本日12月29日、東京の天気は晴れで、最高気温は13度、最低気温は2度の予想です。降水確率は終日0%で、雨の心配はありません。乾燥注意報が発令されていますので、火の取り扱いには十分ご注意ください。また、空気が乾燥していますので、風邪をひかないよう、加湿や手洗いを心がけてください。
6時過ぎに目が覚めると、父上も母上もすでに朝食を食べている。
老人の朝は早いのと、妹が出勤するからだろう。
それにしたって父上から「脳外科医竹田くん」の話題が出て来るとは。
妹は「クローズアップ現代でもやってたよ」と言う。
朝食は湯葉豆腐と稲庭うどん。
NHKでは「皇室の1年」をやっていて、母上が見入っている。
トイレに行くと、血まみれになっているということはない。
それでは、出かけることにしよう。
まずは天王洲アイルのホテルにお土産を取りに行くことにする。
では天王洲アイルまでどうやって行くかだ。
西武拝島線はガラガラだが、ここはせっかくなので中央線のグリーン車で行くことにしたい。
そう思ったらしばらく立川行きしか来ない。
では立川からグリーン車乗ってみる?
いや、ほぼ確実に座れないだろう。
ということで、何と八高線で八王子まで行くことにする。
車内はまあまあ座れる程度。
八王子に到着すると同じホームで乗り換えができた。
ところがグリーン車無しの10両編成。
ああ、それで今はグリーン車が普通車扱いなのか。
それと、八王子にはタンク車がひしめいている。
八王子は立派な内陸都市なのだ。
さて、この中央線快速から新木場に行くのに最も乗り換えが少ない方法はといえば、新宿で埼京線に乗り換えることだ。
グリーン車に乗ってる訳でもないので、中央線に長居する義理は無い。
ということで人でごった返す新宿駅で乗り換え。
折よく9時37分の新木場行きが来た。全く座れない。
ただ、渋谷で座ることができた。
大崎に到着すると「コミックマーケット開催に伴い非常に混み合っています」などとアナウンス。
ああ、そんな時期か。今日は1日目か。
ほどなく、天王洲アイルに到着。ちなみに中国語表記では「天王洲岛」らしい。
東横インに向かって歩いているオブジェがあるのだが、その作者が「加藤智大」という。
同姓同名のせいで、いろいろ苦労もあったのではないだろうか。
ちなみに例の事件に関しては個人的にはこんな思い出がある。
それはともかく、東横インに行ってお土産をゲットバック。
再び、天王洲アイルの駅に行って、川越行きの快速を待つ。
ところで、やったら、新木場方面の客が多いが、ここからコミケに行くのだろうか。
いや、羽田空港からモノレールに乗ってコミケを目指す客が、ここで乗り換えるのだ。
ともかくも10時33分の川越行きはコーナーをゲット。
そして快適に池袋に到着。
まずは、ビックカメラに寄ってタブレットを買うことにする。
母上にiPadなど要るまい。安い中華製タブレットで充分なはずだ。
それより画面が大きいかどうかの方が重要になって来るだろう。
池袋西口のビックカメラの5階にお誂え向きの12.1インチのタブレットがあった。
キーボードも合わせて45,000円位。
さて、この池袋西口のビックカメラから1番近い乗り場と言うと、副都心線のホームになる。
副都心線のホームから和光市行きに乗る。
相鉄の車両が来たが、車内はガラガラで座る事は容易。
東上線に乗らなくてよかったかもしれない。
そして和光市に到着。和光市駅の周辺でにしこくん仕事をしたくらいにして収鋲としたい。
ちなみに、この和光市は「おててつないで野道を行けば」の童謡で知られる清水かつらのゆかりの地であるらしい。
埼玉県和光市はこれで収鋲として次に行くことにしよう。次は志木。
程なくして志木駅に到着したが、実は志木駅というのは志木市にある訳ではなく新座市にある。
だから、ある程度北にいかないと志木市を収鋲したという事にならない。
それで、少し歩いて慶應志木高校まで行くことにする。
ここは石原裕次郎やしげ旅の母校でもある。
その名も「慶應通り」と呼ばれる大通りに出たところの交差点近くにある古い建物は、石原裕次郎がいた頃の「慶應義塾農業高校」を知っている建物だろうか。
さて、志木市は収鋲したので次行ってみよう。
急行に乗ったらその次はふじみ野であるという。
本当は鶴瀬で降りたかったのだが、まあふじみ野でも富士見市であることには違いあるまいて。
ふじみ野では駅前をとったくらいにして収鋲ということにしたい。
さあ次行ってみよう。
