海に囲まれて ここで生まれた

今日9月20日はこんな日ですよ。

それも、昭和22年(1947年)生まれなので、2017年の今年は70歳の古希ということになる。
もう何と言うか・・・ 凄いね。
何が凄いといって、あのハイトーンボイスの唄声とは打って変わって、喋るとガラッパチという・・・

で・・・

やって~まいりました。(小田和正口調)
決死モデル:チームTフジアキ

ここは当人の御実家として名高い、金沢文庫の小田薬局である。
以前(数年前)来た時は、何の変哲もない感じの薬局であったものが、一気にレトロ調に変わってしまっていた。
やはり「オフコースの聖地」という扱いになっているのだろうか。
また、この小田薬局に関して、変化していた点がもう一つあった。これに関しては、実際に行かれて確認されたい。
オフコースファンであれば、一度は行ってみるべき場所であると思うが、まあ・・・ 一度だけでいいかな。
そもそも人様の御宅で写真撮ったり何やかや騒ぐのも何だかね。

さて、今や金沢文庫駅の発車メロディにもなっている「my home town」であるが、以下のような歌詞がある。

〽できたばかりの根岸線で 君に出会った

そうか・・・ 根岸線はできたばっかりか。
ちなみに、Wikipediaによれば、根岸線は以下の歴史があるようである。

  • S39.5.19 桜木町~磯子開業
  • S45.3.17 磯子~洋光台開業
  • S48.4.9 洋光台~大船開業。現在の根岸線が全通。

昭和39年の磯子開業の時点で、小田氏は聖光学院の高校2年生。
さて、文庫の自宅から、山手にある聖光学院までどうやって通っていたか、ということである。

根岸線の開業前であれば、金沢文庫から杉田まで京浜急行で行き、杉田から横浜市電で根岸七曲下あたりであったかと推測される。
(横浜市電であれば、芦名橋~八幡橋で8番または13番から、11番に乗り換え)

では、高校2年生後、「できたばかりの根岸線」でどのように通ったのだろうか。
その足跡を追ってみたいと思う。

さしあたり金沢文庫駅に戻る。

当時開業していた磯子駅に一番近い京急の駅と言えば、あえて言えば屛風浦だろうか・・・
とはいえ、屛風浦駅から磯子駅までは、結構歩くことになる。
それでもまあ行ってみましょうか。

やって~まいりました。(小田和正口調)
決死モデル:チームWBナギサヤ

屛風浦は普通しか止まらないので、金沢文庫出発の時点で快速特急をやり過ごすことになる。
また、向こう側のホームを快速特急が轟音を立てて通過する。
快速特急こそが京浜急行の醍醐味である。

さて、ここから磯子駅まで歩くのだが、これがまた遠い。
産業道路のような道路を歩いていくのだが、こんなに歩かされるのであれば、むしろ根岸線開通前のように杉田で乗り換えた方が近いのではないか?と思わされた。
それとも、杉田から磯子までは市電の8番か13番で、磯子から先を根岸線で?
横浜市内だけの移動で、そこまで乗り換えを重ねるものだろうか・・・?
それも、聖光学院には国鉄の山手や根岸より、市電の根岸七曲下の方が近いのである。
正直、金沢文庫から根岸線を使うメリットがよく分からない・・・

ちなみに、磯子も根岸も地上駅であり、関内や石川町のように高架駅というわけではない。
決死モデル:チームRナオミ

また、磯子にしても根岸にしても、団地の中の駅なのだが、時が昭和で止まっているような面持である。
特に、根岸駅前のバスターミナルの各乗り場の行灯は、昭和のまま残っている物件ではないだろうか。

さて、根岸で降りたからと言って山手の聖光学院に行くわけではない。

おそらくは横浜の中心部に行く際は小田氏も乗っていたであろう横浜市電の保存館である。
決死モデル:チームTヤギー

仙台市電保存館の時もそうだったが、やはり「軌道」系の案件での決死はやはりヤギーに限る。
ですよねパシフィックセブンさん?

ここに来るのは何回目かだったような気もするが、決死は初めてである。

基本、ここは元々横浜市電の滝頭車庫と、横浜市交通局の本局があった所であり、現在は横浜市営バスの車庫と、横浜市営住宅が建っており、その1階部分を市電保存館に使っているという具合である。
ちなみに、現在横浜市交通局の本局は、地下鉄高島町の近くにあるようである。

ところでこの市電保存館、市営住宅の1階を使っているだけに耐震柱に保存車輌が隠れており、写真が撮りにくいことこの上ない。

それでも、横浜市電保存館の保存車輌を堪能して帰ってきたのであった。

どうもありがとう!(小田和正口調)

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