46体制

小笠原諸島Bonin islandsは高気圧に覆われているが、南から台風が近づいてきている。
今日1日は、最初は晴れるようだが、次第に曇り、夜には雨になるようだ。
最高気温は30℃になると言う。

ソファーで目が覚めたのは4時ごろだった。
昨夜は、風呂に入る気力もなく寝入ってしまったのだった。

まずは風呂に入って、ブラウザゲームをやる。
クラスダウンするかどうかの瀬戸際で、少しでも調子を落としたらそのまま暮らすダウンであるが、どうにか持ち堪えることができて、現状維持の見込み。

Twitter(Xに改称)を見ると、鈴木宗男の秘書のムルアカが飛行機で突然死と。
すでに60歳の坂を越えていたようだ。

そして風呂から上がり、副業ブログまでやってしまう。
その後も寝るでもなく、起きるでもなくぐったりしている。

7時も過ぎたので朝食としたい。例によってカレースープ。
そろそろ飽きてきた。

そして洗濯が終わったので干すことにする。

8時になると、防災無線が鳴る。
今日のおがさわら丸の入港は11時ちょうどで、乗船客数は529名であると言う。

そしてイロハシャッフル

この先しばらくは、この陣容で決死していくことになる。

また、これからの決死体制であるが、40名いる中でどのように起用していくかというと、平日4名・休日6名で行くと9日で消尽し丁度良さそうだ。
ただ、今日の場合、土曜日から始まるので4名運用が来週の土日まで続くことになる。

そうなるとこんな感じ?2日(土)7名、3日(日)7名、4〜8日各4名、9日(土)6名。
あるいは出港日(5日)にもう1人加配して今日は6名とか?

9時も過ぎたので、ちょっと散歩に行くことにしよう。今日は奥村ルートでも、奥清瀬ルートでもなく、大根山の方に行ってみることにしよう。

いつもは行かないルートなので、新鮮な風景が広がっている。
もしかすれば、これが父島Peel islandの原風景だったのかもしれない。

そして、三日月山に行く山道の途中から分岐して細い道に入る。

その細い道から、また分岐して小笠原情報センターがある。
ここは、災害発生時、津波が来た時でも衛星電話が使えるようになっているようだ。
それで、屋上にはアンテナが何本も立っている。また、バキュームカーも置いている。
このようにして、防災への備えをしているのだろう。
他の市町村よりも税金が手厚くかかっている印象。

そしてなおも坂を登る。この辺は全く人が住んでいない。
だから、不謹慎な話、もし死体遺棄をしようと思ったら、この辺に捨てれば完全犯罪になるのではないだろうか。

そして、坂を上りきったあたりに展望台が右手に分岐する。
しかし、ここが道の終わりではない。

そして、なおも坂を登ると、左手には大根山墓地が広がる。
その先には木々の先に二見湾を見渡すことができる。

墓地には、日本の量が多いが、ごくたまに十字架もある。
基本的に、この島での葬式は聖ジョージ教会で行うと言うので、キリスト教式の量も多いのだろう。

道の右手には、防衛省の土地が広がっている。
ここには入ってはいけない。

この辺が、道の行き止まりとなり、ここから先は行くことができない。
なので、戻ることにする。

戻る途中、小笠原小学校の通りまで下りると島のパン屋さんがあるので入ってみる。

パン屋かと思ったら、お菓子屋さんだった。
とりあえずクッキーだけPayPayで買うことにする。財布を忘れてきたのだが、まあ何か買い物することもないだろうということで。

帰宅して、ソファーでぐったりする。

ぐったりする間もなく、10時40分ぐらいになったので、おが丸の入港を見に行くことにしよう。

艮瘋ごんぷうで面通りを走っていると、すでにおが丸が方向転換しようとしている。

ギリギリのところで、決死には間に合うことができた。

ははじま丸の看板のところで決死していたら、前の方から二等兵23-5が来るではないか。
そういえば、北海道支社の同期がこのおが丸で来るんだったか。
その同期と一緒に、母島まで行くのだと言う。

こちらはと言えば、生協脇広場に陣取って昼までに回顧録をつけることにする。
今日は2014年8月。この時期になると、おうち決死よりも、屋外の決死の方が多くなってくるので、エントリーの数としては少なくなるが、まだまだ2015年まで残っている。

