体重の推移は以下の如し。
体重は+2.2kg(前回比-0.4kg)、10回平均で+1.4kg(前回比+0.1kg)となった。
昨日よりは減ったとはいえ、相変わらずの高水準で、10回平均など0.2kgも上がってしまった。
さて、今日も今日とてプールへ行かなければいけない。
今日は趣向を変えて、新習志野は千葉県国際総合水泳場へ行くこととする。
今日もまた一日千秋のごとくウォーキング。どれだけの運動になっているかは分からないが・・・
(決死モデル:トルソーさんのナイ)
やることいっぱいあるのよね・・・
それらをどうやって片付けていくかの瞑想をしながらのウォーキング。
水泳よりもウォーキングが良いのは、こういう瞑想タイムでもあるからである。
さて、台風15号による千葉県内の鉄道路線と言えば、木更津・上総一ノ宮・佐倉あたりまではどうにか運行しているようである。
しかしそこから先は動く気配がない。
また、他の災害に比べて不思議なのが、いつもであれば盛んに報道するはずのマスコミが全く静かだということである。
「事件の全貌を伝える」のがマスコミの使命だったのではないか。
ただ、先般の京アニの事件では、そのような「社会に広く議論を起こす」趣旨は一切理解されず、実名を報じるたびに炎上という事態となってしまった。
自分が記者クラブの代表であれば、こんな謹告を出すかもしれない。
今般の台風第15号におきまして被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。
本来であれば、私ども報道機関といたしましては、被害の甚大さ、被害に遭われた地域の皆様の労苦を広くお伝えする使命を果たすべき場面であろうと考えます。
しかし、これまでの私どもの事件・事故・災害の現場における報道姿勢を振り返ってみますと、取材対象となる皆様にご迷惑をおかけすることが多く、また、インターネットを中心にその反省がなされていないとの市民の皆様の厳しい声を多くいただいており、若い記者の個人名や出身学校を挙げて社会生活に支障をきたすほどの激しい攻撃にまで至りました。
果ては、本年8月に発生した京都アニメーションにおける放火により35名もの方が亡くなられた事件に際して、私どもの「重い現実を共有したい」「事実を正確に伝えたい」という思いは一切理解されず、あまつさえ昭和62年5月3日に発生した朝日新聞阪神支局で記者1名が死亡した襲撃事件の再来すら期待する声まで聞くに及び、この日本において「報道」とは一体何であるのかということを改めて考えるに至りました。
こんにち、日本においては市民の皆様のその時々の平穏な生活に勝る「報道の自由」など必要ないということなのかもしれません。
また、これまでに私ども報道関係者が市民の皆様にお掛けしたご迷惑の反省に立ち、今般の台風第15号における報道は、被災者の皆様に一切ご迷惑をお掛けしない範囲を厳守して行いたいと考えます。
具体的には、取材を希望されない方がおられる避難所は一切取材しない、携行した水・食料・ガソリンがなくなり次第帰社する、と言ったことを徹底してまいる所存です。
そのため、これまでの災害に比べ被害の甚大さを広くお伝えすることは不可能とはなりますが、すべては「報道被害ゼロ」を目指すうえで市民の皆様と、私ども報道関係者が平和に共存するために不可欠なことであるとご理解願います。