軍艦島は今日も雨だった

先のエントリからも薄々お分かりいただける通り、長崎は今日も雨です。
ワワワワ~ン

さて、雨をついて軍艦島を目指すことと致しましょう。

ということで、5系統の大浦海岸通り。
決死モデル:チームRナオミ

ところで、長崎電軌の5番系統というのは、蛍茶屋~石橋という、グラバー園を見る時に便利な系統であるが、長崎駅前を通らない場所をなぜ通るのだろう?
一応長崎の中心は浜の町(さっきの浜屋のあるあたり)なので、その浜の町さえ通っていればいいということなのかな。

さて、ここから歩いてすぐの場所に、軍艦島ツアーの桟橋があるのだが、この軍艦島ツアー自体、複数の会社で開催しているようで、危なく予約している所とは別の会社のツアーに行く所であった。

さて、こちらの桟橋の方が予約した方である。
向こうには中国の大型クルーズ客船が停まっている。
あんな客船に乗ってみたいものよ・・・。

こちらの乗る船は結構小さい船で、昨日乗ってきた大牟田~島原の船と同じぐらいである。

10時になり出発。
案内役は、軍艦島を世界遺産にするというNPO法人の会長という方。
案内慣れしているようで、結構面白い。

ものの30分も船に揺られたであろうか。
軍艦島の島影が見えてきた。

軍艦島に近づいたところで、船の屋上に上がって撮影タイム。
決死モデル:チームR園田

近づいたと思ったら、なぜか軍艦島から離れだす。
どういうことかと思ったら、軍艦島が最も軍艦のように見え、カメラに収めやすい距離を取ったということらしい。

一通り撮るだけ撮ったら、いよいよ軍艦島に上陸である。
ただ、上陸できるところは島内の一部だけのようで、撮影スポットも3つだけに限られている。
文化財の保護のためには仕方ないようである。

そして、「軍艦島べからず集」。

左から、
①柵を乗り越えるな。
③ゴミを捨てるな。
④建造物を破壊するな。
⑤酒飲むな。
⑥タバコ吸うな。
⑦スピーカーで演説するな。
⑧アジビラ撒くな。

・・・というのは分かったのだが、②は何が悪い?

さて、200円のビニール合羽を着て解説員の解説を聞く。

第3集会場の先には、大正5年に建築したという高層アパートがある。
当時はさぞや近代的なアパートであっただろう。
というか、当時の日本にあれだけのアパートなんて無かったはず。
同潤会アパートも確か関東大震災(大正12年)復興のための団体だったはずなので、大正5年には存在すべくもない。
ただ、エレベーターがあったわけでもない時代、歩いて高層階まで上がったのだろうか。
それを考えると、楽ではないような気もする。

一般の観光客が見学できる場所は、この第3集会所で終わり。
実に、一般見学ゾーンは島の西側の一部しかないのであるが、それでも見どころは結構ある。

第3集会場の海側には、プールの跡がある。
当時は25mプールがあったのだという。

炭鉱はさぞや文化的な暮らしがいとなまれていたに違いない。
また、これだけのモダンな生活ができるということを他の日本国民が羨んでいたのではないだろうか。
北海道の夕張炭鉱にも「夕張、食うばり、坂ばかり。ドカンと来れば 死ぬばかり」という都都逸が残されているが、それだけ死と隣り合わせの危険な場所である。待遇ぐらいはよくしておかないと人も集まらなかったであろう。
それが今やどうだ。危険で人のやりたがらない仕事ほど待遇も悪いときている。
これまでの労働シーンが営々と築き上げてきた権利が、見る見るうちに政府や資本家に侵食されてしまっているではないか。

何でこんなことになってしまったのだろう?
日本の物価が上がりすぎて、国際競争力を失ってしまったから?
だから現在のデフレ経済は許される?
労働者は文句も言わず黙って働いていれば、お天道様が見ていてくれる・・・ それでいいのだろうか?
いずれこのままでは日本は壊れるだろう。どうせ壊れるなら、労働者の手で壊してしまえばいいとすら思うことがある。

いみじくも、解説役のNPOの人も最後に言っていた。
「かつて、この島は日本の将来の姿を先取りしたものだとして紹介されていた。やはりそれは今もそうなのかもしれない。これは日本の将来の姿なのかもしれない」

さて、見るだけ見終わったら、後は船に乗って戻るだけである。
決死モデル:チームWBノノナナ

解説によれば、実は軍艦島の上陸率は50%程度なのだという。
してみれば、自分が運がいい方だったのかもしれない。

さらば軍艦島!

他の観光会社の船が桟橋に横付けしている。
後は戻るだけ。

そんな軍艦島ツアーでしたとさ。

 

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