この世という居場所

小笠原諸島Bonin islandsは北からの高気圧に覆われている。
今日1日は曇りか晴れ。
最高気温は20℃。

自衛隊に届けを出したりなんだという夢。
つまり、昨今の悩みが夢にまで侵食しているということ。

目が覚めたら8時を過ぎていた。
それもそのはずで、昨夜は2時過ぎに寝たのだ。

LINEを見ると、休職中のメンヘラできん坊が長文で送っているが、「一緒に仕事していた頃は、ひどいことばかり言ったことを申し訳なく思っている」などとしおらしいことを書いている。こいつでもこんなことを言うようになったか。
ところで今日は9時から出初式だ。

ソファーでぐったりしてたらもう8時50分近くなってる。
急いで準備しないといけない。
水引封筒に金一封も入れないといけない。

スーツに着替え、おっとり刀で、それこそ消防団が出動するように急いで青灯台へ。

既に準備はできており、島内の偉いさんが並んでいる。

9時になり式典開始。
まずは能登の地震の犠牲者に黙祷。

消防団長や村長、総合事務所長、警察署長などの偉いさんの挨拶。
ちなみに今日集まった消防団の総員は12名。
休んでる人がいるかどうかはわからないが、この人数でこの島の隅々まで消火して行くことになるわけだ。
このご時世、どうやって集めるんだろう?
休み時間を削ってきつい訓練しなければいけない、上下関係が厳格で飲み会が下品だで、とうてい若者に受け入れられるような性質のものではな苦なっている。
茨城だったか、操法大会のやり方をめぐって22人全員が退団するみたいな話もあったはず。
それでも、田舎町だと「消防団に入らないとコミュニティに入れないぞ」みたいなのもあるのかな。

偉いさんの挨拶ごとが終わって今度は放水訓練。

放水訓練は海に向かってやる。
これが面白くて。赤白の水を放水するのだ。
やはりこれは正月ならではだろうか。
でもどうやって赤い色をつけるんだろう?

ギャラリーは親子連れが多いが、「⚪︎⚪︎君のお父さんがんばれ〜」「⚪︎⚪︎先生がんばれ〜」
ああ、そういうことか。学校教員が消防団に入るのか。
でも、授業中に火事になったらどうするんだろう?授業を打ち切って消防団に出る?

結局、演習モノはこれで終わり。
江戸の火消しみたいにハシゴに乗って曲芸とか、そういうのは無い。

ともかくも帰宅することに。
たまに声をかけてくれる他社の所長さんが「ゼロちゃん!」と声をかけてくれた。
お互い、スーツなんてほとんど着ないので誰が誰だか分からない。
「消防団なんて入ろうと思えば兼業許可が要るからなあ。報酬出るでしょ」
ああ、報酬が出るならそれは必要かも。

そして聞きたくしてぐったりする。
そういえば직맹の方も27日の半期大会に向けていろいろやっていかないといけない。
上部団体や外部団体に案内のメールも出さないといけない。

そんなことをしていたら、12時も回ってしまった。
さっさと弁当買いに行こう。

YouTubeのライブニュースでは、能登の地震にあった中学校で集団疎開をするという。
受験も控えた時期で、孤立したまま勉強もできないと言うわけにはいかないのだろう。
これだって「難しい舵取りを迫られる」という世界だろう。
ネット上では、案の定、こういうことに対しても、あれこれ文句が出ている。
人の上に立つなら、難しい判断を迫られ、その判断に対して、あれこれ言われることにも耐えなければいけないのだろう。

裏通りへ出ると、大体の店はっていた。
丸丈とかでもいいといえばいいのだが、まあ今回はやめておこう。
五六助弁当にも人が並んでいた。

結局、昨日と同じでうわべ家でマグロの漬け丼。
BGMはいつものJポップ。
この島のどの店舗も、BGMがJポップだ。生協も含め。多分店員のセンスなのだろう。

で、二見港に近い屋根のあるベンチで食べるのだが、港には共勝丸が停泊している。
そしていちいち弁当の蓋が風で飛ぶ。
いいかげんここで漬け丼食うのは数回目なので、何らかの学習をしよう。
何となればマイ醤油を持ってこようかな。

