テンテーの本を読む資格

古野まほろさんという作家さんがおられるようで、自著を北大の学生に酷評されたことが気に入らず、北大の偏差値を罵倒して炎上した結果、自分自身に危険が迫ってきたのだそうで「垢消して逃亡」したのだそうな。

古野まほろ先生は東大法学部卒で、警察官僚として勤めた経験もあるとのことで、Wikipediaによれば以下の通りの御経歴とのこと。

  • ①東京大学法学部卒業
  • ②リヨン第三大学法学部第三段階「Droit et Politique de la Sécurité」専攻修士課程修了
  • ③フランス内務省より免状「Diplôme de Commissaire」授与
  • ④学位授与機構より学士(文学)
  • ⑤警察庁Ⅰ種警察官として交番、警察署、警察本部、海外、警察庁等で勤務の後、警察大学校主任教授にて退官

①~③まではキャリア官僚としていかにもたどりそうな道であるとして、④の学位授与機構から文学の学位をもらったというのは?
さしあたりWikipediaを当たる限りでは、防衛大学校や海上保安大学校のような省庁大学校の学位を授与する場合もあるということだが、「文学」というのは無いようである。(防大には「人文科学」があるようではあるが)

ただ、論文博士的に、論文で学位申請をすることもできるようである。
曰く、

学位を申請する際、他大学において取得した専攻分野の学位を大学改革支援・学位授与機構で再び取得することは可能であるが、大学改革支援・学位授与機構から同一の専門区分で学士の学位を二度にわたり授与されることはできない。但し、同じ専攻分野であっても専攻区分が異なる場合は申請が可能である。例えば、学士(文学)の学位を請求する場合、専攻区分を歴史学で取得した場合は歴史学では二度と申請できないが、その他の専攻区分(たとえば国語国文学や哲学など)であれば再び学士(文学)を申請して取得することが可能である。但し、学位記及び学位取得証明書にも専攻区分は明記されないので注意を要する。

東大でも駒場(教養学部)では文科一類でも文学なり歴史学はやるだろうから、その単位を元に論文出して学位取った、ということ?

また、⑤に関して言うと、基本的な警察キャリアのたどるルートとしては、本省(ヒラ→係長)→警察署長→海外留学→都道府県警察本部課長→本省課長補佐級 。。。 なんて感じかと思っていたのだが、最近では交番勤務なんて入ってるのだろうか?

また、警察大学校の主任教官ということであるが、甚だ申し訳ないがこの研修期間での教育ポストというのはバリバリのエリートが就くポストであろうか・・・?

ここで、歴代の警察庁長官(警察官僚の出世レースのトップ)の経歴をWikipediaから辿ってみたい。

彼らの中で、警大の主任教授の任にあったものはいない。
古野まほろ先生が本当に警察官僚だったとしても、出世コースの本流にはいなかったと、と見てよいのではないだろうか・・・

そんなことはまあいいか。経歴はどうあれ、本さえ面白ければ作家としては成功のはずである。

でも、古野まほろ先生の本は北大卒程度の学歴では読めないというし・・・?

TRS48のメンの中で古野まほろ先生の本を読む資格がありそうなメン・・・
チームR小沢ならどうにかなりそうである。
なにしろ、

12歳でマサチューセッツ工科大学へ入学し、15歳で博士課程をトップで修了、そして日本へ帰国後、城北大学を卒業した。

というのであるから、きっとその資格はあるはずだ!

手近な図書館のOPACで古野まほろ先生の本を検索すると、「天帝のはしたなき果実」は出てきた。
ちょっとこれを読んでみようか。

ということで図書館から借りてきたのであるが・・・

この厚さは何!?

これを読むのか。
ちょっとこれは気が滅入る・・・
でも読んでみない事にはブックレビュー書けないしっていう・・・

で、いざ読んでみると最初のページからこんな調子である。

生成色ベージュ査古聿色チョコレートに染まりつつあるウッドデッキに出ると、自分の乾いた靴音がこん、こんと聞こえた。

ベージュって「生成色」って書いて、チョコレートって「査古聿」って書くんだね・・・ 初めて知ったよ。
警察庁で出世レースなんぞにかまけていたら、こんな漢字覚えている暇などなかったのではないだろうか? こんな感想を書く時点で自分は古野まほろ先生の本を読む資格のない俗物なのだろうか?

