今日は人生初淡路島。
淡路島には、かつて洲本から福良までの23.4kmを1時間ほどで結ぶ電車が走っていた。
しかし、自家用車の普及と水害による線路流出、淡路交通のバス部門増強への方針転換から1966(昭和41)年9月30日、多くの島民に惜しまれながら44年の歴史に幕を下ろす事となった。 pic.twitter.com/5AcsoWZ6qG
— tetsu (@tetsu_main_1) 2016年9月29日
今日の始まりは徳島のホテルから。
ホテルが結婚式場に使われているような所だと、ウェディングドレスのトルソーが飾ってある。
トルソーがあればトルソー同士撮らずにはおれない性分である。
(決モ:チームR園田)
昔は健康ランドでも漫画喫茶でも、雨露さえしのげればそれでよかったが、最近はまともに寝れる所でないとつらい。
それで、結婚式場になるようなそれなりのレベルのホテルばっかりということになる。
徳島駅前からは、1日3本ぐらいしか走っていない淡路交通の洲本行きのバスとなる。
淡路交通のカラーリングは好ましい。
昔は、似たような色の電車が洲本~福良を、四国を目指すお遍路さんを乗せて走っていたようである。
さて、徳島を出発したバスは途中、松茂にも止まるがやたら立派なバスターミナルである。
四国の高速バスの充実度は、このような所からも推し量れる。
松茂から先は高速道路に入る。
そして鳴門海峡大橋を渡り淡路島に入り、あっけなく洲本市内に入ってしまう。
そして洲本に到着。
昔は、淡路交通の電車の洲本駅をそのままバスターミナルに使っていたようであるが、現在は少し港側に移転して「洲本高速バスターミナル」として広い敷地になっている。
(決モ:チームTアンヌ)
バスターミナルの建物は新しくなっているが、入ってみれば盛岡バスセンター同様、「バスターミナル」の面持ちである。
そして、この洲本高速バスターミナルからバス停1つ分歩いた所がかつての洲本駅となる。
かつてはここに電車のホームがあったであろうか。
駅の建物は電車の頃のままであるという。
現在は神姫バスも乗り入れているが、これは神戸行きであろうか。
(決死モデル:チームRスマレ)
建物がバスの発着場にかかる部分は、昔のバスターミナルの面影を残し、横断歩道も広告もそのままになっていた。
横断歩道のあるバスターミナルと言うと、札幌駅前のエスタの下にあるバスターミナルを思い出す。あそこは信号もある本格的なものだった。
さて、高速バスターミナルに戻り、今度はフェリーの出る岩屋行きに乗ることにしたい。
高速道路経由で明石や神戸に出るのは簡単であるが、淡路島の町々を楽しんでみたい。
そして岩屋に到着。
バスターミナルがすなわちフェリーの発着場である。
(決死モデル:チームWBラジエッタ)
岩屋は漁師町でもあるようで、ターミナル内には海産物の市が立っている。
対岸の明石へは、1時間に1本程度フェリーが出ているので、それなりに利便性はある。
そしてフェリーに揺られて程なくして明石港に到着。
(決死モデル:チームR天美)
タコの産地としても有名な明石は、さすがに阪神の都市圏の中にありすっかり都会である。
ちなみに、フェリーはバス利用者だけではなく、明石海峡大橋を通れない原付を運ぶ役割もあるのだという。
港から明石駅までは、10分程度歩くことになるが、途中の商店街では大漁旗を下げるなど、港町であることを盛んにアピールしている。
そして明石駅に到着すると、駅ビルのイベントスペースでは食に関する何かのイベントをやっていた。
この手のイベントも、開催や運営は大変なようで、グルメンピック事件で明らかになったのは、まず手を上げてくれる飲食店を探すことが大変だということであった。
そして、ビルの中でやるとなれば、調理の際の火力にも制限がかかるのだという。
儲けが出るか出ないかという観点に立てば、なかなか難しいのだろう。
さて、明石から大阪に出るには国鉄もあれば山陽電車もある。
今回は新快速で行くことにしたい。
大阪に到着すると環状線は新型323系に乗ることができた。
(決モ:チームTレナ)
これで西九条まで行くことにしたい。
これと103系の並びが撮れれば最高だったが、ついぞその機会は無かった。
そして西九条で桜島線に乗り換える。
案の定、ユニバーサルシティで乗客の大半が降り、桜島ではほとんど客がいなかったので、思い切ってエリーとヤギーの2人撮りに挑戦。
