個人的には、自分自身を「オジサン」と呼称するのは好きではない。
結局「オジサン」という言葉は若い人(同性でも異性でも)とお近づきになりたい、でもジェネレーションギャップや容姿もろもろの衰えからそれは難しいという文脈でしか使われないわけで、そのようなことに気をもんで人生のリソースを消費してまで、「若い人とお近づきになる」ことにどれだけの価値があるのか、という事を考えてしまうからだ。
・・・と、そんなことを考えていると、ゆくゆくは永井荷風のような孤独死になってしまうのだろうか。おそらくはそうに違いない。
いや、荷風のようにすぐ発見されるならいい。
荷風だけが個人主義だった1950年代ならいざ知らず、世の中のほとんどがそのようになってしまっている今、きれいな死体では発見されないかもしれない。特殊清掃のお世話になってしまうかもしれない。
特殊清掃員の仕事は大変…。
今日も仕事で亡くなった人の家を大掃除。
ゴミ屋敷状態の部屋から出てくるのは、恥ずかしいものから亡くなった人の遺留物までなんでもアリ。
時には幽霊まで拾ってきちゃうことも…
無料試し読みはこちら⇒https://t.co/Udzdqn4uEy pic.twitter.com/SW6MkDpxSK
— めちゃコミック(めちゃコミ)_PR[公式] (@mecha_comic_PR) April 10, 2019
・・・いや、まあそれは今回のテーマではなく、これまでの「私的devotee史」において、オジサンたる当方が女子高生にウザがらみしてしまったという反省を書きたいと思う。
かれこれ10年前になるだろうか。東日本大震災があったかなかったかという頃の話。
どこかのブログで、前途有望なdevoteeの女子高生を発見した。
主戦場はBL系のようであったが、たまに女の子の絵も描いており、なおかつ義足に対する知識はottobock社の「3R80」を知っているなど確固たるものがあった。
これは素晴らしい!
すぐに感想を書き込んだ。
これに対し、その女子高生も嬉しそうに返信を書いてくれた。
その後しばらく、そのブログに書き込むのは自分ひとりだったような気がする。
別にその女子高生と付き合いたいとかそんなのではなく、若い人でそういう後進ができているというのが純粋に嬉しかったのだ。
しかし、だんだんその女子高生の返信も、面倒臭そうなものになっていった。
そのことを薄々気づいてはいたが、でも「作品を世に出したなら反応するのが礼儀であり、次なる作品へのモチベーションになるだろう」という一念で感想をひねり出していた。まるでボディビルの掛け声のように。
しかしある日のこと。
「ブログを閉鎖させていただきます」という一文が目に入った。
ああ・・・
来るものが来たか。
そりゃ俺なんかに褒められたってね。
親戚の家に行って伯父さんに「可愛くなったねえ。ボーイフレンドもいるのかい」みたいなことを言われたって、本当に好きな相手、親しくしたい相手じゃなければ嬉しくもないだろう。まして10代の女の子。
完全に距離の取り方を間違って「金の卵を産む鶏」を殺してしまったのだ。
義肢の知識、絵のクオリティはそれなりに高かった。
惜しむらくは、今以上にマーケットが小さく、自分以外の反応がほぼ皆無だったということである。
このような状態では、自分がレスしようとしなかろうと、閉鎖することになっていたのかもしれない。
いずれ、自分にとっては「距離の取り方」を考えさせられる一件となった。