さて、その先は何をしましょうかね・・・
どっか寄って行こうかな。

そう思って寄る先は農協の喫茶店。
元旦によっていて能登の地震が発生したところなので、かれこれ2週間ぶり。
農協なので特産品の販売がメインなのだが、カルディみたいに海外の洒落たものが置いていたりすることもある。

その中で、オーツミルクが売っていたりするのだが、これがまた何かの鳥のハリボテの中の人がコーヒーでくつろいでいる絵。
まるでにしこくんの中に入っている弊喜び組のメンではないか。
それで1つ決死することにした。

結局日記つけで時間が経過する。
まあ悩んでたって仕方ないんだけどさ。
仕事するしかないんだけどさ。
どんな社畜だってーーーなんならシャチョサンだってーーー上があって下があって横がある。
その中で自分の判断でやれることなんてたかが知れているのだ。
まずは与えられたことをやるしかない。
定年まであと11年・・・いや、ずっとそう思ってきたけど12年あるんだわ。
その12年をこのような思いをして暮らさないといけないのか。

さて、何だか寒いので帰ることにしよう。
帰って部屋を片付けよう。
特にリビングは客が入ってこれるレベルまで片付けることにしたい。

そう思って片付けようと思ったら、兄島に薬注しに行った時に返さないままになっていたノコギリや靴下がある。
野生研に電話をかけて、返しに行っていいか聞くと、OKだという。

それで艮瘋ごんぷうを駈って奥村の野生研へ。
そしてプレハブのような事務所で返却する。

あとは帰るだけ。

帰って部屋を片付ける。
片付けるのはいいのだが、千葉に住んでた頃もそうだったが、これは捨てるベキか捨てないべきか悩む物があるわけで、そういうのが積み重なるとあの頃のような物置同然の汚部屋ができてしまうわけだ。
だから、捨てるとなったら捨てること。これを徹底するようにしたい。

そう思って予定表を見ると、そういえば今日はノーパンツデーだった。
というか世界中で今でもやってるのか?
検索してみると、ロンドンでは先週1月7日にやったようだ。
そうなると先週やっとけばよかった。先週は精神的にもっときつかったが。

そういえば夜は懇親会がある。
財布には現金が1000円しかないので、郵便局で金をおろしてこよう。

バスの車庫ではバスが休んでる。
ちなみに来年のノーパンツデーはおそらく1月6日。
予定表に書いておこう。

で、ソファーでぐったりしていることが多くなったのだが、例のメンヘラできん坊から尚もLINE。
「あの頃は上司をいじめ過ぎたと思います。今は反省しています」
そりゃまあね・・・ まあこいつだけじゃなく、上から下までみんなそうだったんだけど。
なんなら担当課長まで一緒になってやってた。それで、現場に下りてきてぐったりしていることが多かった。
少なくとも、あの人は現場とコミュニケーションする意思はあったのだ。とは言っても大して話したことはなかったが。
今は乃公おれがその立場になっている。
そういう時にこういうLINEが来るというのは皮肉なものだ。
ちなみに、この上司に関しては22−1も知っている人なのだが、22−1に言わせれば「なんかテンションの高い人だったなあ」程度だった。

で、そのうちに18時が近くなったので飲み屋に行くことにしよう。
主だった人が集まっていた。

そして飲むことにする。
島の自営業の人たちが多い印象。
いつも声をかけてくれる他社の所長さんもきてくれた。

そしていろいろ話す。
楽しい飲み会ながらも去来するのは明日以降のことばかり。
本当にやっていけるんだろうか。

結局、20時過ぎに終了。
他社の人と一緒に帰る。
何も事情を知らない人と話すのは気が紛れる。

果たして帰宅し、風呂に入る。
もうブラウザゲームもやめたのでいつ入ったって構わない。

しかし、一旦風呂に入ってしまうと腰が重い。
結局、23時半近くまで入っている。

明日は結構退治な仕事があるので早く寝よう。
この島にいるのはまだ1年強あるのだから。
土橋正幸が日本ハムの監督だった時に選手たちは残り13試合で「あーあ、あと143試合あるのかー!」と不満を口にしていたという。
結局、1年目で解任されたというが、そんな風になってるのかな。
明日が来るのが怖い。

今日の決死出演は5名(累計32名)。

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