一応、ユニバにもよって正門まで行ったのだが、あれだけの人混みの中で2人撮りする勇気はなかった。
さて、ここで撮ったら西九条へ戻り、大阪環状線から関西本線に入って王寺へ。
王寺から桜井線で高田へ。
(決モ:トルソーさんのファラキャ)
ちなみに、在特会の創設者・桜井真の本名は高田誠であるという。
この駅には一切関係のない話(彼の出身地は福岡県)ではあるが・・・
さて、この高田駅から近鉄の大和高田までは少し歩くことになる。
そして大和高田から近畿日本の榛原行きに乗り、大和八木を目指すことにする。
大和八木からは京橿特急で京都を目指すことにしたい。
(決死モデル:トルソーさんのラ・バルバ・デ)
別に大和八木から丹波橋は、特急使う程の距離でもないのは確かであるが、疲れていたのと時間的に丁度よかったのとで、つい使うことにしてしまった。
京橿特急で来たのはアーバンライナー。
アーバンライナーって名阪甲特急以外の運用もあるんだね・・・
そういえば、大阪に住んでいた頃は自分は喫煙者で、名古屋に用事がある時は鶴橋からよく名阪特急に乗っていた。
甲特急(ノンストップ)だとアーバンライナーだが、乙特急(伊勢中川や津に停まる系統)だと、普通の特急車両(黄色と紺のやつ)が充当されていた。
ということで丹波橋に到着。
(決死モデル:トルソーさんのナイ)
またぞろ大阪在住時代の話になってしまうのだが、当時は京阪沿線に住んでいたので、京都駅から東に向かう滋賀や北陸方面の電車に乗る場合、必ず丹波橋で乗り換えなければいけなかった。
そういう意味では利用頻度の高い駅ではあった。
昔は、近鉄奈良線は「奈良電」という近鉄と京阪の合弁会社で、京阪三条から奈良まで直通列車が走っていたこともあったという。
自分が大阪に住んでいた頃は新3000系なんて走っておらず、中之島線も開業しておらず、天満橋は1~2番線が行き止まりだった。
大阪に住んでいた頃は楽しすぎて、思い出すたびに涙が出てくるほどで、切なくなるのでむしろ封印したいほどである。
さて、新3000系で三条を目指すことにしたい。
2*1の横型座席で快適である。
そして三条に到着。
鴨川と三条大橋の夕暮れ。
(決モ:チームPペギー)
いい時間になったので、ここで夕食としたい。
三条大橋を渡った先に天一があるのでここで夕食としたい。
そういえば天一の創業の地は京都であった。
京都は天一のような濃厚鶏ガラ白湯ラーメンが多いのだという。
そして、そもそもなぜ京都の三条なのかと言えば「ユーミンバー」に行きたかったからである。
目指すユーミンバー「キャラメルママ」は河原町の通りから1本入った所にある。
18:30の開店から入ったので、客は自分1人であった。
バーは、リクエストすればユーミンの好きな曲を掛けてもらえる。
自分としては、父親の車の中にあった「昨晩お会いしましょう」がユーミンの入り口で、中高生時代が「LOVE WARS」「天国のドア」「TEARS AND REASONS」あたりだった。
聞けば当時の思い出がよみがえる。ただし、いい思い出ばかりとは限らない。申し訳ないことをしたという思い出もある。
最後は「とこしえにGood night」をリクエストして店を辞去。
あとは湊町のバスターミナルから帰るだけである。
京阪で京橋まで行き、京橋からは城東線・・・ではなく大阪環状線。
323系と201系の並びを撮ることができた。
(決死モデル:チームP桃園ミキ)
そして大阪環状線と関西本線を乗り継いでJR難波へ行くこととする。
それにしたって「湊町」ではだめだったのだったのだろうか。
他の私鉄に遠慮して「JR難波」とは、いかにも私鉄王国の関西らしいという気はするが、内田百閒先生がご存命であれば、さぞ「官僚としての毅然さに欠ける」とお嘆きだったであろう。
今回の旅行の最後の楽しみは、超高級高速バス「ドリームスリーパー」である。
1つの大型バスに、プレミアムドリームやはかた号のプレミアムシートみたいなのがたった11席しかなく、トイレはウォシュレット付きという豪華さである。
運行会社は中国バスだというので、基本は大阪ではなく、広島や岡山の方になる。
大阪~東京という、夜行にしては非常に短い距離ではあるが、その豪華さをかみしめつつ眠りに就くことにしたい。
・・・と、どんなふうに豪華だったかを噛みしめる間もなく寝入ってしまった。
次に起きたのは、すでに東京に入って池袋到着寸前であった。
そして池袋西口に放り出され、今回の旅は終了と相成った。
(決モ:チームY楼山)