか? もっと前の方に来てください」

まずはリーダーである綾子さんからビヨンドガールズ自体の紹介。
曰く「リーダーで真面目な小澤綾子、車椅子歴が長いアメリカ帰りの中嶋涼子、おばかでセクシーな梅津絵里のチャレンジユニットです。結成して1周年になりました。車椅子でも沢山いれば世の中に意見でこるのではないかと」

小澤:みなさん車椅子のイメージは?
梅津:私は歩いてた頃は車椅子かっこ悪い思ってたが、2人のイケイケガールズに出会ったらなんでもできるしと思うようになった。
中嶋:可能性を超えてチャレンジしていくというコンセプト。
小澤:ところでbeyondって何か知ってますか。beyondというのは「超えていく」という意味。いろんなことにチャレンジしているユニット。

そして各メンバーの自己紹介。

小澤:リーダーの小澤綾子です。外資系メーカーで人事担当で働きながら休日は講演活動。学校の頃から、人と違うということが辛かった。なんで自分は走るのは遅くなるのかと、不幸に思っていた。20歳にときに病名が分かった。お医者さんに「あと10年で車椅子、20年で寝たきり」だと言われた。人はどんなにつらくても生きていくしかない。だからこういう病気だと全国に伝えたい。同じ人間じゃん、と。今日も介護タクシーに送ってもらったりしたが、できないことはいっぱいあるが幸せだなと思っている。誰もが生きていてよかったと思えるように活動していきたい。夢が叶って本を出版した。元気がない方を支えるように。

中嶋:最年少で32歳。将来はテニスプレーヤーになりたいと思ってた。小学生の頃、風邪をひいて治ったら、鉄棒で突然足が動かなくなった。
4つの病院を転々としたが原因は不明。脊髄に菌が入ったのではないかと。横断性脊髄炎。初めて車椅子で街を出たときに視線を感じた。小学校の友達に映画に誘われて、タイタニックを見たが非常に感動した。もう一回外に出て映画を見たいと思った。結局11回見た。だんだん人に見られることに慣れた。しかし映画館によっては入場拒否されたこともあった、家にいれば良い言われたこともある。結局その映画館はつぶれたが。私は人に勇気を与える人になりたい。高校を卒業してアメリカに渡り映画の勉強をした。映画の編集者として働いた。ウォーキングデッドの大ファンで車椅子の女性が梅津さんだった。

梅津:30歳以上の車椅子女性の集まりがあって、同じテーブルだったのがこの3人。ここで意気投合したのがビヨンドガールズの始まり。

中嶋:最初は会社にいながら活動していたが、両立が難しくて会社をやめた。別の不良ユニットもやっているが、その相方も来ている。

梅津:私は6年間寝たきりの入院生活してた。普段主婦の傍、膠原病で。全身性エリトマテーゼスで痛い。発症したのが新婚の時。普通に幸せにしてきたのが、脳と脊髄に炎症が起きて、6年間寝たきり。ご飯を食べれなくて、文字盤で会話していた。それが今はマシンガントークできるようなった。一歩ずつリハビリを頑張って、家族に支えられ、旦那さんと普通に幸せに暮らしている。当時のことはあまり思い出したくない(涙)。入院中は守られていたが、社会に出ると、車椅子に乗ってるから車椅子、どう生きればいいだろうかと。アクティブな2人と出会い、今に至る。

小澤:車椅子も三人三様。中嶋さんは日本初の女性向けの車椅子。土屋太鳳が乗った車椅子。

梅津:私の車椅子は手動だけど、どんな服にでも合わせれるように、黒の車椅子。アシスト機能がある。

小澤:私はA-MAXという電動。充電ができる。電動あるあるだけど、携帯の充電させてと言われる。いつも車椅子と一緒。

梅津:パンクしたことがありますか。

中嶋:アメリカに行ったばかりの頃あった。周囲のアメリカ人に「パァンク」とか言ってみたけど通じない。英語でパンクは「flat tire」と言うらしい。

小澤:私たちは車椅子の可能性を超えていこうと思っている。チャレンジ。

梅津:サーフィンしていたが、車椅子になって初めて、海にいれてくれるボランティアがあって、沖から見える景色があり、一歩前に前進した。

小澤:パラグライダーできない思ってたが、椅子のまま空を飛んだ。超怖かった。下に広がる景色が。

中嶋:車椅子用のバイクの試乗会があり、それにはまった。公道を走った時青春だと思った。可能性は無限大。

小澤:やりたいことは?

梅津:全国行脚。自分の入っていた病院や、全国の皆さんの会いに行きたい。

小澤:2020おりパラ開会式閉会式に行きたい。車椅子の子達かっこいいねって言われるように。どこにいても障害を持った人がいる。違いを楽しめるように。職場にも車椅子の人がいるようにしたい。年末の赤と白の番組に出たい。紅組意識したい。歌をがんばらないと。

そして質疑応答へ。

小澤:質問無いようならこちらから。そこの制服に似合う可愛い子。車いすをどう思う?

制服女子高生:車椅子大好きなんで。将来は車椅子を開発したい。

中嶋:いま不良の相方が来ている。曽塚レナ

曽塚:車椅子に乗る前は病院や福祉施設にいるというイメージだった。六本木で爆走するイメージを広めたい。車椅子ユーザーで渋谷をジャックしたい。遊園地にいる時に乗れるものがない。

 

終わってみて感じたのは、運営が健常者の欠損バーと違って、車椅子メーカーが運営し、客層も車椅子ユーザーが主なので、「チャレンジ」という方向に話がいくことがおおく、「福祉」っぽさを強く感じた。

これがもし、車椅子ではなく欠損の女子だったらどんなトークの展開になっていただろう?
CoCoライフにもタレント事業部ができたようで、その辺り期待大なところである。

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拝読ありがとうございました。

 

 

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