そういえば、出張所の兵隊どもに台風に備えて、夜間詰めをお願いしていたが、気象庁のホームページを見ると、かなり暴風域から逸れている。
これで深夜応援をお願いしたものかどうか。
しかし、マニュアルを馬鹿正直に読めば、深夜応援をお願いする基準に入っているので、この辺を伍長23-1に相談してみる。
そうすると「応援頼まなくてもいいかもしれませんね」と言う。
もう一度、予報を見てみて、それでも暴風域に入っていないようであれば、夜間体制は解除することにしよう。

そんなことをしていたら12時過ぎてしまった。
さて、どちらでお弁当を食べようか。五六助に行くとメンチカツは無い。
そしたらうわべ家にしようか。しかし、12時過ぎたので漬け丼はないと言う。それで、普通の唐揚げ弁当になってしまった。

その後、福祉センターに行ってまた冷房を浴びつつ回顧録をつけることにする。
実は、この福祉センターがあるあたりは「One leg beach」(片足浜)と言ったらしい。

そういえば、台風の夜間応援はどうしようか。確認すると、暴風域にも入っていないようなので、これはやめることとする。
その旨を業務用チャットでお触れを出す。

回顧録の方は2014年8月が終わり、9月に入る。

しかし、福祉センターと言うのは、冷房の効きが悪い。
もっとも、福祉センターなんて使うのは老人ばかりだろうから、あまり冷房がギンギンに効いていても、それはそれで苦情が出るのだろう。

さて、15時も近づいたので、さっさと生協に買い物に行くことにしよう。
外は炎天下。

生協に行くとたくさんの人でごった返している。

今日は、キャベツや納豆のほかに、キムチ鍋の材料を買うことにしよう。
いつも非常食のわかめご飯ばっかりだと飽きるので。

例によって、長い行列に並ぶ。今日は袋は2つ。

そして買い終えて帰宅する。
まだアマゾンは届いていなかった。

ソファーでTwitterを見ると、国民民主党の代表選挙があったようで、玉木が前原を下したようである。
玉木は「政策実現の為なら、与党と組んでも構わない」、前原は「あくまで野党共闘」と言う立場のようだったが、いずれにしても共産党と組めるかと言ったら「組めない」と口を揃える。
ちなみに前原の言うところの「野党」とは、維新のこと。維新なんて都合よく「野党」「第2自民党」を使い分ける連中だ。

そうしていると、ピンポンが鳴ってアマゾンが届いた。
今日はカレースープと炭酸水とアレッポの石鹸。

そしてしばらくぐったりしている。

そうしていると「レモン林」が鳴る。もう17時なのだ。
台風が近づいていると言うのに、気象庁のホームページでは風が強まる気配がない。

大村海岸に出てみると、大して波も風も無い。
小笠原諸島Bonin islandsを逸れて鳥島のほうに行くというので当然か。

その後、小祝商店に行って、プチニンニクを買うが、こういうのは行列するまでもなく入港日の前に買っておくんだった。

ともかくも、買い終わって外に出ると、どこの店も閉まっており、入港日の祝祭気分が終わりを迎えている。

こちらは帰宅して鍋の準備をする。
肉のほうはすでに解凍しているので、後は乾燥しいたけを水で戻す作業。
そして食べるが、かなり腹いっぱいになってしまった。

そしてしばらく、またソファーでぐったりしているが、久しぶりにヤンキータウンに行くことにしようか。

20時を過ぎて、艮瘋ごんぷうを奥村に走らせる。

ヤンキータウンには、外国人の女性客がいた。
なんでも、スイスから亀を見に来たらしい。
スイスと言えば多言語国家であるが、この女性はドイツ語圏から来たらしい。
チューリヒからスイス航空で直行便で来たのだと言う。
乃公おれの英語は全く聞き取ってもらえなくて情けなかった。
というか、英会話がまるっきりできないのである。

部下だって、23-2とか23-3あたりはTOEICでかなり良い点数をとっているのに、乃公おれときたら全然できないのだ。
こんなことでいいのだろうか。別に、国際業務をこなせるようになろうとまでは言わないが、最低限の英会話はできた方が良いはずだ。

短い間の滞在だったが、ちょっと考えさせられてしまった。
飲み終わったところで、また暗い道を帰る。

後は風呂に入って寝るしかない。

風呂から上がったら23時近く。寝るにはいい時間だ。
睡眠時間は長くとったほうがいいに決まってる。

今日の決死出演は7名(累計7名)。

 

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