さて、今日は大船渡線の摺沢~さかりを走る臨時バスに乗ろうと思うんです。
JR東日本、大船渡線臨時バスの詳細を発表…摺沢~盛間は1時間15分https://t.co/3ov7bipRRo#鉄道 #JR東日本
— レスポンス (@responsejp) 2017年4月14日
よって今回の旅の拠点である盛岡から東北本線と大船渡線に乗ってまずは摺沢を目指すことにする。
旅の始まりは岩手飯岡という東北本線の小駅。
(決死モデル:チームTアンヌ)
1992年まではここは盛岡市ではなく、都南村という日本一人口の多い村であった。
その都南村で唯一の駅がこの岩手飯岡駅であったが、国鉄 の頃はこの駅を通過する普通列車もあったくらいのものである。
地方都市では、都市近郊の通勤通学輸送はバスにお任せ、その方が民業圧迫にもならないだろうという国鉄の判断でもあったのだろうか。
さて、では次の決死撮影は臨時バスの始発の摺沢か・・・ と言えばそうは問屋が卸さない。
基本、撮った写真は地点情報を付けた上でスマホに入れ、「PhotoMap」というアプリで見るようにしているのだが、左画像のように、撮った位置と経路がGoogle Map上に青い線で現れるようになっている。
これで、たとえば東京と直江津を旅行したとして、東京と直江津が1つの直線で結ばれているだけ、というのはあまりに味気ない。
ちゃんと高崎や軽井沢や長野や高田を経由しているのである。
そのことがこのアプリ上に現れるように、とにかく撮影できるときは撮影するようにしている。
基本、決死撮影は1人1か所につき3~6枚と決めているが、なにしろ途中駅での撮影は30秒停車の間に取ることもあり、1か所1枚なんてこともある。
それで、1人のメンバーが複数個所で撮影することで、何とか3~6枚を確保するということになる。
このような、経由地での連続単発撮影をTRS48用語で「ハザマ撮り」「つなぎ撮り」と呼んでおり、主に中~下位メンをその任に充当している。
では、アンヌは中・下位メンなのか・・・ と言えば、もっと出したいくらいなのであるが、この子の場合、「ガバ首」という持病があり、首(ボールジョイント)の受け口の部分が広がりすぎて、ポケットに忍ばせていると首が外れて、行方不明になるリスクが増大するのである。
それで、なかなか頻繁に出すこともできないという状態である。
さて、水沢を出て一ノ関に着こうとするその直前、前沢で6分停車だという。
これはもしかして貨物列車の追い越し? ・・・と期待したが、3番線(東北本線上り)の場内信号も赤のまま。
本当は、ここで普通列車を追い越す貨物列車のスジが存在するのだろうが、今日は走っていないというだけなのだろう。
ということで、前沢で無駄に6分停まっただけで701系の普通列車は発車した。
ちなみにこの前沢、「前沢牛」という和牛の産地として有名である。(有名だと思ってるのは東北人だけ?)
果たして、701系の普通列車は宮城県境の一ノ関に到着する。
ちなみに駅名は「一ノ関駅」であるが、自治体名としては「一関市」である。
岩手県で初めての世界遺産となった平泉中尊寺へ行くには、新幹線で一ノ関で下車し、普通列車で平泉に行くのが普通のパターンであるため、平泉観光の根拠地としてのアピールに余念がない。
その他、JR盛岡支社ではSLを観光の目玉とし、この一ノ関から分岐する大船渡線はピカチュウとコラボして色々とローカル線起こしをしている。
さて、これから乗るのはこの大船渡線である。
一ノ関を出て1駅目の真滝で、早速列車交換で4分停車する。
その間にもハザマ撮りである。
(決死モデル:チームP芳香ちゃん)
真滝は対向式ホームで、駅舎は向かい側のホームにあり、構内踏切で繋がっている。
4分停車なので、走って駅舎側に行って撮ろうと思えば撮れたのかもしれないが、リニューアルされて単なる「待合室」になってしまっており、さして撮る価値のある駅舎であるとも思えない。
そんなわけでスルー。
さて、列車は摺沢に到着する。
いまでこそ大船渡線の気仙沼の手前の岩手県内の区間は全て平成の大合併で「一関市」ということになったが、かつては摺沢駅は旧大東町で唯一の駅だった。
この大船渡線、何で有名かといえば「政治路線」ということであろう。
本当は、一ノ関~気仙沼は、この摺沢など通る必要はなく、陸中門崎(旧川崎村)~千厩(旧千厩町)まで、直線で結ぶことが可能だったのである。
それが、大正9年の総選挙で立憲政友会から佐藤良平が選出されると、無理やり摺沢周りのルートに曲げられ、この摺沢駅ができた。
それで、このように佐藤良平をたたえる胸像が立っているのである。
ちなみにその後、大正13年の総選挙で憲政会が政権を取ると、今度は千厩町が憲政会に働き掛け、大船渡線のルートを今度は無理やり千厩周りに戻した。
それが現在の、この大船渡線のグネグネ曲がったルートの原因である。
さて、ここから臨時バスに乗る。
普通のJRバスと違い、鉄道路線として扱われているようで、青春18きっぷでの乗車も可能である。
花火やお盆期間だけの運行だということであるが、JR東日本盛岡支社がこのバスにやたら気合を入れているというのは、このバスが成功したら、摺沢から先は鉄道を廃止して大船渡線や気仙沼線のようなBRTにしようという肚なのだろうか。
どういう思惑での運行かはともかく、摺沢駅の屋上には「歓迎 臨時バス」などと垂れ幕がある。
千厩や気仙沼を素通りして陸前高田や大船渡を目指すこのバスを、千厩や気仙沼は面白く思わないだろう。これまた「平成の政争」になりそうな気配が漂っている。
果たして、客は自分を含め3名。
それも全員自分と同業者で、つまりはマニアということである。
行楽シーズンにこの状態では、このバスは果たして営業的に成功と言えるだろうか・・・
さて、その3人の乗客を乗せたバスは、深山幽谷を進む。
とても大船渡線のシェアを奪えるとは思えない沿線人口である。
果てさて、臨時バスはBRT化し、高台に移転した陸前高田駅に到着。
(決死モデル:チームR園田)
東日本大震災後、あくまで鉄道にこだわり、復旧後に三陸鉄道への移管が決まった山田線の宮古~釜石とは違い、震災の被害に遭った大船渡線の盛~気仙沼間は、バス(BRT)化に同意した。
それで、陸前高田駅もバス駅として、みどりの窓口まで付いた立派な駅が建った。
少なくともバス駅でみどりの窓口なんてものがあるのは、草津温泉駅とつくばセンター駅しか知らない。
少子化で鉄道輸送もお先細りの今、バス輸送にしてしまうというのも一つの選択なのだろうか。
鉄ヲタとしては感情的に寂しくもあるが、このような地方の現実は直視しなければいけないであろう。