で、登場人物の会話というのが、おおよそこんな感じである。

(男)「意外じゃなかったよ。マティスと細肉茶飯ハヤシライス、プッチーニと小市民プチブル反動分子の違いが分かる組み合わせって、そう多くないし」
(中略)
(女)「勝者総獲りザウィナーズテイクスイットオール。あなたが信じるのをやめない限り、鍵はずっと開いているわ。あの日みたいに。だから戻ってくるの。それなら御守り持っててもいい。好きな『調製メランジュダロワイヨ』だって『稲福いなふく』だって、いくらでも用意しとく」

これはあくまで男子高校生と女子高校生の会話である。
そして、これ以降、吹奏楽部内での会話が延々と出てくる。どうやら作者は吹奏楽部にいたことがあるようである。
この作品の舞台となる高校は「県立勁草館高校」という「この地域一番の名門校」なのだそうで、県立の名門校で「~館」というと、愛知の時習館(豊橋)、福岡の修猷館、伝習館(柳川)とかそんなあたりがモデル?
そうかと思えば、この作品上の都市(姫山市)の中心街は「大街道」と言うのだそうで、つまり松山がモチーフになっているようである。市電も走ってるみたいだし・・・

で、驚いたことにこの男子生徒の名前は「古野まほろ」と言うのだそうで、作者が自分で自分の小説に出ているのである。何かすごい。
そしてこの小説自体が、その「古野まほろ」の「僕」視点で展開されるのだが、しかしまあこの衒学ペダントぶりは何だろう?

かと思えば、今度は、

「カフェオレやなくてカフェ・クレームいうとるのなんか本格的スティルレヒトでえわ」

エセ関西弁とドイツ語である。

もう、登場人物はどいつもこいつも「自分の考えを分かりやすく相手に伝えよう」という意思は全くない。男も女も自分の古今東西全ての知識をありったけ披歴するためだけに口を開いているようなものである。

では、その吹奏楽部の顧問はどうだろう? 顧問教諭であればきっと常識的な話が分かるに違いない・・・と期待を抱いてみればこんな調子。

「今日も景気悪そうな顔、並べてるなあ、おい、青少年どもマラジョーシ
(中略)
煙草スィガリェータ五カートン。あと、俺の語学力の再研磨ブラッシュアップ」なるへそ。瀬尾は英語仏語露語はぺらぺら、独語伊語西語だって市場で買い物するのに不便の無い語学の達人だ。

もう「青少年ども!」と呼びかけ、「なるへそ」と納得するセンスが昭和のそれである。

で、語学の披歴は何も英仏露独伊西には限らない。

(はふ、魚醤酸辛汁トムヤム大食い選手権、今日は鶏肉ガイか。海老クンならなあ)

はいはい。今度はタイ語ですか・・・
でこの「はふ」「大食い選手権」というのが、今度は「高校生らしい青春」にすり寄ってきている感じがして気持ち悪さしか感じない。

こんな感じで、読んでて感じるのは、「虚無への供物」ばりの過剰な衒学ペダントと、高校生らしい青春の演出のアンバランスさばかりである。
衒学ペダントしたいのか、高校生したいのか、いや、その両方なのか。

それでも、このブックレビューらしき何かを書くために、我慢して読み続けていた。

そのうち、「古野まほろ」は御令嬢の同級生・修野まりの英国風の屋敷に、ガールフレンドの峰葉詩織と一緒に招待されて、男1女2のハーレムとなった状態で、「祝宴礼装パーティドレス」に着替えた修野嬢と、フランス語と英語で会話をおっ始める。

あのカラオケの夜からずっと、修野さんに聞きたかったことがデュビュイラソワレデュカラオケ・アスモマンラ・ジェトゥジュールギャルデユヌケスチョンアトゥドゥマンデ
あらどうぞバイオールミーンズ朝ごはんなら大陸式より英国式よアイプリファア・イングリッシュブレクファスト・ラザーザンコンチネンタル

・・・もうだめだ。頭おかしくなりそう。だってこの高校生2名は英仏に堪能だという前提ができてるのね? そうだとして、高校生2名が何の必要があって英仏で会話しないといけない? それとも「リアリティ」という固定観念に侵された自分の頭が固いだけ?
ミステリー小説だというので、きっとこの先誰かしらが殺されて、何らかの推理をして解決するのだろう。

それ以前に、この小説を読むということを自分の脳が拒絶した時点で、自分は古野まほろ先生に負けたのだ。もう惨敗である。

この様な次第で、自分の学歴はともかく古野先生のミステリーを読みこなすことは不可能だった。

それと、この騒動の発端となった、北大の読書サークルの、「登場人物の名前が覚えられないのはなぜか」と言う疑問であるが、それはその通りで、誰の台詞かの説明がまるでない上に、名前の出し方が小出しなのである。
たとえば、

  • 古野まほろ
    • 11ページで「古野君」という名前が出てきて、男女の会話のうち男の方が「古野」という苗字であることが分かる。
    • 15ページで「(まほなら気ぃ遣うだろ)まほに頼むよ」とは出てくるが、その「まほ」が「古野君」であることが読み取れない。または読み取りにくい。
    • 「古野まほろ」というフルネームが出てくるのは実に46ページ。
  • 峰葉詩織
    • 12ページで「詩織さん」が出てくるが苗字は不明。
    • 35ページで「修野と峰葉」と出てくるが、それが「詩織さん」と同一人物であることが読み取りにくい。
    • 「峰葉詩織」とフルネームが出てくるのは96ページ。

もう「分かりやすさ」をこの小説に期待すること自体が「偏差値の低い行為」なのだろう。
もう読もうとも思わないのでどっちだっていいけど・・・

 

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です