前回のプールで、辰巳国際水泳場が元旦も営業しているということを知り、初泳ぎをすることとした。
(ブログ更新)第127回水泳 ~まさかの泳ぎ納め~ | 喜び組のフリークショーhttps://t.co/mXhqZZ3WS2
— うん、国際人マカマカだよ🌏 (@Venus_Revue) 2017年12月30日
都内で所用を済ませ、18時頃に辰巳へ向かうこととした。
さすがに有楽町線も元旦はガラガラである。
今年の初泳ぎの決死モデルはチームP桃園を起用したい。
・・・が、自分のはともかく、メンに着せる水着を忘れてしまった。
それでもコミケの時にヤギーに着せたレオタードがあったのでそれを着てもらうことにしましょう。
ところで、水着とレオタードはどう違うのか?
Wikipediaによれば、
レオタードと水着ではデザインや表の生地では似通った要素が多いが、レオタードでは水に濡れた時の着心地や生地色が考慮されていないことが大きい。素材や縫製の強度や裏地がそれぞれの目的にあったものになっているかどうかを確認することで容易に見分けがつく。
・・・なのだそうだ。
たしかにバニースーツで水に入れそうだとは到底思えない。
さて、辰巳に到着して、死んだように暗い元旦の辰巳公園を歩く。
それにしても本当に死んだようになっている。
何か嫌な予感がしたと思ったら・・・
イルミネーションこそ点灯されているが、エントランスは開いている気配もない。
まるで死んだようになっている。
どういうことだ?と思って公式ページを見ると、今日の初泳ぎは16時までなのだという。
そうは言っても、公式ページのスケジュールをもう一度見ても、それは読み取れない。
リンクのPDFを見てやっと、今日は10時~16時までしかやってないということが分かるのである。
こんな不親切な広告の仕方があるだろうか。
こちらのページにだって、「10時~16時」である旨を書くぐらいはできるのではないだろうか?
面倒くさいから抗議はしないけど・・・
いや、この「面倒くさいから抗議はしない」という姿勢が、後々の面倒を引き起こしているのかもしれない。
この年末だって、「除夜の鐘がうるさい」と苦情を言って除夜の鐘をやめさせた市民がいるのだという。
曰く、
「法的に分析すると、除夜の鐘をつく寺(A寺)は、それを止めてほしい人(Bさん)以外のその他大勢の『公共の利益』の立場です。一方、Bさんは、その他大勢に対する『少数者』、音響に対する耐性が顕著に低い『弱者・障碍者』、静かな場所に避難する余裕がない『貧困者』の立場にあるといえます。
このような場面で、Bさんに対して、『伝統文化を尊重しろ』『苦情を言うのはあなただけ』『わずかの間だからよそに行って』など、多数者・強者・健康者・富者の要求を強いることは、人権尊重の原則に反します。
法的に、A寺とBさんの権利調整をはかるのは、立法(国会・地方議会)と司法(裁判所)だけです。A寺もBさんも、法令・判例に根拠のない言動で相手を服従させれば、刑事・民事責任を負うべき違法行為を犯す可能性があります」
ウ~ム。
そうなんだよね。
仕事をしてても、一般市民からの抗議を受けることがあるが、それがほとんど言いがかりとしか思えないようなものもある。
だいたいそういう人は決まって、声が貧しそうな中高年なのだ。以下に余裕のない生活をしているのかが、声からはっきりわかる。
そんな貧窮した中高年はどんな年末年始を迎えているのか・・・?
考えただけで寒々しくなる。
日本人の全てが豊かであるわけはない。貧困という現実がすぐそこまで迫ってきているのである。
そしていつ、自分自身がそちら側に落ちるか知れないというのが現在の日本である。
「一億総活躍社会」はいいが、活躍できなければ生きる価値は無いのだろうか?
「活躍」できなくても、それなりに暮らせる社会を築く方がいいではないか。