ベトナム旅行もいよいよ最終日。
ベトナム戦争ってあまり語られないよな https://t.co/HjcXYu6dsE pic.twitter.com/8uzvcs9qu8
— zakini671 (@zakini671) 2017年9月30日
柴棍の到着は4:00と聞いていたが、 何と早着で3:40頃。
これが本当に「高級寝台列車」のダイヤ設定だろうか?
大昔に乗った韓国の寝台車だって、ここまでひどくは無かった。
たしか釜山からソウルまで乗って、4:02に到着したと思う。
(決死モデル:チームPペギー)
あの時はどうやって早朝のソウルで時間を潰したんだったか・・・
まあいいやそんなことは。今、この柴棍で時間をどのように潰すかである。
待合室に行くと、客が何人もベンチで寝転がっている。
荷物は、貴重品だけ持ってトイレに行くような感じで、衣服などの入った大荷物はベンチに置いておいても構わない程度の治安は維持されているらしい。
んでまあ、夜の飛行機の出発まで何をして過ごすか・・・
どうせなら柴棍周辺の鉄道も乗り潰ししたいところ。
ちなみに、柴棍の正面はこのようになっている。
駅前は、車掩(バイタク)が犇めいているが、河内と違うのは、一様に青いヘルメットで統制が取れているようだった。
まあいいやそれは。とにかく乗り鉄がしたいのである。
時刻表を見ると、朝に柴棍を出発して潘切へ行き、昼過ぎに柴棍に戻る列車があるらしい。
これはおあつらえ向きである。
早速𡎢𣟮(一等座席)の切符を買い、早速乗り込む。
本当であれば、二階建て車両の方が良かったのだが、𡨸喃で類推するような付け焼刃のベトナム語力ではそこまで要求のしようもない。
さて、その潘切行きの列車の𡎢𣟮であるが、向かいの席には高校生の一団が乗っている。
高校生がグリーン車で移動とは、まさか甲子園に行く球児でもあるまいに、なかなか贅沢な旅である。お坊ちゃま・お嬢様学校だろうか。
で、その高校生たちがこちらに興味を持ってやたら話しかけてくる。
日本語を勉強している学生もいるらしい。
正直、のんびりを旅を楽しみたい所ではあるが、せっかく日本に興味を持ってくれている彼らの好奇心の芽を日本人が自ら摘むのも良くないし、やはりここは日本人らしく「空気を読んで」相手してやるか・・・
最近、日本でも学校が自ら「外国人に話しかけよう!」なんてことをしているらしいが、あれはいかがなものだろう。日本人学徒の英語教育のためには、訪日外国人は自らのプライベートを切り売りして当然、という態度でいいのだろうか。
そんなこんなで、例の高級夜行列車の早着による寝不足を解消する暇もなく潘切に到着。
(決死モデル:チームY楼山)
潘切駅は、統一鉄道の平順駅から1つ支線筋に入った所にある、いわば室蘭駅や能代駅のようなロケーションにある。
ちなみにこの潘切、町としては人口は約20万人でリゾートとして有名であり、渃𩻐(ベトナム料理によく使われる魚醤)の名産地でもあるらしい。
そんな潘切を観光する暇もなく、踵を返して柴棍に戻るのが「乗り鉄」の魂である。
ただ、単純往復では、帰りの列車まで時間がかかるので、本線筋にある平順までタクシーで行くことにしたい。
潘切の駅前は、このように緑色のタクシーが犇めいており、観光地ムードはいやがうえにも高まる。
その中の1台に乗り込み「平順駅まで」お願いする。
タクシーの運転は非常に安全運転で、法定速度を超過する気配もない。潘切のタクシー運転手というのは、エリート職業なのだろうか。
一時期は、平順からの列車に間に合うのかどうかハラハラさせられた。
それでも、どうにか柴棍行きの列車の30分ぐらい前に平順の駅に到着。
駅に着いたら当然、切符を買わないといけない。
さっきは𡎢𣟮(一等座席)できたので、戻りもやっぱり𡎢𣟮で戻りたい。
そこで、
「柴棍。𡎢𣟮」と頼むと、「無い」という。
え?無い? それ困るんだけど・・・
「じゃ𡎢𠠊(二等座席)は?」
「無い」
おいおい・・・
あ、でもこの列車は芽荘からはるばる来る列車。
そもそも座席車の連結がないということかもしれない。
そこで、両手を頬に重ねて「寝る」というジェスチャーをしつつ、「𦣰𣟮(一等寝台)」と言うと、切符売り場のお姉さんも理解したようで、同じように「寝る」のジェスチャーをしつつ「𦣰𣟮ね」と切符を発行してくれた。
どうにか切符問題は解消し、晴れて列車に乗る権利を得る事ができた。
平順の駅構内には、車運車が転がっている。