ということで、各駅停車で上福岡駅へ。
少し前なら上福岡市であったが、現在はふじみ野市。ふじみ野駅のある富士見市とは違う。
ややこしい。
上福岡駅の北側には、いかにも昭和55年頃に建てましたというような東急ストアが建っている。
上福岡に来た来意というのは、巨人にいた條辺が経営しているうどん屋である。
駅から歩いてほどない所にあったが、行列店になっている。
並んでいると、乃公のすぐ後ろにもすぐ行列ができた。
後ろの客が「務安空港で着陸失敗で60人以上死亡だってよ」と言っている。
え?務安空港!?何があったんだろう。
調べようにもiPhoneのバッテリーが10%もない
ともかくも、「條辺」の店内は、セルフのうどん屋で讃岐スタイルである。
かけうどん2玉は多過ぎたかもしれない。それに山芋をトッピング。揚げかすは自由で。
ダシのあごが強い印象だった。不快ではないが。
このような行列店なので、條辺夫婦がやっているささやかなうどん屋とか、そういうものではない。
何人ものパートやバイトが、次から次へと客をさばいている。
壁には長嶋茂雄のサイン。
さて、これで鋲4つ回収することができた。
あとは川越かどこかでのんびりしていよう。
果たして東上線で川越へ。
改札の脇のスタバで充電しつつ当て所もなくのんびりすることにする。
ちなみに、このスタバは、佐々木朗希の完全試合のニュースを聞いたスタバでもある。
かれこれ2022年4月10日だった。
さっきの務安空港がどうたらという件は、バードストライクで着陸失敗したのではないかと言われている。
映像も残っている。務安のあたりは渡り鳥の営巣地なのだそうで、務安空港の建設時、渡り鳥を守れとかそういう環境保護団体からのクレームは無かったのだろうか。
ここでのんびりと事件史ブログの起こしなんかやっていたら、店員が「混雑してお席がないので、1時間以上の方は移動してください」なんて言っている。
では、ずらかりましょう。
それでも4枚のうちの決死枠があと1個残っている。さてどうしましょう。
高麗川の新駅舎でも見ようか。あるいは川越線末端部に木造駅舎でも残っていないか。
調べてみたら的場駅が木造駅舎だ。ではここに寄ることにしよう。
ということで、八王子行きの209系の中の人となる。
的場の隣の笠幡も木造駅舎のようだが、リニューアルのつもりか、柵みたいなのがあって邪魔だ。
だったら的場の方がいい。
というか、30分に1本しか来ないのであれば、的場で30分待つより、笠幡まで行って笠幡から折り返して的場で撮る、という宗谷本線でやったやり方をすればどっちも撮れるのではないか?
と思ったが、どうやら的場で列車交換をするパターンダイヤらしい。
つまり的場での時間はほぼ取れない。
大人しく的場で30分待つことにしよう。
そして的場に到着。というか的場には数分停まるようだ。
それを最初からわかっていれば、30分待つまでもなく撮れたかもしれない。
しかし間に合わなかった。大人しく待合室で待っていることにしよう。
待合室で待っていると、何だか懐かしい気がする。
これは、1998年に大学を卒業して室蘭支店で社畜の第一歩を記す前に、出世祈願として高麗神社に行った時、東飯能で乗り換えたのだった。その時の東飯能駅舎と同じなのだ。
東飯能はかりそめにもJRと大手私鉄の乗り換え駅のはずなのに、小さな木造駅舎だった。
待合室には古びた運賃表が掛かっていた。
もっと写真を撮っていれば良かったが、後悔先に立たずである。
そういう意味では、的場で30分待って良かったかもしれない。
そのうちアジア系外国人が大挙してやってきた。技能実習生だろうか。
そのうち八王子行きが来そうなのでホームへ。
そして八王子行きの中の人となる。
コーナーをゲットすることができた。
あとはもう拝島に戻るだけ。
拝島に到着すると、夕焼けが綺麗だった。
これもにしこくん仕事。
あとは父母宅に戻る。
タブレットをあげると、母上は喜んでいた。
夕食は稲庭うどん・里芋の煮付け・大根の煮付け・湯葉豆腐。
あとは、父上にパソコンのバックアップの指南。
まるで複式学級のよう。
ところでNHK-BSでは気色悪い時代劇をやっている。
「大富豪同心スペシャル」だと。
いちいち善玉に現代の価値観を当てはめている。
で、「ぼくがかんがえた江戸時代」をやっている。あゝ見てられない。
でもまあ父上が好きで見てるならまあそれに口を出す筋合いではないだろう。
あとは何をやるでもなく。SNS周りなど。
今日の決死出演は4名(累計21名)。