何もかも不調

内地は梅雨前線が横たわって昨日に引き続き線状降水帯せんじょこの発生が予想されているが、小笠原諸島Bonin islandsは高気圧に覆われている。
今日1日は晴れたり曇ったりになるようだ。
最高気温は30℃になると言う。

6時過ぎに目が覚めるが、なんだか胃の調子が悪い。
やっぱり賞味期限の切れたヨーグルトは良くないのだろうか。

そんなことを言いつつも、6月29日で賞味期限の切れたヨーグルトがまだ10個ぐらい残っているので、もったいないので食べていかないといけない。

それだけじゃなくて、エアソファーもすっかり空気が漏れて座れない状態になっている。
それと、YouTubeのライブニュースをつけてテレビ側にしているノートパソコンも電波が途切れていた。だから再起動。

何もかもが不調だ。

ついでに言うと、Twitterも何か障害が出ているようで、すぐAPIの回数が上限に達しただの、過去の書き込みが読めないだのという状態になっている。
いや、これは未承認ユーザに対する仕様変更であると言う話もある。
つまり、今後もTwitterをやりたかったら、金を払えと。
なんとも世知辛い時代になってしまったものだ。
今後は、Twitterではない何かに注力したほうがよさそうだ。

そして、洗濯物を洗濯する。
今日中に乾かさないと、明日着ていく服もない。

また、パンクしたエアソファーだが、付属のリペアセットで修復する。
先ず以て、どこに穴が空いてたのか確認する作業だったが、どうにか探し出すことができた。
やはり接合部分は弱いようだ。

そして副業ブログをやってしまう。
これをやってしまうと気は楽だ。

それと、クーラーのダクトに防虫用キャップをする作業。

しばらく、リペアしたエアソファーでぐったりしている。
リペアは一応成功したようだ。

それでも、10時も過ぎたので、いい加減外に出ることにしたい。

例の四阿あずまやことゲゲゲハウスは、先客がいたので、生協脇の「特等席」で回顧録をつけることにする。

回顧録を移し替えるという単調な作業なので、スーツの奄美大島の旅をBGMにしながら。

しかし風もなく暑い。
こういう風のない時は逃げ場もない。

これまでに大物の回顧録をやってしまったので、後は細々したもので簡単だろうと思っていたら、全然そんな事はなく、いかんせん量が多い。
それでも、小笠原で暇なうちにやってしまうことにしたい。

BGMはスーツの奄美大島編だが、乃公おれもすっかり島気違いになってしまったようだ。

そろそろ、11時半も過ぎたので、弁当を買う準備をしよう。
いつだったかの平日、12時過ぎに五六助弁当に行ったら完全に売り切れていた。
ここは、11時45分ぐらいに行くのがベストなのだ。

結局、五六助弁当で豚丼。相変わらず盛りが多い。
豚丼でビタミンB1を補給したいということ。

朝食のヨーグルトから、特段腹が減ってるわけでもないので、無理矢理に詰め込む。

そして、生協でジップロックと小祝でプチにんにくを買ったら、一旦帰宅することにする。

帰宅してまたエアソファーでぐったりと休む。本当に何もする気になれない。
ところで、Twitterの方だが、API制限に関して諸説入り乱れており、この先どうなるかは全くわからない。

部屋の除湿剤は生協で売ってなかったのでアマゾンで買うとして、1kgの乾燥椎茸はジップロックに詰め変えることにしよう。
体感では、そんなに台所の湿度は高くないので、おそらく大丈夫なんじゃないかと思うのだが。

しかし、乾燥しいたけにジップロックの需要は無いのだろうか。
しても無駄と言うことなんだろうか。

時間は、15時をゆうに過ぎてしまった。
このまま何もしないというのも何だかもったいないような気がする。
何より、五六助弁当をこれだけ食べて、何の運動もしないと言うのは、体の調子がおかしくなるだけだ。
海洋センターで亀を見るのでもいいし、水産センターでアカバの歯磨きをするのでもいいから、とにかく体を動かしたい。

ということで、艮瘋ごんぷうを走らせる。
奥村の福祉センターでガラナでも飲みながら本でも読むことにしよう。
飲食店とは違って、飲み食いしながらコンスタントにクーラーを浴びれるところと言えばあそこしかない。

風も弱く、午後の強烈な日差しの下を走っていく。

そして福祉センターに到着。
7月から8月は、都立図書館との相互貸借をしないのだと言う。あらそうですか。

ともかくも、本を読みつつ過ごすことにしよう。

先週も話題にした「戦前昭和の猟奇事件」であるが、なぜこの図書館に置いているかと言うと、父島人肉食事件が掲載されているからのようである。
これは、大戦末期に発生した事件のようであった。
戦後のBC級戦犯の裁判で明らかになったこととして、この事件は伝えられたようである。
タマナの木に捕虜をくくりつけてどうたらとか。
事件は、硫黄島で栗林中将が決別電報を打ったその日だったと言うのだが、ともかくも、戦争という集団の狂気が余すところなく出たと言う印象がある。これが戦争なのだ。
本当に、このような陰惨な事件が起こった島に住むことの重さを思い知らされる。
できれば、昨日の硫黄島ツアーの前に読んでいればよかったかもしれない。

17時になって、図書館が閉まるので、こちらも辞去することにしよう。

そして、生協でトイレットペーパーを買って、例の特等席で回顧録の続きをすることにしよう。

その特等席なのだが、なんだか隣のベンチにハエがたかっている。
近くに、トランクスのパンツが落ちており、何かの土の塊か、あるいは動物の死骸なのかと思ったが、もしかしてこれは人間の💩!?
一体これはどういうことだろうか。トイレなら近くにあるじゃないか。
戦争だけが狂気じゃない。令和の今にもこの南の島には狂気が宿っている。

仕方がないので、近くのテーブルのあるベンチで回顧録をつける。
屋根はないが、この時間であれば太陽も出ていないので過ごしやすい。
回顧録は2012年9月終わって10月に入ることができた。
この頃は、Googleは「Google+」というSNSをやっていた。
ここでよく秋元がAKBのスタッフに事務連絡をしていたものだった。

しかし、ほどなくして帰宅することにする。

ちょっとまた、プライベートで変な話が入ってきたので、公開分はここで切ることにする。

ここまでの決死出演は5名(累計18名)。

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