ベトナム国鉄は貨物輸送も盛んなようで、羨ましい限りである。
(決死モデル:チームY間宮)
そしてまたホームは低くて狭い大陸スタイルである。
ベトナムの列車旅は、本数こそ少ないがなかなか味のある旅ができる。
さて、柴棍行きの列車が来ましたよ・・・
ちなみに機関車の先頭には「𣌒𡤓」と書いてある。
さて、真っ昼間から𦣰𣟮に寝転がってする旅行というのは最高である。
たしかインドでもいたよな・・・
真っ昼間なのに1AC(エアコン付き1等寝台。4人個室)に乗り込んでくる客が。
聞いてみると、「ネジの会社を経営していて、日本にも輸出している」という若い社長だった。
自分自身もそう若くないし、海外鉄の楽しみ方としてこういうのはありだと思った。
今朝の寝不足をやっと癒す事ができた。
駅の前には、ベトナム国鉄で使っていたであろうSLが保存してある。
ソ連国鉄でも走っていたような、いかにもな魁偉な除煙板である。
さて、後はもう飛行機に乗るだけなのだが、ちょっと柴棍にもあるという北朝鮮レストランに行ってみますかね・・・
なんかもう銅越南もかなり余ってるし、バスなんて面倒な真似しないで、タクシーで行っちゃうか・・・
ということで、偉大なる将軍様が縮地法をお使いになるようにタクシーの中の人となる。
さて、郡𠀧(3区)にある北朝鮮レストランに到着。
昼間なので営業していないかと思ったら「オソオセヨー(いらっしゃいませ)」と電気を付けて営業開始。
これはまた変な時間にお邪魔しちゃったかな・・・
(決死モデル:チームTアンヌ)
ちなみに、おしぼりにはチョソングルで「朝鮮柳京食堂」と書いてある。
平壌は柳で有名で「柳京」の別名もある。
そういえば、金正日が南朝鮮で一番高い「大韓生命63ビル」に対抗するべく建設を命じた105階建ての「柳京ホテル」はどうなっただろうか。
おしぼりの話に戻ると、そのチョソングルの下には「茹行朝鮮」と書いてある。
「茹行」とはレストランのこと。
コアタイムではないせいか、接待員同志の対応もあまりやる気がない。
それでも、「日本でどんな歌が流行っているのか」聞いてきた。
最初はふざけてきゃりーぱみゅぱみゅとかAKB48の曲をiPadで聞かせた。
そうしたら、不思議そうな顔をするばかり。
きっと、ショータイムで歌う日本語歌曲のレパートリーを増やしたいのだろう。
何を教えても不思議そうにするばかりなので、こちらも本気になって、SMAPの「世界に一つだけの花」なんかを教えた。これなら女声でも歌いやすいだろう。
それでも不思議な顔をするばかり。
もはや処置なしで、店を後にすることにした。
さて、その他にも柴棍観光をすることとしたい。
近くには統一会堂もある。
ここはベトナム近現代史を象徴するような地点である。
(決死モデル:チームR持田)
そもそも、フランス植民地時代は「ノロドン宮殿」という名前の宮殿があったようである。
これが独立後の南ベトナムでは、「独立宮殿」という名前に変わった。
しかしその宮殿がベトナム戦争で爆破され、1966年に現在の会堂に建て変わったといういわくがある。
そして1975年4月30日にサイゴン陥落。
サイゴン陥落。 pic.twitter.com/3cR19jnzE6
— ロバート (@1967alabama) 2017年4月30日
独立当初から社会主義国としてそのまま進化した河内とは違って、柴棍は仏印時代のコロニアルな建物あり、ベトナム戦争の遺跡ありで、色々な変化を見る事ができる。
ここで日系の温泉で風呂に入り、最後のフォーを食べ、散策することにする。
コロニアルな建物も軒を連ね、銀座のような商業地帯となっている。
(決死モデル:チームRスマレ)
フランス風のオープンカフェも多く、外国人観光客がくつろいでいる。
本当であればここにも1泊して、ゆっくり観光したかった。
乗り鉄をしていると、まず「乗ったことのない路線を潰す」ことが最優先になり、まともな観光をしなくなるもので、乗り潰しをしてからが本当の旅行、ということが、特に乗り潰し系の乗り鉄には多いようである。
さて、タクシーで新山一国際空港へ行くこととしたい。
(決死モデル:チームWBラジエッタ)
ついにベトナム旅行も終わりである。
そして成田行きの直行便の中の人となる。
暫別、越南!
さて、数時間のフライトの後成田に到着である。
あとはレンタルしたWi-Fi機器を返却するなどして、後処理を行う。
(決死モデル:トルソーさんの霧島)